9.

「着いた! ここの温泉久しぶりだなー」


「小さいころ家族と来たことあったんだっけ?」


「そうそう! そういえば誠吾は来たことなかったよね」


「うん。一度はここに来たいとは思ってたけど、まさかこんな形とはね」


「それは、まあ……」


 彩紗は申し訳なさそうに笑う。


「よく考えてみたらさ、誘拐なのにこんな分かりやすい観光地に来ちゃったらムード台無しだよね」


「確かに。もっと密林の奥とかに連れて行くべきだったな」


「それは絶対に嫌。私が無視苦手なの知ってるくせに」


「まあまあ。とりあえずチェックイン済ませてくるから、待ってて」


 拗ねるように頬を膨らませる彩紗をなだめ、俺は受付に向かった。



*****



「うん。いってらっしゃい」


 誠吾は笑って受付の方に歩いていく。


「ほんと、君だけなんだよ」


 私が信頼できるのは。ずっと君だけだった。こんな無理を言って、連れまわして、からかって。それでも私と一緒にいてくれるのは、優しい君だけ。

 きっと、君だって私に伝えたいことがあったはずだよね。家の前で私を見つけてくれた時、何か言いたそうにしてたもん。でも、私が悩んでるのすぐに見抜いて、全部隠したまま付き合ってくれた。


「お待たせ……どうしたの?」


「ううん。ちょっと考え事してただけ。チェックインありがとう」


 心配そうにこちらを見る誠吾に、精一杯の笑顔を見せる。


「いえいえ。じゃあ行こうか」


「……うん」


 誠吾に続いて私も歩き出す。


「そういえば何部屋取ったの?」


「あ、そういえば言い忘れてた。一部屋だけど、ちょっといいところが偶然開いてたから、寝るところは分けられそうなんだ」


「そ、そっか」


「一応その分別はあるから安心して」


「まあいいけどね。私は」


「俺が持たないんだって」


「ふふっ」


 焦って答える君。本当に、君といる時は自然と笑ってしまう。


「着いた。カギをタップして、っと」


 ピッ、という電子音が鳴り、誠吾がドアを開ける。


「おおー! やっぱり広い」


「すごい……あ、そういうことね」


「そうそう。和洋一体型で、ベッドが一つと布団が数枚ある部屋だから、寝るときにこの障子を閉めれば大丈夫」


「うわー! いい景色ー! センスいいじゃん!」


「……ふふっ」


「な、何よっ」


 後ろで笑みを漏らす誠吾に振り向く。


「彩紗が子どもっぽくて、つい」


「そういう誠吾だって、部屋入った時わんぱく少年そのものだったよ?」


「だ、だって……」


「もう、おあいこでいいでしょ? ねぇねぇ、ちょっと歩こうよ。夜はここで歩いたことなかったんだー」


「いいよ。じゃあ貴重品だけ持って出ようか」


「うん!」


 きっとこの胸が高鳴るのは、夜の散歩のせいだけじゃない。



*****

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