【儀部皐月】

 私――儀部皐月の両親は、私が十二歳の時に離婚をした。


 離婚の理由は、父親の不倫だった。


 ゆえに、私の意見が聞かれることもなく、私は、当然に母親に引き取られた。



 しかし、父親の不倫は、母親がずっと探し求めていた離婚の「口実」に過ぎなかった。


 その証拠に、父親が家を出て行った翌週には、家に新しい「父親」がやってきた。



 その男の名字が、儀部である。



 正直、私は、母親よりも、元の父親の方が好きだった。


 しかし、元の父親も、母親と離婚した途端に再婚した。


 そのためか、彼は、私との同居どころか、私に会うことすら試みなかった。



 やがて、母親と儀部との間に、私の「妹」ができた。



 「妹」が生まれた日、私は初めて自らの腕をカッターナイフで切った。



 居場所がない人間は死んだ方が良い、と思った。


 私が死ねば、母親も儀部も喜ぶ、とも思った。



 しかし、そう簡単には死ねなかった。


 私の身体が、激しい痛みによって、死を拒否したのである。


 それは、母親と父親が誤って産み落とした私の身体が引き起こした「エラー」に違いなかった。



 死ぬことができないのだとすれば、私は、私をどうすべきなのか――私にはサッパリ分からなかった。




「君可愛いね。アイドルとか興味ある?」



 原宿の竹下通りで、アイドルとしてスカウトされたのは、15歳の頃である。


 その頃にはリストカットの痕は、両腕合わせて10本を超えていたが、それを隠すための着こなしも板についていた。



 本当は家は東京にある。


 しかし、九州から来た、と嘘をついたところ、私の思惑どおり、スカウトマンは、


「事務所に寮があるんだ。住む部屋を準備するよ」


と言ってくれた。



 ゆえに、私は、アイドルとなることを決めた。



 それは、母親と儀部と「妹」の住む家から出るための「口実」だ。



 しかし、この選択は間違っていなかった。



 アイドルになることで、私は、自分の居場所を手に入れることができたのである。



 寮で同室になった先輩アイドルである坂林さかばやし瑞綺みずきは、まるで世間一般の母親のように、私に親切にしてくれた。


 私が所属するユニット「シャイニーシャッフル」のメンバーとも、心から打ち解けることができた。


 彼女たちとは仕事でもプライベートでもいつも一緒だった。



 それに――



 こんな私のことを応援してくれるファンの人もついてくれた。


 もちろん辛いこともあったし、経済的には搾取されていたのだとも思う。



 しかし、アイドル活動は、私に居場所を提供してくれるオアシスだった。


 自分の居場所を手に入れた私は、自傷行為もしないで済むようになった。



 転機になったのは、事務所に加入して、3年後、私が18歳になった頃だった。



「今度、水着の仕事があるんだ。皐月も出れるかな?」


 マネージャーからの提案は、私がずっと恐れていたものだった。



 事務所の考えは分かる。


 水着での仕事はアイドルの「登竜門」であり、水着グラビアで人気に火がついたアイドルはたくさんいる。


 むしろ、私たちクラスの地下アイドルにとっては、売れるための唯一の突破口とさえ言える。



 それに、私も決して水着になりたくないわけではない。


 自分で言うのも難だが、私の身体はそれなりに男性ウケするものだと思う。


 私が水着になることで、私や、私の所属するユニットが売れるきっかけとなれば、それに越したことはない。



 しかし、私は水着になることができない。



 手首の傷のせいだ。



 私にリスカ癖があることは、事務所も、メンバーもみんな知っている。


 そのことに配慮して、私の衣装は、常に手首が隠れるようなデザインで作られていた。



 そして、私の手首の状態をよく分かっていたのは、マネージャーもである。


 その上で、マネージャーは、私に水着イベントの参加を打診したのであるが、そのことを責めるつもりはない。



 マネージャーは、私のリスカ痕が以前よりも目立たなくなっていることと、コンシーラーによってさらに目立たなくできることを知って、私に提案をしたのだ。



「少し時間をください」


 持ち帰って、前向きに検討しようと思った。



 寮の部屋に戻った私は、長袖のシャツを捲る。


 だいぶ目立たなくなってきたといえ、そこにはリスカの線が並行に何本も並んでいる。


 それはとても醜いものだった。



 私は、必死になって肌色のコンシーラーを塗りたくる。



 消えろ――消えろ――消えろ――



 しかし、不思議なことに、コンシーラーを塗れば塗るほど、その線は、痛みとともに、真っ赤に浮き上がってくる――ように私には見えた。



 どうして――どうして――どうして――



 私はリスカ痕――過去の私からどうしても逃れられないというのか――



 気付くと、コンシーラーの代わりに、カッターナイフを握っていた。



 そのカッターナイフで、私は、リスカ跡をグサグサと切り刻んでいた。



 消えろ――消えろ――消えろ――



 その時に、おぞましい悲鳴を上げていたらしい。



 その悲鳴を聞いた隣室の後輩アイドルが通報し、風呂場で意識を失っていた私は、救急搬送された。



 意識が戻った時には、病院のベッドの上だった。



 水着の仕事は、すでにマネージャーが断っていた。



 なくなったのは私の仕事だけではない。それは「シャイニーシャッフル」に対して来ていた話だったので、メンバー全員の仕事がなくなった。



 ライブ活動も、私の退院までは見合わせるとのことだった。



 私がグループにいる限り、グループの仕事が制限されてしまう。


 私がいると、メンバーに迷惑を掛けてしまう。


 恩を仇で返すなんて最悪だ。


 私には、この事務所にいる資格がない。



 退院とともに、私は事務所を辞めた。



 そこは私が居ることの許される場所ではなかったのである。


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