学者さまのスケッチ係

くれは

第1章 精霊の生まれる森

1:はじめての土地で

「イリスさん、到着して早速ですけれどスケッチをお願いします。まずはこの建物の中のものからですかね」

「はい、ローワンさま」


 ローワンさまの言葉に頷いて、わたしはさっそく大判の帳面とペンを取り出した。

 この高価で貴重な魔法のペンを使うのはまだ緊張する。


 震えそうになる手を落ち着けて、わたしは何を描こうかと部屋の中を見回した。


 ローワンさまは、この村の人と何事かを話しながら、手帳に何事かを書きつけている。

 その言葉はわたしの知らないものなので、何を話しているかはさっぱりわからない。

 けれど、それもローワンさまの調査。

 わたしがこうやってスケッチ──絵を描くのも、ローワンさまの調査。


 この部屋は、この村でローワンさまとわたしに与えられたものらしい。

 つまり、しばらくここで寝泊まりするということだ。

 だというのに、ベッドがないのが気になった。それとも、寝室は別なのだろうか。


 床は木でできている。

 木目の見える木の板が敷き詰められている。

 表面は滑らかに磨かれていて、触り心地は良い。

 その上に織物が敷かれている。

 床に上がるときに靴は脱ぐように言われたから、今は靴下でそこに立っている。少し心もとない気分だ。


 壁も木でできている。

 木の太い柱を渡すように木の板が横に並んでいる。


 天井を見上げれば、それも木だ。

 外から見た感じ、屋根も木だった。

 この村は森が近い。だから木が豊富らしい。


 わたしは紙の上にペンを走らせる。

 木の柱。壁。床の木目。その上に敷かれた織物の模様。

 織物の模様は独特だったけれど、それを見て描き写しているうちに、それが草木をモチーフにしたものではないかと思えてきた。


 たくさんの木。葉っぱ。蔦のような草。花。

 単純化されているけれど、きっとそうだ。

 ところどころ色合いの違う糸が登場するのは、これは鳥の姿だ。


 緊張が落ち着いてくると、そんな気付きも楽しくなってきて、わたしは紙の上に織物の模様を描いてゆく。


「森をデザイン化したものでしょうね」


 いつの間に話を終えたのか、ローワンさまがわたしのすぐ脇に立って、わたしの手元を覗き込んでいた。


「ひ、ぇ」

「ああ、すみません、どうぞそのまま続けてください」


 見られていると思うと緊張する。

 一度止まってしまった手は、なかなか動き出さない。


「えっと、あの……ごめんなさい」

「謝らないでください。こちらこそ、驚かせて邪魔をしてしまってすみません」


 うつむくわたしに、ローワンさまの困ったような声が降りかかってくる。

 ちゃんと描いて役に立たなくては。頑張らなくては。

 そう思うのに、体は固く、思うように動けない。

 そのまま動けないでいると、ローワンさまは手を持ち上げて、わたしが描いた織物の模様を指差した。


「イリスさん、あなたはこれがなんの模様だと思いますか?」

「その、それは……」


 言葉がうまく出てこなくて、喉元に引っかかる。

 わたしなんかが思ったことを言ってしまって良いのだろうか。

 見上げれば、ローワンさまは穏やかに微笑んでいた。


「なんでも構いません。思ったことを言ってみてください」

「あの、木……とか、草、とか……」


 自信がなくて小さくなってしまったわたしの言葉。

 でもローワンさまにちゃんと届いたらしい。

 ローワンさまは嬉しそうに大きく頷いた。


「ええ、ええ。僕もそう思います。もっと言えば、これは森の姿ではないかと」

「森……」

「こういった植物が身近なんでしょうね。よく特徴が現れています。この蔦のような植物は、実物を見てみたいですね。どういった植物なんでしょうか。意匠になっているということは、何かしら意味があるのかと思われますが」


