あなたとはじまる恋の話

むい

第1話 そして始まる


「僕の恋人になってください」

「...ごめんなさい」



切長の眼にスっと通った鼻、形の良い唇、短く切り揃えたサラサラの銀髪。隣に並ぶのも恥じらうほど美しく凛々しい男の人。そんな人に心地の良い低音で愛の告白をされてしまえばきっと誰もが頷いてしまうのだろう。


レイモンド様。

ずっとずっと好きだった人。


公爵家の嫡男である二歳年上の彼と第三皇女である私は幼い頃から何度も顔を合わせてきた。


今思い返せば一目惚れだったのだと思う。

初めて会った日から今日まで気が付けば彼をずっと目で追いかけていた。


美しい姉や兄とは違って髪色や顔立ちも地味な私。兄姉達は纏う空気さえ別格で...。


姉様達のように美しければ自信が持てただろうか。兄様のように威厳があれば胸を張れただろうか。

どれも、持ち合わせていない私は兄姉の後ろに隠れているのがお似合いだった。


 だから、レイモンド様から告白されるなんて思ってもみなかった。彼と話したことがあるのは数えるほどで、彼に好意を抱いてもらうにはあまりに足りない。そもそも、好意を抱いてもらうほどのものなんて持っていないのだ。ーーーいや、ひとつだけ。


私が"皇女"だから。


私自身には何もない。けれど、肩書きだけは一丁前でこれ以上ないほどのものだ。

きっと、皇族から姫をもらうことは貴族たちにとって利益につながるだろう。

だけど、私にだって意地がある。何の取り柄もないくせにプライドだけは一丁前で、皇族に生まれたにも関わらず、責任を投げ出して夢だけは抱き続けている。でも譲れないのだ。この恋心だけは、私の大切なものなの。どんなに辛いお稽古だって勉強だって、貴方に少しでもよく見られたくて頑張った。どんなに嫌いな社交の場にだって兄姉達と比べられる視線に耐えながらも、あなたの視界に少しでも入れるならと、笑って立っていられた。この恋心はずっと私を支えてくれたものだ。だから、大切にしたい。

だから、愛のない告白にこの恋心を差し出す気などないのだ。


心が躍らなかったわけじゃない。何も知らない私ならきっと涙を流して喜んだはずだ。

だけど見てしまったの。貴方が他の御令嬢と腕を組んで歩いているところを。背の高い貴方と変わらないほどの身長に、スリーブから出たすらりと長い腕。隣に並んでいても釣り合う美しさ。そして、何よりも貴方の言葉。

『お前は本当に綺麗だな』

少し砕けた口調に二人の距離の近さを感じた。その時悟ったの。

あぁ。この恋心は一生私だけのものだ。渡す日なんてこない。

泣かなかった。感情を表に出してはいけない。これでも、私は皇女なのだ。誇り高き皇族。だから泣かないのだ。


愛のない告白に頷くわけにはいかない。お父様が決めた婚約ならば文句一つ言わず頷く覚悟はできている。けれど、彼が口にした言葉はそんな正式な契約ではない。ならば、私の答えは一つだ。


「私、好きな人がいるんです。だからレイモンド様もどうか、好きな人と結ばれてください」


あの時でさえ、泣かなかったのに、ずっと思い続けてきた彼が告白をしてくれた今泣きたくなんてなかった。だから溜まる涙が流れてしまわないように瞬きを我慢して彼を見つめた。


「それは...出来ませんね」


 彼は困ったような顔で笑って私にそう答えた。

 どうして出来ないのだろう。彼ほどの人であれば、誰しもが喜んで受け入れてくれるだろう。もしかして、身分が彼の恋を邪魔しているのだろうか?以前見かけた女性はドレスを着ていたから貴族だとばかり思っていたけれど違ったの?


