第5話 笑わない珊瑚 その6

 相変わらず珊瑚もケーブルも見えない瑞乃には珪斗がなにをやっているのかわからない。

 しかし、瑞乃にとって“珪斗がわけのわからないことをやっている”ということは“見えない相棒とともに新たな貝殻をヒトに戻す作業をやっている”ということである。

 一方の珪斗はといえばいきなり現れた瑞乃に目を疑う。

「上浜? こんなとこに?」

 ここは“墓地”なのである。

 瑞乃は相変わらず表情を変えずに淡々と答える。

「近道だからいつもここ通ってるんだけど」

 その思わぬ理由に珪斗が訊き返す。

「墓地なのに?」

「近道に墓地も基地もないよ」

 瑞乃は“墓地が近道じゃ悪いのか?”と言わんばかりに答える。

 その、どこか突き放したような冷たい言い方は、上位ランカーが聞いたなら“生意気”とか“えらそう”と思われるのだろうが、珪斗は下位ランカーなので気にしない。

 それどころか珪斗にとって瑞乃はいつのまにか唯一、話のできる同級生になっていた。

 それはかつての珪斗が頼んだ通り、資材置き場や河原での封緘作業を他言無用にしてくれていることに対する信頼の結果だった。

 瑞乃はきょろきょろと周囲を見渡す。

 どこかにいるであろう珪斗の相棒を探すように。

「で? なにやってるの?」

「えーと」

 珪斗はちらりと珊瑚に目をやる。

 じっと珪斗と瑞乃を見ていたらしい珊瑚は合った目を慌てて逸らせる。

 そんな珊瑚への牽制も込めて、瑞乃に顔を寄せる。

「あの墓石の向こうに見えない大きなタコがいてさ。それをやっつけたいんだけど死角で手が出ない」

 “いきなり、なにをわけのわからないことを言ってんだ、こいつは”と思われてもしょうがない言い回しだが、すでに珪斗の行動を理解している瑞乃は当たり前のように珪斗が指差す墓石へ目を向ける。

「確かに貝殻が落ちてるな」

 瑞乃は少し考える表情を浮かべてから“うん”と、ひとりごちて珪斗に目を戻す。

「湖山が行けないんならそのタコを呼び寄せればいい」

 そう言うとスクールバッグを地面におろし、ブレザーを脱いでその上に載せる。

 そしてスカートのホックをぷちぷちとはずしてファスナーを降ろす。

 なにを始めるつもりなのかと見ている珪斗の前で、瑞乃はためらうことなくスカートを脱ぐ。

 一瞬、息を飲む珪斗だったがその下が学校指定のハーフパンツであることに気付いてほっとする。

 そんな珪斗に構わず、瑞乃は問題の墓石を見たまま、さらにブラウスのボタンに手を掛ける。

 我に帰った珪斗がうろたえる。

 誰もいないふたりきりの墓地でなぜ制服を脱ぐのだ?

「いいいいいいいいや、なにをしようとしてるんだ」

「だから、呼び寄せる」

 脱いだブラウスの下は体操服だった。

 確かに今日の最終授業は体育だった。

 当然のように女子の実情を知るわけもない珪斗だったが、着替える女子が三グループに分かれていることはうわさで聞いたことがある。

 一般的には更衣室を利用するが、そこでは上位ランカーが貴族然として振る舞うのでそれが気に入らないと教室で着替えるグループも存在する。

 つまり“更衣室を利用する派”と“教室で着替える派”に分かれるわけだが、さらに少数派の第三グループが存在する。

 それは“学校では着替えない派”である。

 そうか、上浜瑞乃は学校では着替えない派だったのか、そして、いつもいい匂いをさせているのは制汗スプレーだったのか――などとどうでもいいことを珪斗は思う。

 いつもひとりでいる普段の様子から考えて、瑞乃は単純に人と必要以上に関わりたくないのだろうな、とも。

 瑞乃は脱いだブラウスを適当に畳むとスクールバッグに載せたブレザーとスカートの上に置き、その場で腕を振り、上体をひねってアキレス腱を伸ばす。

 その様子に珪斗はこれから瑞乃がやろうとしていることを朧気ながら理解する。

「じゃ」

 そう言い残し、瑞乃は墓石に向かって走り出す。

 陸上競技には人並み以上に関心のない珪斗から見てもそのフォームは美しく、また速かった。

 その姿が墓石の前を通り過ぎた瞬間、墓石の向こうから伸びたタコ足が瑞乃を追う。

 待ち構えていた珪斗が引き金を引く。

 撃ち出された銃弾がタコ足を貫通した。

 タコ足と陽炎が消失し、少し遅れて墓石の前に転がっていた貝殻が破裂音を立てる。

 それらによって、珪斗の位置からは見えないがクラックが閉じたことがわかる。

 同様に破裂音から“作戦終了”を理解した瑞乃はざっと土埃を上げて急制動し、振り返る。

 慌てて珪斗は両手で大きく丸を作ってみせる。

 同時にその手から銃が消え、首筋からケーブルが抜かれた。

 瑞乃はさっきまで貝殻だった老婦人がぐったり横たわるかたわらを通り過ぎ、珪斗のもとへと戻る。

 そして、涼しい顔でブラウスに手を伸ばす。

 そんな瑞乃へ珪斗が声を掛ける。

「あ、ありがと」

「アタシの大切な“親友”を助けてもらった借りをまだ返してなかったからね」

 袖に手を通し、ボタンを留めながらいつものように淡々と答える瑞乃の言葉に、珪斗は一瞬なんのことかと思うが、すぐにネコの件を思い出す。

「元気? あの……、オクラホマ・ミキサーだっけ?」

 瑞乃は珪斗に顔を向けることなくスカートを手に取り、足を通す。

「オクラホマ・スタンピート。元気だよ」

 あっさりまちがいを指摘されて思わず赤面した珪斗は話を変える。

「えーと、早いんだな、足」

「中学までは陸上やってたからね」

 得意げになるでもなく、いつも通りの無表情で言いながらスカートのホックを留めてファスナーを上げる。

 上位ランカーであればここでブレザーを差し出して“ありがと”とか言われるんだろうな、でも、下位ランカーの僕がそれをやると“触んな”とか言われるんだよな、でも、上浜なら“ありがとう”って言ってくれるかもしれない、いやいや、調子に乗るな、確かに上浜は信用できるけれど、それはそれ、これはこれ、だし――そんなことをぶつぶつと思いながらブレザーの袖に手を通す瑞乃をぼんやり見ていた珪斗だが、目の前で展開されているそれが上浜瑞乃という“女子高生の生着替え”に思えて、イマサラながら顔を背ける。

「あれ?」

 そこで珪斗は気付く。

 珊瑚の姿がどこにもないことに。

「珊瑚? 帰ったのか?」

 ポケットから取り出したプレートに声を掛ける。

 その表面で、たった今閉じられたことを示すようにカーテンが揺れていた。


 翌日から珊瑚は姿を現さなくなった。

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