初めての田舎町

 改札から出ると、そこには木々や草木が広がっていた。


「山の中……ではないよな……」


 一瞬、山の中に迷い込んだのかと思ってしまった。

 しかしよく見るとボロいバス停があったり、初めて生で見る公衆電話なんかも置いてあった。それに車二台がギリギリすれ違える幅くらいの道もある。

 ここが結菜の家の最寄り駅らしい。


「結菜……大変そうなところに引っ越すことになったんだな……」


 そんな感想を口からこぼしつつ、俺は結菜から貰った紙をポケットから取り出す。何度もポケットから出してはしまいを繰り返していたからか、紙はくしゃくしゃになってしまっていた。


「あっ……しまった……」


 結菜の家の最寄り駅に辿り着くことだけを考えていて、駅からの道のりを聞くのを忘れていた。

 誰か近くに道を聞ける人は居ないか……と後ろを振り返ってみるも、小さな駅には人の姿がなかった。噂に聞いていた無人駅というやつだ。


「困ったな……」


 と呟いたその時、目の端で光がチカチカとチラついた。その方向を見てみると、自転車に乗った男性がこちらへとやって来ているところだった。

 背に腹はかえられぬ。俺は恥ずかしさを捨てて、その自転車に乗っている男性に向かって大きく手を振る。すると男性は俺の前で自転車を止めた。


「なんだおめえこんな暗い時間に」


 近づいて見てみると、男性は白髪混じりのおじさんだった。パッと見て六十代くらいだろう。

 方言のような喋り方をしているところから察するに、男性はここら辺に住む人だろう。


「あの、すいません。道をお聞きしたくて」


「そんなもんわけぇんだからケータイ使えばいいだろうよ」


 この威圧的な喋り方は方言なのだろうか。

 俺は怒られている気分になりビクビクとしながらも、結菜と会うために勇気を持って男性と話す。


「それがですね……スマホを家に置いてきてしまって……」


「置いて来たのか。そりゃあ大変だ。しかも兄ちゃんの喋り方さ綺麗だからこの辺の人間じゃねえべ?」


「そ、そうです。実は東京から来てて……」


「東京! あの東京か! そんな都会っ子がなんでわざわざこんな田舎町に」


「実は友達に会いに来てて」


「女か?」


「え? ああ、まあ。女の子ですね」


 なんだこのおじさん。めちゃくちゃ人のこと聞いてくるじゃないか。

 怪しい者じゃないか取り調べを受けているみたいだ。


「女! 女か! なんだっぺ。そらぁ大変だ。道だっけか? どれ、住所見せてみろ」


 おじさんは自転車から降りると、俺にグイと近づいた。距離感が近いことに驚きながらも、俺はおじさんに紙を見せる。


「この住所なんですけど……」


「ふうむ……この住所はあれだっぺよ。ここの大きな道をずーっと進んでくとな? センコーマートっちゅうコンビニがあるから、そこ右曲がって山道上ってったところにある豪邸がそうだっぺ。あー、そういや最近誰かが引っ越して来るって言ってたなぁ」


「ここの大きな道……」


 大きな道と言われてみても、目の前には車が二台すれ違えるくらいの道しかない。でも他に道なんてないし、ここを真っ直ぐ行けばいいのだろう。


「この道をまっすぐ行って、センコーマートっていうコンビニがあったら右に曲がって……山道上って行くんですね」


「そうだ。それで辿り着くと思う」


 おじさんは満足げな様子で目尻に皺を浮かべながら笑った。

 このおじさんが居てくれてよかった。喋り方は怖いが助かってしまった。


「ありがとうございます」


「はっはっは! 構わね構わね。彼女さん大切にしろよ」


「かっ……彼女ではないっすよ」


 不意打ち気味に『彼女』と言われたので、思わず照れてしまったじゃないか。

 おじさんは愉快そうに「はっは!」と声を上げて笑った。車の音も人の喧騒もない駅前におじさんの笑い声だけがこだまする。


「それじゃあすいません。僕はここで」


「お? おいおい。ちょっと待て」


 もう一度ありがとうございますと頭を下げてから走り出そうとすると、おじさんに呼び止められてしまった。


「まさかそこまで走って行く気じゃねえべ?」


「走って行く気でしたけど……」


「本気か!? センコーマートでさえすんごく遠いぞ?」


「でも走る以外に選択肢がないので……」


「そんならオラの自転車貸してやる!」


 おじさんはそう言って自転車を俺に近づけた。


「え! そんな悪いですよ! お父さんが乗る自転車が無くなっちゃうじゃないですか」


「オラはここまでしか自転車に用はねえもん。今から電車に乗って隣町まで行ぐからよ」


「だからって自転車を借りるのはちょっと……」


 見ず知らずの人から自転車を借りるってなんだ。聞いた事もないし、不用心にも程があるだろ。

 しかしおじさんは強引に自転車を押し付ける。


「ごじゃっぺ言ってねえで借りとけって! 拾いもんの自転車だから用が済んだらそこらにほっぽっといてもいいからよ」


 拾いもんの自転車ってなんだ。田舎では自転車が拾えるのか……?

 それに「ほっぽっといて」ってどういう意味だ? でもなんとなくニュアンスから、捨てるみたいな意味だろうな……。


「で、でも……」


「でももこうもねえ! 女が待ってんだったら男は一秒でも早く行ってやらなくちゃ行けねえ。オラだって今からオラを待ってる女の元に行くんだからよ」


「あ、お父さんは家に帰る途中だったんですか」


「ちげえよ! 隣町に行くっつったら夜の店しかねえだろ!」


 自分で言っておいて、おじさんはガハハと声を上げて笑う。

 夜の店目当てに隣町まで行くのか……元気なおじさんだ。


「ほら。兄ちゃんが自転車受け取ってくれねえとオラも電車乗れないからよ」


 そう言われると弱い。俺のせいで夜の店に遅れたら責任を感じてしまう。一刻でも早く夜の店に行きたいだろうに。


「じゃあ……お借りします。自転車はきちんと駅の駐輪場に戻しておくので」


「おう! 頼んだわ。じゃあオラはここでな」


 俺に自転車を押し付けると、おじさんは急いで駅の方へと駆けて行った。それと同時に、駅に小さな電車がやって来る。


 押し付けられた自転車を見下ろす。拾いものとは思えないくらい綺麗なママチャリだ。


「田舎の人って……みんなこんな感じなのかな……」


 俺は初めての田舎町にそんな感想を抱きながら、自転車のサドルにまたがって走り出す。

 今までおじさんが乗っていたからサドルは生温かかったが、それ以外は乗り心地のよい自転車だった。

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