シャイニーシャッフル

 ヒナノこと儀部皐月の住んでいるアパートがあるのは、中野だった。


 私の家がある早稲田から、東西線で二駅である。


 もしかすると、昨夜、なずなが東西線のホームにいたのは、間違えたのではなく、皐月の家に行くかどうかを悩んでいたからではないだろうか、とふと思う。



 中野駅は、JRとメトロが共同使用するハブ駅である。

 平日の昼過ぎだというのに、駅構内はそれなりに賑やかだ。


 

 私たちは、中野サンプラザなどがある方面とは、逆の出口から外に出る。


「駅から遠いの?」


「ううん。近いよ。歩いて三分くらい」


 私の家を出たあたりから、なずなの口数は極端に減ったように思える。

 おそらく、皐月をどう説得するかのシミュレーションを、頭の中で繰り広げているのだろう。


 それを邪魔するわけにもいかないと思い、私も最低限のこと以外は喋らないように心掛けていた。


 私はただの付き添いなのである。黙ってなずなの後ろをついて行くのが役目だ。



 なずなは、大通りをすぐに外れ、狭い路地に入って行く。


 なずなは迷うことなく、住宅街をクネクネと曲がりながら進んでいく。


 おそらくなずなは皐月の家に通い慣れているのだ。



 もうそろそろ着くかな、と私が心の準備をし始めたところで、なずなが不意に口を開く。



「皐月はね、めちゃくちゃ可愛い子なの」


「……そうなんだ」


「アイドル時代の映像を見てみる?」


「え?」


 私は「うん」と答えたわけではなかったが、なずなは歩きながら、スマホを操作し始める。


 完全な歩きスマホだが、車も自転車も通らなそうな狭い道なので問題は少ないだろう。



「これこれ。皐月は昔、日向(ひゅうが)芽依叉(めいさ)っていう名前で、『シャイニーシャッフル』っていうユニットにいたの」


「シャイニーシャッフル……聞いたことない」


 

 私は相当な地下アイドル通である。


 しかし、全ての地下アイドルを把握しているわけではない。

 それくらいに、地下アイドルは、古今東西たくさんいるのである。



「かのちゃん、この動画を見てみて」


 なずなが自らのスマホを私に差し出す。


 推しのスマホである。推しの個人情報が詰まったスマホ。


 ファンである私がそれを受け取るのはマズイ気もしたが、断る方が逆に疚しさを感じ取られてしまいそうである。



 手に取った推しのスマホは、実際の重さよりも、何倍も重く感じられた。



 動画は、YouTubeにアップされているライブ映像だった。


 ステージに立っているのは5人の少女。


 パッと見で一番可愛いのは――



「ピンクの子が可愛いでしょ。それが皐月だよ」


 間違いない。

 ピンクの子が一番目を引く。

 ショートカットのベビーフェイス。身体は少しだけ太めかもしれないが、出るところはちゃんと出ており、アイドル好きに刺さりそうな体型である。



 踊っている皐月を見ると、なるほど、これはヒナノの中の人だ、と分かる。


 ダンスの癖が一致しているのだ。フワフワと舞うような特徴的な踊り方である。



 思わず夢中になって画面に見入ってしまう。


 不思議な感覚である。


 皐月は、ヒナノとは似ても似つかない。


 髪型が違うということもあるが、顔も似ていないし、スタイルも似ていない。

 


 しかし、皐月の動きは、間違いなくヒナノなのである。



 ソロパートの声を聞くと、さらに不思議な気分になる。



 ヒナノの声だ。ファルセットまで、寸分違わずにヒナノの歌い方なのである。



「着いたよ」


 なずながそう言ったので、私はしばらくぶりに顔を上げる。


 目の前には、玄関ドアがあった。


 いつの間にやら、アパートの敷地内に入っていたのである。


 門もくぐっていたのかもしれないが、動画に夢中になっていて気付かなかった。やはり歩きスマホは危険である。



「インターホンを鳴らすね。大丈夫?」


 正直言って、心の準備はできていない。


 なずなが心配しているような「最悪な事態」が起きた場合の対応は、当然考えていない。


 また、それが杞憂だったとしても、待っているのは、今スマホで見ていた美少女――ヒナノの中の人が迎えてくれる、という、それはそれで心臓に悪い展開なのだ。



「かのちゃん、大丈夫?」


「……もちろん」


 時間を置いたところで心の準備など一向に整わないのだから、そう答えるほかない。



 なずなの細い指が、インターホンのスイッチに伸びる。



 ピンポーン――

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