放課後、まだ未熟な私たちの

明松 夏

第1話 そよぐ秋風

 茜色の空をバックに淡々と告げられた一言に、机から教科書を取り出す私の手はピタリと止まる。

 何気ない、さっきの私の一言が、彼をその気にさせてしまったのだろうか。その辺は不確かだけれど、彼の目がまっすぐ私を射抜いているのは見てわかる通り。

 しかし、せっかくのお誘いのところ、今の私に到底そんなことができる余裕など全くない。ましてや、一度も喋ったことの無い男子とだなんて。

 それに、彼がなぜ私にそんなことを言ってきたのか。そんなの考えてもわかるわけが無い。だからこそ、ここはきちんと丁重にお断りしなければ。

 意を決して口を開き、こんなの柄じゃないのになあ、なんて思いながら今度は私から目を合わせる。


「あーはは……ごめんねー。向井田くんがめっちゃ勇気出して告白してくれたのは分かるんだけど、私今恋愛したい気分じゃないんだよね。だから、付き合うとかは」

「は? なに勝手に履き違えてるの」

「…………へ?」


 一瞬だけ時が止まる。いや、私の周りだけがこの世界で唯一静止していると言うべきか。

 目の前の彼の口から出た言葉を必死に理解しようと頭を働かすが、思ったような答えは出ない。私、なにかまずいことでも言ってしまっただろうか。それとも気分が変わってしまった?

 そんな私の問いかけに、彼は答え合わせでもするかのように、かつかつとこちらへ近寄ってきた。


「俺は浅倉さんに、放課後おれの用事に付き合ってって意味でああ言ったんだけど」


 ていうか、一度も関わったことの無い女子に、いきなり告白するわけないじゃん。

 澄ました顔で、そして少しだけ笑いを堪えるように眉に皺を寄せあっさりと否定を入れる彼──向井田くんに、私はかあっと頬を染めあげる。

 放課後の用事って。なんで私に頼んだの。

 聞きたいことは山ほどあったが、勘違いやら早とちりやらでよもや告白されたと思い込んでいたことが何よりも恥ずかしく、口は音を出さずはくはくと開閉されるのみだった。

 まさか私が、少女漫画でよくあるシーンの逆パターンをやらかしてしまうだなんて。



「大変お見苦しいところをお見せしました」

「うん。落ち着いた?」

「おかげさまで」


 荒ぶった呼吸を何度かの深呼吸で整え、改めてしっかり話を聞こうと向井田くんと向かい合う。ちゃっかり「見苦しい」の部分を否定せず受け流している様子から、この短時間で彼の性格がだいたいわかってきた気がする。


「それで、向井田くんの用事って? 私特に得意なこととかないから手伝えるかわかんないよ? もしや頼む人とか間違えてたり……」

「してない。浅倉さんであってる」


 ええ、でも……。


 そう続けようとした言葉は向井田くんのまっすぐな瞳に溶け込み、まるで最初からなかったかのようにふわりと消える。


「浅倉さんさ、絵描いてるでしょ」


 静寂に包まれる空気の中、何拍か置いて低くよく通る声が私の鼓膜を震わす。知られていると思っていなかった、言われると思っていなかった一言を一緒に引き連れて。

 なんでこの人は、私が絵を描いていることを知っているのだろう。学校では何も描いてないし、選択の授業だってやりたくもない書道をわざわざ選んだ。もちろん、仲のいい友達にだって、絵を描いていることは全く話していないのだ。

 なぜ、どうして。向井田くんが私の絵を知っている理由が、何一つ見当たらない。


「手」

「……え?」


 単語のみが数秒空気に取り残され、やっと理解した私は言われるがまま手に視線を落とすが、特にこれといった何かおかしなところは見当たらない。

 ただ昨夜、完成した線画に絵の具をのせ、着色していた際に爪に入り込んだ鮮やかな青が着いているだけで──。


「……あー、これか」


 こんな微量の絵の具、果たして誰が気づくと言うのだろう。実際、今日会話を交わした友人らには一切触れられることなく無事に一日を過ごしたのだから。

 それなのに、彼は見落とさなかった。そしてそこから、私が絵を描いているのではと分析し答えを導き出した。


 ──浅倉陽葵は絵を描いている、と。


 向井田くんは、観念したように手のひらをぶらぶらさせる私を、何かもの言いたげな顔でじっと見つめている。私はキュッと唇を結び数分経っても何も言わない彼をそっと見やる。

 そしてようやく腹を括ったのか、長く細い息を吐き、口を開いた。


「俺の小説の表紙を担当してほしい」

「……え」


 ほんの少しの驚きと、ああやっぱりその事かと予想が当たり、小さく声が漏れた。

 向井田くんが、自作の小説を書いていることは前々から知っていた。そして、今度の文化祭に出す新作の表紙絵を描いてくれる人材を探していたことも。私は噂で聞いた程度だから詳しくは分からなかった。だから、私は言わなかった、言いたくなかった。明確じゃないことを口にするのはあまり好きでは無いから。


「確かに絵は描いてはいるけど、別に特別上手いわけじゃないし。向井田くんの力にはなれないと思うよ」


 ただの趣味、いわゆる暇つぶし。別に絵を描かないと死ぬくらい好きな訳でもないし、だいたい絵にそこまで情熱を注いでいない。ましてや人から頼まれて絵を描くなんて、小学生以来の出来事だ。ちゃんとしたものを描ける自信なんて、あるわけが無い。


「それでも、浅倉さんがいい。朝倉さんじゃないとだめなんだ」


 ──お願いします。

 そう言って真剣に頭を下げる向井田くんに、思わず後ずさりしようとする右足を踏ん張って何とか食い止める。

 向井田くんは、本気だ。本気で私に表紙の絵を描いてもらおうとしている。先ほどまであんなに私をいじっていて、そんな雰囲気感じ取れなかったというのに、今ではこうして綺麗に腰を折り曲げている。

 なぜここまでして、私に描いて欲しいのか。向井田くんが頭を下げてまで表紙にしたがるほど、私の絵にはそれほどまでに価値があるのだろうか。

 いつもは彼が何を考えているかなんて興味無いくせに、今私は、どうにかしてでも向井田くんの頭の中を覗き込みたい。そんな衝動に駆られる。

 私は大きく息を吸って、小さく息を吐き、未だずっと頭を下げ続ける向井田くんに「頭上げてよ」と柔らかく口にする。


「──わかった。引き受けるよその仕事」


 いつもはハイライトのない彼の瞳が珍しく輝いていて、それに困惑する私の表情が綺麗な目に薄らと映っていた。


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