お、お父さん?

 結菜のあとをついて家の中へと入る。

 豪邸の玄関はウチの二倍くらい広かったが、まだ引っ越したばかりからか何も置いていなく思っていたよりも普通の家だった。


「おじゃましまーす……」


 無意識に小さい声になる。

 靴を脱いで上がると、二人で廊下を進んでいく。するとしばらく進んだ場所に、中から部屋の明かりが漏れる部屋があった。結菜はその部屋の前で足を止める。


「琉貴、ちょっとここで待ってて」


「ああ、分かった」


 結菜はそう言うとニコリと笑顔を作り、ドアを開けて部屋の中へと入って行った。

 廊下に一人取り残された俺の心臓はドキドキと鼓動を早くしている。


「お父さんお母さん。今ちょっといいかな」


「うん? どうした? 何かあったか?」


「えっとね、会わせたい人が居て」


 結菜と結菜のお父さんが話す声が聞こえてくる。

 こんな感じでお父さんとお母さんに紹介される流れになるのか。そう思うと更に緊張してしまう。


「こんな時間にか?」


「うん。もうそこまで来てて……」


「そこまで来てるだと!? こんな時間に……もう家の中に居るのか……」


「うん。もう廊下に居る」


「……分かった。廊下で待たせるのは寒いだろうから連れて来なさい」


「ありがとう〜」


 そんな会話が聞こえて来たかと思うと、結菜がドアを引いた。


「琉貴、入っていいって」


「おう。ありがとう」


 結菜は大きくドアを開く。中に入って行くと、まだソファーとテレビとテーブルしか置いていないリビングだった。リビングの中には、色々なダンボールが詰まれている。

 そしてソファーの上には、夫婦仲良く結菜のご両親が座っていた。結菜のお父さんとお母さんは俺のことを見て目を大きくさせている。

 結菜のご両親と会うのは初詣以来だ。


「君はたしか……堀井琉貴くん……だったよね……?」


 結菜のお父さんは驚きを隠せない表情のまま尋ねると、瞼を何度もパチパチとさせた。


「はい。結菜さんと仲良くさせて貰っている堀井琉貴です。夜分遅くに突然お邪魔してしまってすいません」


 俺は腰を曲げるお辞儀をする。顔を上げてみても、結菜のご両親は目を白黒とさせていた。


「どうして堀井くんがこんなところに……どうやってここまで来たんだね」


「えっと……電車を乗り継いで来ました。最寄り駅からは自転車ですけど」


「電車を乗り継いで……それはさぞ大変だったよね」


「まあそうですね。スマホを家に忘れて来ちゃったんで、道が分からなかったりして大変でしたね」


「そうか……でもどうしてそこまでしてここまでやって来たのだね」


「それは──」


 俺は一瞬だけ言葉を詰まらせたものの、覚悟を決めて床の上に手を着いて正座をした。そのまま勢いよく床に頭を擦りつける。


「娘さんを東京に連れて帰るためにここまで来ました! 娘さんのこれからの人生を僕にください!」


 ああ。これで土下座をしたのは今日で二回目だぞ。一日に二回も土下座をしたのは今日が初めてだ。

 床に頭を擦りつけたまま、俺はじっと結菜のご両親からの言葉を待つ。そのまま十秒ほどが過ぎ去ろうとすると……。


「本気で言っているのか?」


 お父さんの語気が強くなった。結菜のお父さんはやや強面なので、それだけでギクリとさせられる。


「もちろん本気です。本気じゃなきゃ何時間も掛けてこんなところまで来ません」


 だから俺も強気になる。強気にならなくちゃ負けてしまうと思った。


「向こうで結菜に一人暮らしをさせる気か?」


「いえ、僕の家に住んで貰います」


「両親はなんて言っているんだ」


「許可は貰っています」


 それを聞いた結菜のお父さんは、ううむと唸りながらしばらく口をつぐんだ。


「まあ、まずは顔を上げなさい」


「嫌です。娘さんをくれるまで顔は上げません」


「顔を上げないと会話が出来ないでしょう」


 それもその通りだ。俺はそう思ったので、素直に顔を上げる。するとソファーの上では、困った顔をする結菜のお父さんと微笑ましそうに笑っている結菜のお母さんの姿があった。


