第2話 原稿用紙の見せる景色

 茜色の空が優しくグラウンドを照らし、赤みを帯びた土の上を陸上部が走っている様子を、教室から眺める。時刻は既に五時を過ぎており、いつもの私なら帰ってスマホをいじっている時間だ。

 そんな平和な日常が変わってしまった原因は、今まさに机に向かって無我夢中でペンを走らせる向井田くんにあった。


「……あのさあ。何回も言うけど、私向井田くんの表紙絵描くだけなんだよね? なのに、なんで私まで教室に残ってないといけないのさ」


 言ってからすぐに、帰れないことやスマホをいじれないことなどの恨みからか、少しだけ嫌な言い方をしてしまったと後悔した。けれど、彼は気にしていないのか、そんなものなどには一切触れず、視線はノートに落としたまま口だけが動かされる。


「表紙絵は、小説を手に取ってもらう上で一番重要と言っても過言じゃない。もちろん内容も大事になってくるけど、まず目に止まらなきゃ話が始まらない。大胆で、かつ読者の目を惹く表紙を描くには、話を知っておく必要があると俺は思う。……でも浅倉さん、俺の小説の内容知らないでしょ」

「えっ。まあ、それは……そうだけど」


 急に自分の名前を呼ばれて驚くが、向井田くんはピクリとも表情を動かさず、そのまま続けて言葉を紡ぐ。


「だからこうして放課後に集まって、まだ書きかけの小説を浅倉さんに読んでもらおうと思ったんだ。完成してから表紙絵を描き始めてちゃ間に合わないでしょ。それが昨日言ってた放課後の手伝いってやつ。あとは、第三者からの意見ももらいたいっていうのもある」

「あー……確かにそんなこと言ってたような、言ってなかったような」


 曖昧な返事をする私に呆れたのか、向井田くんがシャーペンを滑らせる手を止めて重いため息をつく。わざわざそうしてまでため息をつくなんて、嫌なやつだなと顔をムスッと膨らませる。

 しかし、昨日彼が言っていた手伝いというのは、表紙絵のことだけではなかったのか。てっきり描いて渡して終わりだと思っていたもので、思わぬ役目に頭を抱える。

 なんて言ったって、私は大の作文嫌い。どれくらい嫌いかというと、小学生の頃、夏休みの宿題で出されていた読書感想文で、「面白かった」の一文だけ書いて提出し怒られたことがあるくらい。今思えばあれは、あんなもの書いて何になるのだという、当時の私なりの反抗だったのかもしれない。

 つまり私が言いたいのは、向井田くんの小説を仮に読んだとして、彼の求めている意見が言えるのか、そしてその物語を理解した完璧な表紙絵が描けるのかという不安である。


「はい、できた」

「えっ、もう!? 早くない? ちゃんと書けてるのこれ……」

「さすがに何ページもは書けてない。まだ一ページだけ。でもちゃんと書けてる、はず」

「そ、そう」


 まだ読む心の準備できてないんだけどな。口角をヒクつかせながらぺらりと軽い原稿用紙一枚を受け取り、恐る恐る一文目を瞳に映す。


 ──その瞬間、ただの紙一枚から自然と吐き出されるようにして、ただの古ぼかしい教室から、辺り一面溶岩の海に景色が切り替わった。私の周りには、おぞましい怪物たちが何体も現れた。

 二文目、三文目と、目は勢いを増しながら文字を追う。

 目の前の黒いモヤに覆われた大きな怪物は、咆哮をあげたかと思いきや叫ぶように言葉を放つ。


「よくも、よくも……! 父上を殺したな、勇者――!!」


 図体のでかいそれが放つ言葉たちは、意志を持つようにして勇者らをいとも簡単に吹き飛ばす。よろめく彼らの横で、私の髪がふわふわ揺れた。


「何を抜かす! 貴様の父上……元魔王は、これまでに数多くの人々を脅かし続けてきたのだ! そんなものは死んで当然だろう!」

「貴様……!! それを言うなら貴様ら勇者もだ! 部下から聞いたぞ……まだ何もしていない、産まれたばかりのモンスターを、我が子を守ろうと盾になった両親ごと躊躇無く殺したと! 罪なきものを殺す者たちが、何を持って勇者、英雄を名乗る!」


 二つの正義が、地獄のように熱く燃えたぎる炎の中でぶつかり合う。

 悪の存在として葬られた魔王、そして生まれながら持った、周りとは明らかに違う異次元の能力を扱う勇者たち。

 それらがぶつかり合ったとき、果たして勝利の女神が微笑むのはどちらなのか──。

 ところが、手に汗握る展開になってきた場面で、周りの景色が突然元の教室に移り変わる。驚いて原稿用紙をよく見ると、真実はいとも簡単に紐解けた。

 ここで向井田くんの綴る言葉が途切れていたのだ。


「読み終わった?」


 相変わらず言葉に起伏のない声にこくりと頷き、微動だにしない様子のおかしい私に首を傾げる彼の方をバッと振り向く。

 興奮してやまないこの衝動を、一刻も早く作者の向井田徹に伝えたかった。


「すごいねこれ! 私、読書嫌いなんだけどさ、なんかこれ景色がぶわーって出てきて、熱いのも緊張感とかも全部感じられて読みやすいし、何より……すっごい面白かった!」


 いくら文章が読めたとしても、やはり感想文は苦手なので、簡潔で単調な言葉ばかり並べてしまった。この収まりきらない興奮が、果たしてこんな発言で伝わっているだろうか。

 少しだけ落ち着いた感情の元、ちらりと向けた視線の先の向井田くんの表情は、今まで見たことの無いくらい満足気で嬉しそうな、年相応の少年の顔だった。




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