心の音色(リアナ視点) 中編

「それ……」


 私がヴァリンを指さすと、彼はムッとした表情になった。


「何だよ。うるせぇって言いたいのか? いつもは誰も来ない場所なんだから、嫌ならあんたが別の場所に行けよ」

「違う、そうじゃない。あなたのヴァリンの音、今まで聞いたどの奏者よりも綺麗だった」


 私の言葉に彼は顔を逸らした。


「は……そうかよ。別に誰かに聴かせるためにやってるんじゃねえから、そういうのはよく分かんないけど」

「いつもここで弾いてるの?」

「最近このあたりに引っ越してきてからはそうだな。この街は魔法だ、貴族だって息が詰まる。そういうの全部忘れたくてここに来てるんだよ」

「へぇ……」

「そういうあんたはこんな場所へ何しに来たんだ?」

「私も、嫌なこと忘れたくてここに来た。私にとってソレは息が詰まるものだから」


 そう言って彼が手にしたヴァリンに視線を向けた。


「おかしなこと言うな? 音楽ってのは自由なもんだろ」

「自由っていうのがよく分からない。自分の出す音は好きじゃない」


 私の言葉に彼はヴァリンを差し出した。


「弾けるんだろ」


 それを受け取って構える。一曲弾いてみたけど、やっぱり自分の出す音は硬くて好きになれなかった。


 ヴァリンを彼に押し返す。


「あんたの音、下手くそじゃないけど無機質な感じがするよ。感情が伝わってこない」

「……そういうのは、苦手」

「そうか。自分の感情のままに音を出せるようになったら、もっと楽しめるようになると思うけど。弾いてて自分の感情と向き合えることもあるし。引き留めて悪かったな。俺はもう少しここで弾いていく」


 そう言ってヴァリンを構える。私は近くの岩に腰掛けた。彼は驚いたようにこっちを向く。


「おい、何やって……」

「私はここであなたの音を聴いていたい。だめ?」

「……勝手にしろ」


 彼はヴァリンを構えなおした。




 その日から自主練習の時間を使って川辺へ通うようになった。やってきた私を見て、彼はいつもムッとした顔で言う。


「今日も来たのかよ」


 そう言うと、彼の立つ隣の岩に置いていたヴァリンケースをどかした。空いたその場所に腰掛ける。


「毎日毎日こんなところに来て楽しいのか? これは嫌いなんだろ?」


 そう言って手にしたヴァリンを持ち上げた。


「自分で弾くのは好きじゃない。でもあなたの音は好き」

「……そうかよ」


 彼はヴァリンを構えると、美しい音色を奏でた。


 毎日彼の音を聴いて、分かるようになったことがある。一曲弾き終わった彼はヴァリンを下ろした。私は彼を見上げる。


「今日の音、いつもより尖ってた。何かあった?」

「あ……?」


 驚いた顔で私を見た後、ドカッと岩に腰掛けた。


「親に学校へ行けって言われた。貴族としての教養だとか、魔法の修練だとか、ごちゃごちゃめんどくせぇんだよ。学校になんて行かなくたって自分一人で出来るのによ。チッ……ほんと腹立つ」

「学校は楽しい。想像してたよりずっと」

「何だよ、あんたもそうやって説得したいのかよ」


 そう言って彼は嫌そうな顔をする。


「学校にはいろんな人がいて、そういう人達と関わって初めて知ったことがたくさんあった。初めて友達が出来て、一緒にご飯を食べたり、助けてもらったりして、新しい居場所が出来た」


 エマとルイス、あとはジキウスやテムル、他にもたくさんの人たちが私に感情を教えてくれた。元の国にいた時よりもずっと鮮やかな感情。嬉しい気持ちも苦しい気持ちも、はっきりと自分の中で現れるようになった。


「あなたの味方になってくれる人も、きっといると思う。あなたはいい人だと思うから」


 私の言葉に彼は頭を乱暴に掻いた。


「ああ、クソっ! あんたはどうしてそんなにむず痒いことを言うかなぁ? 俺の音が好きとか、いい人とかさぁ! そういうの慣れてないんだって……」

「よくないこと言ったならごめん」

「チッ……そうじゃねえって。だから、真っ直ぐなことを言われると照れんだよ。ここまで言わせんな」


 そう言って彼は顔を背けた。


 なんだろう、この感情。胸の奥がふわふわするみたいな。


 彼はハァっとため息をついて私の方を見た。


「大体、何で言葉ははっきり言えるのに、ヴァリンではそれが出来ないんだよ。口にしなくてもいいんだからよっぽど簡単だろ」

「ヴァリンで何を伝えるの?」

「あ? そんなの何でもいいんだよ。腹減ったでも、あんなこと言われてムカつくでもさ。あんたの今思ってることを音にすればいいんだよ」

「今思ってること……」

「ほら」 


 そう言ってヴァリンを渡される。よく分かっていないまま、それを受け取って立ち上がった。


 弾きながら思いを巡らせる。ヴァリンは好きじゃなかった。でもお父さんの望みは叶えてあげたかった。私が自分の出す音を好きになれれば、きっとヴァリンを好きになれる。好きになればもっとうまく弾けるようになって、お父さんの期待にも応えられる。そう分かっているのに、自分の音は変わらない。


 だけど最近、やっと好きだと思える音に出会えた。もしかしたら私も変われるのかもしれない。好きになれるのかもしれない。


 あ……今の音、ちょっと良かった。


 一曲弾き終えて、また岩に腰掛ける。


「最後の方、よかったんじゃないか。あんたの気持ちが入ってた」


 彼は川の方を眺めながらそう言った。


 やっぱり。この人のおかげで私は変われるのかもしれない。


「ねえ、私にヴァリンを教えて」


 そう言って腕を掴むと、彼は驚いた顔でこっちを向いた。


「教えるって、俺は趣味でやってるだけで……!」

「お願い」


 彼は迷うような表情の後、大きなため息をついた。


「仕方ねぇな。後から文句言うんじゃねぇぞ」


 優しい彼はそう言ってくれる気がしていた。

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