第3話 才能の塊

 まるで、スポットライトが当てられているかのように輝く向井田くんに、ぽつりと、ごく自然に私の本音がこぼれ落ちる。


「いいなあ、才能があって」


 それまで穏やかな雰囲気をまとっていた向井田くんの表情が、私の吐いた言葉を聞いた途端、みるみる険しくなっていく。

 短くても、何かに対して必死に打ち込んでいる人たちにとっては攻撃力の高いその言葉を、私はつい放ってしまった。

 言ってはいけない言葉だと、頭では分かっていたのに。けれど、彼を見ているとどうしても感じてしまう。私と向井田くんとの間にできた、明らかな技術力の差を。なぜ私に表紙絵を描いて欲しいと頼んできたのかと、思わず問いたくなる劣等感という名の疑問を。


「……ごめん。その、言うつもりはなくて。なんでこんなすごい人が、私に表紙絵とか頼んできたんだろとか思っちゃったんだよ。……ってこれ言い訳か、本当にごめん。嫌な言葉言っちゃって」


 向井田くんの傷ついたでもなく、驚いたでもなく、ただただ静かに怒っているような顔色を直視することが出来ず、俯いたまま早口でひたすらに謝る。

 しかし、向井田くんにとって「才能」という言葉は余程悪感情を抱かれているのか、彼の表情はピクリとも動かない。これは、早口過ぎて聞こえなかったというポジティブ解釈をすべきか、聞こえたけれど怒りが収まらず無視しているのネガティブ解釈をすべきか。

 否、考える必要性も感じない。間違いなく後者だ。

 何であんな言葉言ってしまったの。数十秒前の私に戻って、今すぐその口を閉じてやりたいとさえ思うほど、後悔の念にかられる。ただ素直に、純粋に彼の小説は凄いと尊敬していただけなのに。

 顔を俯かせ、指の一本すら動かせず体を硬直させる私が、惨めで情けなかった。情けなくて、たまらなかった。


「いつまでそうしてるの、浅倉さん」


 ふわっと香る金木犀の匂いが、微かに鼻腔をくすぐる。

 あれ、向井田くん、こんな匂いつけてたっけ。ああいや、乱雑に開けられた窓から、外の空気が風に吹かれてやってきたのか。

 何て、関係の無いことを考えてしまうくらいには、私の頭はひどく混乱していた。


「あの、向井田くん」

「なに?」

「距離が近いと思わない?」


 そう? と首を傾げる向井田くんと私の距離は、手を伸ばせば触れられる範囲内であり、歳の近い男子とここまで近づいたことがない私は、思わず後ずさりしてしまう。しかしなぜか、私が一歩後退すれば、向井田くんの足が一歩前進する。

 一歩後退、一歩前進。後退、そして前進。そんなことを繰り返しているうちに、あっという間に背中へ固い感触が伝わってきた。


「なんで逃げるの?」


 なにかの漫画で見たヤンデレ彼女みたいなセリフを、あからさまに不機嫌な表情でつぶやく。それに対して私が「だってなんか怖いし」とこぼせば、さらにムスッと眉間にシワが寄せられる。

 どう事がひっくり返ればあの険悪な雰囲気からこうなるのか。先ほどはまだ余裕のあった私たちの距離も、今や向井田くんが壁ドン紛いなことをしているせいで、息遣いが分かる程度には距離が近すぎる。

 ちらりと彼の表情を盗み見れば、不機嫌そうに細められた瞳と目が合う。


「あのさあ、浅倉さんなんか勘違いしてるよね」

「へっ!?」


 「勘違い」というワードに、この関係が始まった時に言ってしまった私の恥ずかしい早とちりを思い出し、一人ビクッと肩を揺らす。目が合ったことで、またそういった類のことでいじられるのかと思ったのだ。

 けれど、瞬きの瞬間彼の口から出た言葉は、私の想像をはるかに超えたものだった。


「俺が怒ったのは、浅倉さんの言った才能って言葉にじゃない。というか、そんなものはどうでもいい。俺は、浅倉さんの絵は凄いのに、浅倉さん自身がそれを貶すような言葉を言ったから怒ったんだ」


 私だけを映した、茶色がかった黒色の瞳が僅かに揺れ動く。頬は少し赤みを帯びていて、それが夕日のせいでないことはもうとっくにわかっていた。

 きっと勇気を出して言ってくれたんだろうな。いつもの向井田くんがこんな言葉を私相手に伝えるの、想像つかないもん。ぼんやりした頭で、ショートしそうな脳を繋ぎ止めるべく、意味不明な考察を繰り広げる。

 素直に、嬉しかったのだ。まっすぐと目を見て真剣に、そして自分の意見は正しいと信じてやまないその力強い瞳が、ちゃんと私の絵を見ていてくれたことが──。


「……ってあれ、私向井田くんに絵見せたことあったっけ」


 ふと疑問が頭に残る。

 前にも向井田くんに伝えた通り、私はこの学校に入学してからというもの、誰にも絵を描いていることを告げていない。私が絵を描いていることに気づいたのも爪に絵の具が挟まっていたからで、それが無ければ恐らく彼は気づかないままだったろう。

 そして、この関係が始まってからも、まだ絵を見せたことは無い。なのになぜ、彼は私の絵を凄いと褒めることができたのだろうか。


「ああ、それは……」


 向井田くんはおもむろにズボンのポケットからスマホを取り出すと、何やら操作をし始める。

 数秒経って私の視線にようやく気づいたのか、「あった」と小さくこぼし、自分のスマホの画面をこちらに向けてきた。なんだなんだと食い入るようにその画面を見つめると。


「これ、浅倉さんのアカウントでしょ?」


 フォロワー千人以下、あるだけであまり絵を投稿していない、正真正銘私のSNSアカウントが、そこにはあった。

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