「どうしてですか?」


聞かなくてもいいのに、聞かずにはいれなかった。


「今、振られてしまいましたから」

「え?」


彼の言葉を理解するのに数秒。理解した後は悲しみとちょっとした怒りが沸いた。

これでも頑張って言葉を繕ったのだ。喜ぶ無様な心に蓋をして精一杯の微笑みでこの時が過ぎるのを待っていたのに、彼はまだこの時間を続けようとする。なんて酷い人なのだろう。


ずっと我慢していた雫が一粒ニ粒と溢れ出した。酷い。酷いよ。この恋心を、守りたいのに、なのに、この恋心は外に出せと暴れ出すのだ。


「ノエル様、どうなさったのですか?」


 私にハンカチを差し出す彼の初めて見る慌てる姿に心の余裕が無くなっていく。こんな時なのに、彼がこんなに近くにいるのは初めてだなと心が疼く。


「...レイモンド様が私の心を乱すからいけないのです」

「え?」

「肩書きが欲しいのであれば、陛下に直接申し出くださいませ。レイモンド様ですもの、父上もきっと喜んで許可をくださることでしょう」


言いたいことは言った。あとは無様な泣き顔をしまってこの場を立ち去るだけだ。


「さようなら」


振り返って一歩足を踏み出そうとした時、足にドレスが絡まって視界が傾いた。アッと思った時にはもう足の踏ん張りも効かず、来る衝撃に備えて目を瞑った。けれど、予想した衝撃とは裏腹に、体は重力に逆らい背後へと引っ張られ、大きな温もりに包まれる。硬く瞑っていた目を開けるとそこには相変わらず美しい花の庭園が広がっていた。

瞬きを一つして首から胸にかけての圧迫感に息を呑んだ。背中から暖かく大きなものに優しく包まれる感覚は兄様がよくする戯れ合いとは違って確かな熱を帯びている。


ーーーレイモンド様に背後から抱きしめられている。ハッと息を飲み、何を言えば良いのか分からず、包み込む腕にそっと手を添えた。


「ノエル様はひどいな」


 混乱している私にさらに追い討ちをかけるように、水分を帯びた熱い吐息が耳を包み込む。それと同時に柔らかな唇が耳たぶを掠め、甘い痺れが全身を駆け巡った。


「な、な、なっ」


何か言葉を発しようとはくはくと口は開閉を繰り返しているのに肝心の言葉が出てこない。

全ての神経が耳に集中して、何も考えられなくなっていく。


「僕がノエル様を身分で見ていると?ならば、僕は公爵の継承権を弟に譲り、身一つで貴女を攫いにいきましょう。爵位などなくとも、僕の経営している商会だけでも不自由ない暮らしを貴女に約束できる。けれど、僕に爵位がなければ、陛下は貴女と僕の関係をお許しにはならないでしょう」


 私を抱きしめる腕の力が少しずつ緩んでいく。


「貴女の身分に僕は興味が無い。興味があるのは貴女に関わる権利がある自身の爵位だけです。...ねぇ、ノエル様僕自身をみて」


 消え入りそうな声で紡がれた最後の言葉は私の心の声と重なって切なさが込み上げる。抱きしめる彼の腕が再び私を強く捕らえ彼の鼓動と私の鼓動が重なった気がした。


「.....見てましたよ。幼い時から、ずっと」


美しい貴方に憧れた。いつも微笑みを絶やさず、いつも胸を張り、いつも人に囲まれて、紳士で優秀で、完璧な貴方に嫉妬して、焦がれた。

 貴方のようになりたかった。貴方のような人に認められたかった。姉の様な美しさも兄の様な優秀さも持たず、皇族というドレスに着られた出来損ないの皇女。

それでも、貴方に夢を見た。いつか貴方に選ばれたなら、私は本当のお姫様になれるかもしれない。そんな打算だらけの幼い恋。


「知ってましたよ」


「ーーーえっ?」


「貴女が僕を見ていた事を。いつも表情は繕っていても貴女の瞳は不安で揺れていた。けれど、僕を見つけた時だけは、ただ真っ直ぐ僕だけを見つめてくれた。それに気がついた時、自身の胸で騒ぐ何かを感じたのです。もっと貴女の、その琥珀色の瞳に見つめられたい。いつの間にかそんな風に思っていました。この気持ちが何なのか知りたくて、もっと貴女に近づきたくて、目が合えば貴女の元へ行こうとするのに、いつも貴女は逃げてしまう。....でも、今は僕の腕の中にいる。どうしよう、もう離したくない。この腕を離したらまた逃げるの?ノエル様」