 ローワンさまが興奮気味に、早口で言葉をあふれさせる。

 その骨ばった指先が、わたしが描いた線を辿ってゆく。

 そして、鳥のような模様の上で、ぴたりと止まった。


「ああ、ここの、これ、これは鳥のように見えませんか?」


 その言葉は、独り言なのか、わたしに向けてのものか、わからなかった。

 けれど、ローワンさまがスケッチから視線をあげてわたしを見たので、わたしは慌てて頷いた。


「えっと……はい。わたしも、鳥だと思いました」

「この鳥も実物が見たいですね。身近な鳥なのか、何か意味があるのか、非常に興味深いです。ああ、他の織物も見せてもらいましょう。欲を言えば実物も欲しいですが、織物は荷物になりますからね。っと、失礼しますよ」


 ローワンさまはペンを取り出すと、わたしの帳面に文字を書き込む。

 わたしは文字が読めないからローワンさまが何を書いているかはわからない。

 けれどどうやら織物の模様について、説明を書き加えているようだ、というのはわかった。


 ローワンさまはいつもそうしているから。

 わたしがスケッチをして、それについて話すと、そのスケッチに説明を書き加える。


 それもローワンさまの調査。

 つまり、わたしはローワンさまの調査のためのスケッチ係。


「模様の特徴をよく捉えている。素晴らしいスケッチです」


 説明を書き加えながら、ローワンさまはそう言った。

 突然に褒められて、わたしは落ち着かなくなってうつむいた。

 ローワンさまに褒められると、胸の奥に炎が灯ったような気分になる。

 どう反応して良いかはまだよくわからないけど、でも、そのたびに頑張らなくては、と思うのだ。


「えっと……その、あの、ありがとう、ございます」

「やはり、あなたを選んで良かった」

「いえ、そんな……わたしなんて、その」


 ローワンさまは説明を書き終えたのか、顔をあげた。そのままわたしは顔を覗き込まれる。


「もっと自信を持ってください。あなたのおかげで僕の調査はとても順調なんですから」

「えっと……はい」


 かけられた言葉とは裏腹に、うつむいてしまう。

 こういうまっすぐな言葉に対して、わたしはどう応じて良いのか、わからない。

 だからローワンさまはいつも優しい言葉をかけてくれるのに、わたしは黙ってうつむいてしまうばかりだった。


 それでもローワンさまは、わたしのそんな様子も気にしないように、笑顔で言葉を続けた。


「そうだ。さっき、食べ物をもらったんです。イリスさんの分もあるので良かったらどうぞ」

「え、あの、はい」


 わたしは帳面とペンを手に持ったまま、瞬きをしてローワンさまを見る。

 ローワンさまは手に、一口大の塊──パンのような、焼き菓子のような見た目のものを持っていた。


「木ノ実を粉にして焼いた……パン、と呼んでも差し支えないでしょうね。生地にドライフルーツが練りこんであって、あ、実は僕はさっきひとつ味見したんですけど、美味しかったですよ」

「あ、では、今片付けますから」


 慌てて帳面を閉じようとするわたしを遮るように、ローワンさまはそのパンのようなものをわたしの口元に差し出してきた。


「どうぞ」


 ローワンさまの笑顔に、わたしはおずおずと口を開く。

 柔らかな生地に唇が触れると、ローワンさまの指がそれを口の中に押し込んでくる。

 その指先が、唇を撫でるように触れて、離れてゆく。


 噛み締める。

 生地の香ばしさが口に広がる。

 ドライフルーツの酸っぱさが、舌への刺激になる。

 唾液と混ざった生地を何度も噛んでいると、ほんのりとした甘さも感じられた。


「どうです? 美味しいでしょう?」


 口の中がふさがったままのわたしは、慌てて頷く。

 ローワンさまはわたしの様子を見て楽しそうに笑った。

 それから、穏やかに目を細める。


「本当に、あなたのような人と出会えて嬉しいです、イリスさん。結婚なんて無茶も引き受けてくださって」


 わたしは口の中のものを慌てて飲み込んで、首を振る。


「そんな、わたしなんて」

「そう言わないでください。あなたの描くスケッチは素晴らしいですよ」


 ローワンさまはそう言うのだけれど、わたしにそんな自信はない。

 わたしはもっと頑張ってローワンさまのお役に立たなければならない。


 だってわたしはそのために、ローワンさまに買われたのだから。



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