第5話 君の得意なもの、私の得意なもの

「どうだった?」

「えーっと……」


 とっくに読み終わっているにも拘わらず、感想を述べる気配が一切ない私に、少し早口気味でコメントを急かしてくる。まだ私は言うべきか言うまいか、悩んでいる最中なのに。

 けれど、このまま黙っていたってやっぱり彼のためにはならない。それに、本人も感想を希望しているのだから、言ったところで文句を言われる筋合いは無いだろう。

 そんな心持ちでようやく決心がついた私は、原稿用紙をペラリと裏返し、向井田くんに見えるようにしてから話し始める。


「内容はすごく面白かった。勇者も実は魔王の息子っていう設定とか特にドキドキハラハラしたし。……でも、何か盛り上がりに欠けると思ったの」

「……うん」


 真剣な表情で、しっかりと私の感想を聞いてくれる彼に、内心ほっとしながら話を続ける。

 ――例えば、このキャラは前見たやつではこんなキャラじゃなかったと思うし、あとここ、誤字脱字が目立ってる。それと、全体的に見てオノマトペが多いなって思った。あ、もちろんそういう作風なら全然いいと思うけど。


「……でも、向井田くんって多分オノマトペあんまり使わない人でしょ?」


 完全なる私の憶測に、向井田くんは一瞬驚いたあと素直に首肯した。


「自分でもこうじゃないって分かってはいるけど、どれだけ考えてもしっくりくる言葉が思い浮かばない。言葉が詰まって出てこないんだ。擬音を入れてみれば何とか見れるものにはなるかなって思ったんだけど、やっぱりダメだったね」


 肩をガックリと落とし、分かりやすく落胆する向井田くんは、私の手にある原稿用紙をじっと見つめるが、重いため息とともにすぐに目を逸らした。どうやら思い通りに書けないことが、相当心にきているらしい。


 彼本来の実力が発揮出来ず、なかなか納得のいくものが書けない。そんな状態を何と呼ぶか、私は知っている。


「向井田くんさ、もしかしてスランプなんじゃない? それ」

「……俺も思ってた」


 何かおかしいと思ってたんだと、苦虫を噛み潰したような顔で今度は忌々しく原稿用紙を睨みつける。人間誰しも一度はスランプに陥るものであるから、彼のその気持ちは痛いほどわかる。

 私も実際この前まで色選びが不調で、何をやっても空回り。それほど上手くいかなければイライラしてしまうのも当然だし、何よりストレスが蓄積されていく。これを乗り越えれば成長できてプラスに繋がるが、それでも来て嬉しいものではない。


「浅倉さんは、こういうときどうしてる? 俺はなるべく書かないようにしてるんだけど」

「うーん、私は向井田くんとは逆で、とにかく描きまくるかな。でも絶対に本書きはせずに、落書きとかその程度で収めておく。それでその落書きからどこが悪いのかとか分析してる」


 このスランプからの脱却方法は、人にもよれば、何に対して伸び悩んでいるのかにもよってくる。根本的には同じだが、やることが違うとかそういう感じだ。なので、私の方法が絶対に正しいとは限らない。他にもやり方は何百とあるし、もしかしたら回りくどいことをやっているのかもしれない。結局はその人にとって、一番楽で楽しく抜けられる手段でスランプと戦えばいいのだ。

 ずっと顎に手を当てたまま、何かをじっと考え込んでいた向井田くんが、ふと顔を上げた。


「俺はここで悩んでるんだけど、自分で書いといていまいちこの主人公の心情が理解できてないんだ。どうすれば良くなるのか、考えてもわからない。浅倉さんならどうする?」


 彼の指が当てられた一文は、たしかに読んでいて内容が少し薄いようなと感じていた部分だった。

 場面はまさに、魔王の子どもと戦っていた勇者が、実は自分も魔王の息子なのだと不気味に告げるところで、このページで一番盛り上がるところである。そんな大事な場を、どう書けばしっくりはまるのか。向井田くんは何度も熟考したのだろう。ここだけ消しゴムで消したあとがくっきりと残っていた。

 しかし、私は小説を書いたこともなければ読むのすら大の苦手としていて、大したアドバイスができないのは目に見えている。というかむしろ、さらに混乱させてしまいそうまである。


 しかし、もし向井田くんが書けない理由の一つに、この場面を具体的に想像できていないからというものがあったとしたら?


「……ちょっと待ってね。すぐに描きあげるから」

「え、描くって何を?」

「決まってるじゃん、この文章をだよ」


 君のように上手く言葉は紡げないけれど、絵でなら多少は手助けができるかもしれないから。

 迷い線はなるべく少なく、向井田くんが理解できるように。簡単で、それでいてこの前彼の文章を読んで感じたあの雰囲気を、シャーペンで完璧に再現していく。

 カリカリと紙に芯が削られていく音が、紙の余白が少なくなってきた終盤になるにつれて、だんだん速まっていった。


 数十分間ほど経った頃だろうか。


「何とか描けた!」

「この短時間でここまで完璧に……。凄い。それにこれ、俺が想像してた通りの絵だ」


 プリントの裏面に出来上がった、モノクロの勇者たち。小説を読んで浮かんできた、そのままの情景を描き表してみたのだ。漫画のような構図は描いたことがなかったが、幼い時から読み込んでいるおかげで何とか物になっている。

 ぼかしたり擦れたりしたせいで手は真っ黒になってしまった。けれど、私の絵を見ながらまた黙々と文字を綴らせる向井田くんを見ていれば、そんなことどうでも良くなっていった。


「これで少しはイメージついた?」

「うん、だいぶね。本当にありがとう、助かった」

「いーえ」


 ほんの少しの会話が途切れたら、小説に熱中する向井田くんのシャーペンの音だけが教室中の音を独占し、また静寂が訪れる。少し前の私では考えられなかったこの静かさが、今の自分にとって心地良い存在になっていると、集中する彼を見ながらしみじみと感じた。

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