第5話 笑わない珊瑚 その3

 トイレのドアを押し開けた珪斗はぎくりと立ち止まった。

 正面の洗面台を遮るように管郎が立っていた。

 火曜日の夕方に貝殻から復帰した管郎は翌水曜こそ休んでいたものの――実家へ呼び戻されていたらしい――昨日の木曜から通学を再開していた。

 とはいえ、昨日は一度も顔を合わせなかったため、珪斗が管郎を見るのは神社以来だった。

 一瞬、目が合ったが関わるのもめんどくさいので何事もないように奥へと向かう。

 そんな珪斗を当然のように管郎は逃がさない。

「なに無視してんだよ」

 珪斗が管郎を無視するのはいつものことなのだが、しかし、久しぶりに顔を合わせた管郎はいつも以上に珪斗の存在が面白くない。

「まさか勝ったつもりじゃねえよなあ」

 管郎の投げかけた言葉は、やはり、珪斗が予想した通りのものだった。

 珪斗はそんな管郎を無視したまま用を終え、管郎が仁王立ちしている洗面台へ向かう。

「なんとか言えよ、おらああああっ」

 珪斗の正面から管郎が掴みかかろうとしたところへ――

「こおおんなとこにいたんだ管郎くううううううん」

 ――開いたドアから声が掛けられた。

 反射的に声の主へと向けた管郎の顔の色が一瞬で変わる。

 そこに立っている“声の主”は管郎と同じクラスの垣崎――上級生を差し置いて“学校一、赤髪とピアスが似合う”と評判の。

 垣崎はにやにやと告げる。

「北高にさあ、ボクのイトコがいるんだよねえ。君のことよろしくって言ってあるから」

 一緒に入ってきた垣崎の取り巻きたちが爆笑する。

「残念だったな、管郎。底辺野郎脱却で再デビューを考えてたんだろ、ん?」

「いやいや、どっちみち北高じゃ無理無理」

「で、いつからあっちに通うんでちゅ? 明日でちゅか?」

 あからさまにバカにした口調で問い掛ける取り巻きに、管郎が落ち着きのない目線で答える。

「き、今日の午後に説明を受けに……。転入は、げ、月曜から」

 垣崎が爬虫類のような目で楽しげに続ける。

「ああ、そおおなんだあああ。じゃあ、それも言っておくねええ」

 そんな会話を背中で聞きながら、手を洗い終えた珪斗はトイレをあとにする。

 別に管郎が転校しようと、その転校先がどんな所だろうと興味はない。

 それより珪斗にはもっともっと気になっている重大な問題があった。

 珊瑚の様子である。

 火曜日に神社での封緘を終えた時は“真珠の経緯不明な脱落宣言”という予想外の展開があったものの、まだ、いつもの珊瑚だった。

 しかし、翌日以降、封緘作業こそいつもどおりに行っているが、珊瑚の様子は明らかに変わっていた――真珠を心配しながら神社へ向かっていた時以上に。

 珊瑚はまったく笑わなくなった。

 そのうえ心なしか珪斗と微妙に距離を置くようになった。

 そして、明らかにスカートが長くなった。

 その理由はわからない。

 訊こうにも妙によそよそしく訊きにくい。

 ちなみに真珠はあの日以来、現れていない。

 さらに、妄想ノートも依然、行方不明のままである。

 部屋から持ち出すはずはないので本棚の裏にでも落ちたのだろう。

 そのまま放置している理由はふたつ。

 ひとつは探すには本棚を動かす必要があり、それがめんどくさいということ。

 もうひとつはノートの主役とも言うべき珊瑚が“そんな調子”なので妄想がはかどらず、取り急ぎ書き込むような内容がないので慌てる必要もないということ。

「時間が解決する……のかなあ」

 つぶやいて教室に戻ったのと同時に始業のチャイムが鳴った。

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