涙の理由
深夜三時。
部屋の明かりを消し、布団に横になる。
それでも、睡魔が襲ってくる気配はない。それは、なずなと会った瞬間に吹き飛んでいったきりだ。
暗がりで姿が見えなくなっても、なずなは間違いなくそこにいる。
私の隣で、私の敷いた布団の上で、寝転んでいるのである。
「かのちゃん、一つ訊いても良い?」
吐く息が混じった、艶っぽいなずなの声。
「……何?」
「かのちゃんは、どうしてアイラッシュが好きなの?」
アイラッシュが好きな理由――そんなのいくらでもある。いつも莉亜と語り合ってる。
ただ――
「だって、かのちゃんは元々三次元のアイドルが好きなんでしょ? どうしてVRアイドルである私たちのことを好きになったの?」
このように訊かれてしまうと、答えに詰まってしまう。
正直に答えるのであれば、VRアイドルは虚構だから、ということになるだろう。
そもそもアイドルは、偶像であり、虚構だ。
ステージの上のアイドルに求められていることは、決して生身の自分を曝け出すことではない。生身の自分ではない虚構を作り出し、その虚構を愛してもらうことがアイドルの仕事である。
キャンディ・クルーズだってそうだった。
私と妃芽花がステージの上で見せていたのは、本物の私たちではなく、虚構だった。
本物の妃芽花は、ステージの上の「妃芽花」のように、たくさん笑ったり、愛想を振りまいたりはしない。
本物の妃芽花には、感情の起伏はあまりなかったのである。
私だってそうである。
本物の私は、ただの凡庸な、臆病者である。
ステージの上の私たちは虚構だった。
そうでなければ、私たちはステージに立つことなどできなかった。
VRアイドルは、実物アイドル以上に、虚構である。
言い換えれば、実物アイドル以上に純度の高い「アイドル」なのである。
ゆえに、私は、VRアイドルに魅せられてしまった。
私の大好きな虚構が、そのままステージ上で表現されていたからである。
とはいえ、なずなは、おそらくそういう洒落臭い答えは求めていないだろう。
そんな偉そうなことを言うファン、絶対に可愛くない。
だから、私は、
「ビジュも可愛いし、曲も良いから」
と、無難に答えた。
すると、なずなは、
「ありがとう。かのちゃんに見つけてもらえて良かった」
と、ホッとしたように言う。ファンとしては、合格点の回答だったようだ。
そのことを免罪符にするわけではないが、私は、ずっと気になっていたものの、訊けずにいたことを訊いてみる。
「なずなちゃん、私も一つ訊いて良い?」
「良いよ。何?」
「今日のことなんだけどさ。なずなちゃんは、どうして駅で泣いていたの?」
なずながハッと息を呑んだのが分かった。
質問をした矢先から、私は後悔をする。
調子に乗り過ぎてしまった。
なずなにとって話したくないプライベートのことを質問することは、ファン失格の暴挙である。
私は慌てて、質問を撤回しようとする。
「なずなちゃん、ごめんね。なんとなく訊いてみただけだから、別に答えなくても大丈……」
「ヒナノのことなの」
ヒナノ、というと、アイラッシュのピンク色担当のヒナノのことで間違いないだろう。
「ヒナノがアイラッシュのライブをお休みしたでしょ?」
「うん」
日付変わって昨日のアイラッシュのライブにおいて、ヒナノは欠席だった。当日に「体調不良」と発表されたのである。
「ヒナノの中の人である
「え!?」
それは私にとっても衝撃的なことだった。
アイラッシュは今から1年半前の結成当初より、現在の5人で活動している。メンバーが減ることも増えることも変わることもなかった。
仮にヒナノが辞めるとすると、初めてのメンバー脱退ということになる。
「私、皐月にどうしても辞めて欲しくないの」
それは私も同じ気持ちである。
推しはシオンだが、アイラッシュのメンバーはみんな大好きだ。
「それで、ライブ後に何度も皐月に電話をして説得しようとしたんだけど、全然ダメで……」
なずなの声に涙声が混じる。
「悲しくなって駅で泣いちゃったの。自分でも驚くくらいに取り乱しちゃったみたい。ホームを間違えるくらいだもんね」
なずなが泣いていた理由は、プライベートなものではなかった。
かといって、私が聞いて良いものだったのかはよく分からない。それは、アイラッシュの裏側の話だったのである。
「私、まだ諦めてないよ。絶対に皐月を説得して、アイラッシュに戻ってもらうから」
「私も、ヒナノには辞めて欲しくないな」
「そうだよね。アイラッシュは、私以外、誰一人が欠けてもいけないの」
「私以外?」
「私は『おまけ』だから」
「そんなことないよ!」
私は本心から否定する。
シオンは決して『おまけ』などではない。
人気もあるし、ユニットにおいて重要な役割も担っている。
キャンディ・クルーズにおける私などとは、まるで違う存在なのである。
「とにかく、絶対に皐月は説得してみせるから。私は、明日、皐月の家に行こうと思ってるの」
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