「お父さんお母さん。私からもお願い。私、まだまだ琉貴と一緒に居たい」


 結菜はそう言いながら、俺の隣に正座をして座った。結菜が隣に居てくれるのなら心強い。

 正座をしている俺と結菜のことを見て、結菜のお父さんは困ったように短くため息を吐いた。


「まず最初に聞きたいのは、結菜と琉貴くんは友達同士だったはずだよな」


「昨日までは友達同士でした。でもついさっき、彼氏彼女の関係になりました」


「…………まあ初詣の二人の様子を見る感じ、付き合ってない方がおかしな話だとは思っていたから今更驚く気はないけども……」


 たしか初詣では俺と結菜が手を繋いでいるところを見られたんだっけ。そりゃあそう思われるのも無理はないか。


「ねえ、琉貴くん。結菜を東京に連れて帰ったら高校はどうするつもりなの?」


 ここで初めて結菜のお母さんが口を開く。上品な喋り口調だ。


「それは俺と同じ高校に通って貰うつもりです」


「俺と同じ高校ってことは、越冬高校よね?」


「そういうことになりますね」


「琉貴くんは転校の手続きがどれだけ大変だか分かってる?」


「うっ……そ、それはあまり分からなくて」


「転校の手続きってすごく大変なのよ? それにもうこっちの高校の転校手続きも済ませてある。やっぱり転校をやめますってこっちの学校に伝えて、やっぱり戻りますって越冬高校に伝えなくちゃならないの」


 結愛のお母さんは笑顔のままでそんなことを口にする。

 たしかに結菜の場合はもう転校の手続きが完了しているだろう。それがどれだけ大変なことか分からない。それに結菜のご両親の負担にもなってしまいかねない。そう思うと、思うように言葉が出てこなくなる。


「ねえお願い。私、まだまだ琉貴とずっと一緒に居たい。転校の試験だってまたするし、琉貴の家にお世話になることになっても絶対に迷惑はかけない。これからも琉貴と一緒に居られるならなんだってする。琉貴以上に好きになれる人なんてこの先誰もいないと思うの。こんなに大好きなのに離れ離れはイヤだよ」


 そこまで言うと、結菜は自分の両親に向かって頭を下げた。


「私の初恋を叶えさせてください」


 静かにゆっくりと、結菜は床に頭をつけて土下座をした。


「お、俺からもよろしくお願いします」


 俺は慌てて結菜のあとに続く。二人で床に頭をつけて土下座をする。

 誰もが言葉を発しない中、体感で三十秒ほどが過ぎ去った時。「ふふっ」と結菜のお母さんが笑う声が聞こえて来た。


「懐かしいわね。三十年前の私たちを見ているみたい」


「ああ……まさか親の立場を経験することになるとはな……」


 その夫婦の会話に俺と結菜は二人して顔を上げる。


「お父さんとお母さんも同じことしたの?」


 結菜がそう尋ねると、結菜のお母さんは「ええ」と首を縦に振った。


「私たちが結菜たちくらいの年の頃、全く同じ境遇だったの。私が親の都合で転勤してしまう時にね、この人が「娘さんを僕に下さい!」ってウチまで頭を下げに来たのよ。まだ高校生だったのにね」


「おい……昔の話はもういいだろ」


 笑顔で話す結菜のお母さんの隣で、結菜のお父さんは照れくさそうにしている。

 そっか。結菜のご両親も昔は俺たちと似た経験をしていたんだな。


「へぇ……お父さんとお母さんのことなのに知らなかった〜。なんで教えてくれなかったの〜?」


「恥ずかしいからに決まっているだろう」


 結菜に尋ねられ、結菜のお父さんは顔を赤くさせている。そんな顔を赤くさせたお父さんは、大きく咳払いをしてから続ける。


「でもあの時はご両親からの承諾が貰えなかったんだ。「働いて金を稼いでからそういうことを言え」って怒鳴られてしまってな」


「そう……だったんだ」


「あの時はどうして分かってくれないんだって不満だったけど、この歳になってみるとその言葉の意味もようやく理解出来るようになった。金を稼げる力を持った人にしか、自分の娘を任せられない」


 そのお父さんのセリフに背筋が冷えた。

 やはり俺みたいな高校生が娘さんを下さいなんて、まだ言える立場ではないのかな。そう思っていると、お父さんの視線がこちらへと向いた。


「堀井くん。君は大学に進むつもりかい?」


「あ、はい。今のところはそのつもりです」


「なら大学を卒業したら働く気かな?」


「そうですね。大学を卒業したら働こうと思ってます」


「そうか……」


 お父さんはそう言うと、難しそうな顔をしながら腕を組んだ。

 大学を卒業して働き始めたら娘を任せてもいいと考えているのだろうか。そうなると今から約六年も結菜と離れ離れになってしまうのかもしれない。それだけは嫌だ。そう思っていたのだが──


「堀井くんの覚悟はよく伝わったよ。娘の高校生活は堀井くんに託す。でもな、結菜が人様のおうちに世話になることは許さん。だからお前たちは、明日からでも東京で同棲を始めなさい」


 結菜のお父さんから告げられた言葉は、予想の斜め上を行くようなものだった。

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