ホームからホームへ
「わーっ! すごい!! アイラッシュのグッズばっかり!!」
「シオン」ことなずなは、ワンルームの私の部屋を見て、目をキラキラと輝かせた。
なずなの第一声は、まさにそのとおりでしかない。
私には、アイラッシュ現場で知り合った莉亜を除けば、東京に友達はおらず、無論、カレシもいない。
要するに、私の部屋への立ち入りが想定されるのは、たまに様子を見に来る親と、莉亜くらいであり、ともに私の趣味を痛いほど把握しているのだ。油断しきった私は、部屋をアイラッシュ仕様にしていた。
元々の白い壁が見えないほどにポスターやサイン色紙が飾られており、棚にもCDやアクリルスタンドなどのグッズが並ぶ。
そのほとんどがアイラッシュ、というよりも、シオンのものであるから、この場面では尚更きまりが悪い。
私は今、人生最大ともいえる羞恥心を味わっていた。
「このサイン、早速飾ってくれてるんだ!」
なずなが指差したのは、先週の日付の入ったサイン色紙である。言うまでもなくシオン、すなわち、なずなが書いたものだ。
「ただのファンだから……」
「かのちゃん、ありがとう! 大好き!」
なずなが後ろから私に抱きつく。
――柔らかい。そして、やっぱり良い匂いがする。
私の頭はオーバーヒート寸前だった。
あまりにも急展開である。
まさか駅でたまたま声を掛けた女性が、私の推しメンで、しかも、その推しメンが私の家に泊まりに来るだなんて!
冷静に考えれば、大手町駅になずながいたのは、VRアイドル専用劇場が大手町にあって、そこでアイラッシュがライブを行っていたからであり、私が大手町にいた理由と同じである。
駅で遭遇したことは、全くの偶然ではない。
家に泊めることになったのは、不可抗力である。
なずなは明らかに終電を逃していて、宿を必要としていた。
そして、何より、推しメンに「家に泊めて!」と言われて拒否できるほど、ファンは偉くはない。
正確にいえば、なずなは「推しメン」ではなく、推しメンの「中の人」だ。
しかし、そこに大きな差はない。
VRアイドルのファンは、結局、中の人のファンなのである。歌とダンスを提供しているのは、中の人であるし、今まさに指差されたサインを書いているのも、バーチャル握手会で対応しているのも、全部中の人なのである。
それに――
シオンの中の人であるなずなは、そんじょそこらの実物アイドルよりもはるかに可愛い。
顔はモロに私のタイプで、実物アイドルとして出会っていても、間違いなく推していた。
そんななずなからバックハグされたら、私のようなファンは――
「かのちゃん、大丈夫!? 目眩!?」
「……ううん。大丈夫。何でもない」
なずなが後ろから支えてくれなければ、倒れていただろう。
それで何かに頭を打って死んだとすれば、死因は「尊死(とうとし)」といったところか。
「かのちゃん、横になった方が良いんじゃない? 布団とかある?」
「布団……あ、そうだね! 今出すね!」
この状況で唯一の救いは、 「ここを私の第二の家にするから!」と言って、莉亜が布団セットを買って、我が家に持ち込んでいたことである。
仮に一つの布団で推しメンと眠ることを強いられていたら、「尊死」を覚悟するしかなかっただろう。
床に置かれているのも、大抵がシオンのグッズである。
言うまでもなくぞんざいに扱うわけにはいかず、丁寧に端に避け、布団を敷くスペースを確保する。なずなは立ったまま、その様子を見つめている。
穴があったら入りたい、という気持ちと、早く布団を敷かねばならぬのでそんな暇はない、という気持ちの板挟みである。
ようやく私が布団を二セット敷き終えた時、なずなの視線は、
「この写真に写ってるのって、かのちゃんだよね?」
私は反射的に、なずなの視線の先にある写真立てを回収する。
ビーチフラッグ競技さながらの早業だった。
「なずなちゃん、今のは忘れて!」
「今、かのちゃんの隣に写ってたのって、大椿妃芽花だよね?」
――最悪だ。なずなは地下アイドルに詳しいのである。
ましてや、妃芽花は、今や半地下、いや、もはやメジャーアイドルの部類に入る売れっ子なのである。
その妃芽花と、お揃いのフリフリのアイドル衣装を着て写ってる写真は、私の最大の恥部である。未練たらたらに飾っていたのは、明らかに失策であった。
「かのちゃんって、昔、ひめきゃんと一緒にアイドルをやってたの?」
ひめきゃんとは、妃芽花の今の愛称の一つである。
「うーん、覚えてないなあ……」
我ながらあまりにも苦しい弁明である。スキャンダルを起こした国会議員並みに白々しい。
「やっぱり私の見立てどおり、かのちゃんはアイドルだったんだね!」
当然に、なずなは、私の発言を「自白」と捉えた。
終わった――
「かのちゃんはいつもVRゴーグルをしてたけど、私は、かのちゃんのこと美少女だって見抜いてたよ!」
VRアイドルのライブやイベントでは、ファンは常にVRゴーグルを付けている。
ゆえに、私が名乗るまで、なずなは、私がアイラッシュ現場に足繁く通うファンだとは気付かなかったのである。
常にボイスチェンジャーを使っているため、私が、なずなのことをシオンの中の人だと気付かなかったことと同じように。
「いや、私はただの引き立て役だから……」
「かのちゃん、謙遜し過ぎ! こんなに可愛いのに!」
なずなが私の頭を撫で撫でする。
――誰か助けてくれ。こんな状況、心臓がいくつあってももたない。
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