「ッッ!?」


 名を呼ばれた直後に甘い痛みが耳を襲う。耳を噛まれ、熱い吐息がかかり全身を電気が走った感覚に襲われた。

脚は立つことを忘れ、力が抜けていく体。

けれど、倒れることはなく腰にまわった彼の腕が頼りない体を支えてくれる。


このままでは呑まれてしまう。


そんな理性は働くのに体がついていかない。何か言わなければ、このままではダメだ。


「レイモンド様離して。こんな所誰かに見られては...」


そう言うのが精一杯で。

自身の鼓動がうるさくて堪らない。

冷静な判断が出来ない今、これから私はどうなってしまうのだろう。


「大丈夫だよ。誰にも見られない。

その為にわざわざ、公爵邸にお茶のお誘いをしたのだから。そもそも、今日は貴女以外にここに来る人はいない。それに、ここは護衛にもメイドにも死角になる場所だからね、安心していいよ。貴女のこんな可愛い姿を誰にも見せるわけにはいかないからね」


彼の口調がどんどんと変わっていく。

婚約者でもなく、恋人でもない男女が密着しているなど、はしたないことなのに、こんな状況でも、彼の口調の変化に喜んでいる私は本当にどうしようもない。


「この気持ちが恋なのか分からない。けれど、確かに貴女に惹かれている。名前だけで結ばれる世界に生きる僕達が、こうしてお互いを意識している。それだけで十分だと思わない?



ねぇ、僕は貴女と恋がしたい」



 

 気が付けば、力が入らなかった体はスルリと彼の腕をすり抜け、向きを変えて彼へと抱きついていた。彼の胸に顔を埋めた拍子に装飾のボタンがおでこ当たって痛かったけれど、のぼせきった思考には丁度良かったのかもしれない。


「...私も」



私も貴女と恋がしたい。何も誇るものがない私が、胸を張って愛を語れるように。








「ねぇ、レイモンド様...」

「なに?ノエル」


「.......以前、お見かけしてしまったのですが、腕を組んで一緒に歩いてらした、背の高い綺麗なご令嬢は...どなたですか?」


「背の高い....?

あぁ、グリアスのことか。グリアス・ノートンだよ」


「グリアス・ノートン...ってノートン伯爵家の?」


「そうだよ。あれは、あいつの趣味で、遊びに付き合ってやってただけだ」


「そうでしたか」


やっと聞けた。




今日は彼と恋人になってから、定期的に行なっている彼と私だけのお茶会。公爵家の綺麗な庭園で、用意されたふかふかのガーデンソファに座り二人だけの時間を過ごしている。

彼との時間もそれなりに過ごしてきた。

そろそろ、ずっと気になっていたことを聞いても良い頃かと思い、勇気を振り絞って聞いてみたけれど、良かった。彼の友人の趣味はよく分からないけれど、ずっと気になっていたことが分かってなんだかスッキリだ。


緊張してせいで乾いた喉を潤すために、用意してもらったハーブティーを一口飲む。

ミントの爽やかな香りがさらに心を軽くしてくれるようだ。何だか今日はゆっくりこころ穏やかな時間が過ごせそう。


「ところで、ノエル」

「はい。何でしょう?」

「いつ公爵家に来てくれるの?」

「ん?次のお茶会ですか?えーっと次は確か来週のーーー」


彼の人差し指がぷにっと私の口を封じてしまう。言葉が出せない今、彼の意図が読めなくて首を傾げることしか出来ない。


「違うよ。いつ僕のお嫁さんになってくれるの?はやく僕の孤独を慰めてよ」


彼の瞳に熱が灯った瞬間を確かに見てしまった。身の危険を感じた体は後ろに下がろうとするけれど、二人がけのソファ故に動く余白が少ないことに加え、いつの間にかしっかり腰を抱かれて身動きが取れなくなっている。

迫る彼の視線が胸を締め付ける。彼の胸を軽く押して抵抗するけれど、それももはや何の意味もない。


「ちょっとまだ...心の準備が...あはは」


「じゃあ、その準備、手伝ってあげようか?」


彼が私の耳に牙を剥く。




どうやら、今日も今日とて、私の心は穏やかとは無縁のようだ。



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