第4話 名推理
明かりのついていない、夕焼けだけが唯一の照明であるこの教室で、私はひゅっと息を呑む。
「なんでソレ知ってるの? ていうか、どうやって見つけたの……?」
このアカウントもまた、誰一人として教えたことがないのに。誰も存在を認知していないはずだったのに。それでもなお、何千、何億とあるアカウントの中からこれ・・を見つけ出した彼に、私は動揺を隠せないでいた。
「たまたまこの絵が流れてきたんだけど、今書いてる小説の世界観と絵柄がマッチしてるなって思って、フォローしようとプロフィールに飛んだんだ。そしたら名前の横にアットマークが付いてて、テスト期間中って書いてあってさ。その絵を見た時、うちの学校でもテスト期間中だったから……」
「え、まさかそれだけで私だって気がついたの!?」
「いや、まだ他にもある。例えば、自己紹介欄に高一って書いてあったり、名前は伏せてあったけど、多分担任の高木の愚痴だろうなっていう投稿があったり、俺も持ってるプリントの分からないとこをフォロワーに聞いてたり、あと」
「うん。わかった、もういいよ」
まだあるのに、と言いつつも、私の表情を見て大人しく口を噤む向井田くん。彼が発した身に覚えのありすぎる己の行動に、私は頭を抱える。
最初に絵を描いていることがバレた時にも、彼の観察力は大したものだと感じたがまさかこれまでとは。向井田くんの異常とも言える推理力に、ぶるりと身をふるわせる。
「仰るとおりそのアカウントは私のだよ。誰にもバレないと思ってたのに……本当に推理力凄いね、探偵とか向いてるんじゃない?」
「いや、俺は探偵になるつもりはない」
「知ってるよ、冗談だってば」
私の言った冗談に対して、ズバッと真面目に切り返す向井田くんに、自然にフッと笑みが込み上げてきた。不意打ちで出たそれはなかなか収まらず、お腹の辺りがじわじわ温かくなってくる。
目の前で急に笑いだした私に首を傾げながら「今日の分は書きあげたから帰ろう」と向井田くんが言い出すまで、私の目尻には笑い涙が溜まっていた。
そんな次の日のことだった。向井田くんの様子がおかしい事に気づいたのは。
いつもの暗い教室。いつもの夕暮れの時間帯。いつも外から聞こえる、野球部やサッカー部の太めの掛け声。
そして、向井田くんと過ごす、少しだけ楽しみないつもの放課後。
しかし、昨日と同じ、一昨日と同じような時間の中で、普段と様子が違う彼だけが異色を放っていた。
「違う……ここはこの表現じゃしっくり来ない……。でもここを変えると前の文章と合わない」
ボソボソとつぶやきながらペンを走らせ、たまに消しゴムを手に取っては原稿用紙がくしゃっとシワになる音だけが教室に響く。きっと今頃、本格的に始まる勇者と魔王の子の戦いが、彼の手によって綴られているのだろう。
昨日読ませてもらったあの一ページは、いとも容易く書き上げていたように見えるけれど、今日は調子が悪いのだろうか。先ほどからずっとこの調子で、一向に書き終わる未来が見えない。
私はふう、と小さく息をもらして椅子から立ち上がると、集中する向井田くんの邪魔をしないよう静かに教室を出た。
緑色に光るボタンを指の腹で二回分強く押し、ガコンと落ちてきた三ツ矢サイダーを手に取る。冷たいそれは、シュワシュワと微かに音を出しており、中に炭酸がちゃんと詰まっていることを表していた。
私たちの教室はここから一番近い場所にあって、上る段数も一番少ない。歩いていけば三十秒と経たないうちに着くけれど、あの空気の悪い教室に戻るのは少々躊躇いがあり、足取りは自然と重くなる。
少しは機嫌が戻っていればいいけど。そう切に願いながら、ジュースを持っていない方の手を教室の戸にかけ、勢いよくガラッと開けた。
「あ、やっと帰ってきた。できたから読んでよ」
先ほどの不機嫌さとは相反して、まるでテストで百点がとれた子どものように目を輝かせる向井田くんが、そこにはいた。どうやら自信のある文が書けたらしい。やれやれと息をつきながら差し入れの三ツ矢サイダーを手渡し、その反対の手で一枚の原稿用紙を受け取る。
さて、昨日の戦いの結果はどうなっているだろうか。またあのドキドキとワクワクが感じられるような、魅力溢れる言葉たちを早く目に通したい。
そんな思いを秘めながら、一文目をつうっと読んでいった。
「……ん?」
思わず声が出た。
いやいや単なる気のせいだと自分を落ち着かせ、次の文へ視線を動かす。その調子で次の文も、そのまた次の文も、たまに目を止めつつ読み進めていった。
──いや、何かが確実におかしい。
向井田くんはやっと書けたと満足しているようだが、私は明らかな違和感を感じていた。具体的に言えば、昨日のページにはあまり使われていなかったオノマトペが乱用されていたり、単純に誤字脱字がひどかったり、キャラの口調が前と異なっていたり。
挙げればキリのないそれに私は読み始めてすぐに気づいたのだが、果たして作者の彼はどうなのだろう。
気づいていてわざと読ませた? それとも投げやりになって完成させ、この違和感に気づいていない?
もし後者ならば、絶対に指摘したほうが彼のためでもある――が、如何せん向井田くんの雰囲気がそうさせてくれない。彼の雰囲気がどんなかというと、この小説に批判一つでもくれば、その批判をした人を徹底的に追い詰めそうな程の圧が全面的に出されているのだ。まあ、これは私から見ての話であって、実際彼がそうなのかは知らない。
要は、今私は指摘したい気持ちと追い詰められたくはないという気持ちの狭間で揺れているのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます