忘れ物

 自分の部屋にやって来た。

 机の引き出しを開いて、今まで貯めていた小遣いを全部引っ張り出して財布にしまう。


「金と紙さえ持ってけば大丈夫だよな……」


 ポケットから結菜に貰った紙を取り出す。きちんと結菜の新居の住所も書いてある紙だ。


「よし。間違いない」


 結菜から貰った紙と財布をポケットにしまう。これさえあれば、結菜の元に行ける。

 俺は部屋の明かりを消して、急いで自分の部屋をあとにした。


 駆け足で階段を降りて行き、玄関で靴を履く。


「行ってきます!」


 家に居た時間は十分と少し。家に帰ってから出るまでが早すぎるが、母さんからは「気をつけて〜」の声が聞こえて来た。


 結菜をこの家で二年だけ面倒を見てくれ。そんな俺のワガママに、母さんは「まあ……二年だけなら……」と渋々だが了承してくれた。

 あとは結菜の家に行って、彼女を連れ戻して来るだけ。

 結菜の家に行って来ることは、母さんには伝えてある。


「よし。行くか」


 玄関のドアを開いて外に出る。空は既に真っ暗だった。こりゃあ今日中に帰って来れるか分からないな。

 なんて思いながらも、俺は最寄り駅に向かって駆け出す。


「あれ、おにい!」


 住宅街を抜けるところで、聞き覚えのある声に呼ばれた。

 目の前から歩いて来たのは、妹の澄香だった。部活帰りなのか、ジャージ姿のままスクールバッグを背負っている。


「おう、澄香」


 俺は思わず足を止める。

 制服姿だがバッグを背負ってない俺の風貌を見て、澄香は不思議そうな表情を作った。


「おにい、今から出掛けるの?」


「ああ、ちょっとな」


「どこに行くの? もうすぐで夕飯の時間だよ?」


「あー……今日は外で食べるよ。それに今日中に帰って来られるのかも分からないから」


 その俺のセリフに澄香はピクリと反応した。かと思えば澄香は何かを納得したような表情を作った。


「もしかしておにい──」


「ああ、結菜のことを迎えに行って来る」


 澄香には隠しても無駄だと思った。それに隠すようなことでもないし、兄妹の間で秘密があるのは悲しいだろう。

 澄香は一瞬だけ驚いた表情を作ったが、次第に嬉しそうに頬を緩めた。


「おにい、恋してるね」


「まあな。めちゃくちゃ恋してる」


「あはは! 正直なおにい大好きだよ」


「俺も澄香のことは大好きだぞ。また帰って来たら色々な話しような」


「うん! 楽しみにしてる!」


 澄香は胸の前で手をぎゅっと握り、満面の笑みを浮かべた。

 澄香の笑顔を見ることが出来たから、今日もまだまだ頑張れそうだ。


「じゃ、行って来る」


「うん! 頑張って!」


 無邪気に応援してくれる澄香の頭を撫でてから、俺はまたも走り出した。

 未来に対する不安よりも、また結菜に会える嬉しさの方が少しばかり勝っていた。


 ☆


 最寄りの駅に到着した。帰宅時間と重なるからか、駅の構内には制服を着た学生やスーツを着た社会人の姿が多く見受けられた。


「ここから結菜の家までの行き方は……」


 結菜の家は田舎にあるそうだ。きっと電車を乗り継いで行かないと辿り着かないだろう。

 でもどの電車に乗ればいいのかが分からない。だから俺は結菜の家までの行き方をスマホで調べようと、ポケットに手を突っ込んでみたのだが……。


「あれ……?」


 ポケットにスマホが入っていなかった。

 そう言えば家を出る時、財布と紙に気を取られ過ぎてスマホを持ってきた覚えが全くない。

 たしかスマホはスクールバッグに入れっぱなしだ。


「うわぁ……まじか……」


 スマホがないと色々と不便だ。電車の乗り換え方も調べられないし、結菜に「今から結菜の家に行く」とメッセージを送ることも出来ない。


 どうする……一旦家に帰るか……?

 いや、きっと今から家に帰ってしまったら、結菜の家に着くのが真夜中になってしまう危険性がある。そうなってしまうと、日が昇るまで結菜に会うことは出来ないだろう。


「スマホなしで頑張るしかないか……」


 こういう時は駅員さんに聞けばいいんだ。俺は駅員に結菜の家まで行く方法を教えて貰うために、窓口にやって来た。

 窓口に入るなり、駅員が笑顔で出迎えてくれる。


「すいません。ここまで行きたいんですけど、どの電車に乗れば最短で行くことが出来ますか?」


 俺は結菜から貰った紙を駅員へと差し出す。

 駅員は「少々お待ちください」と言って、パソコンを操作して調べ始めた。


「ここからですと二十分後に到着する三番ホームの特急電車に乗って貰いまして、そのあと小峰駅で降りて貰い、二番ホームの各駅停車に──」


「ちょ、ちょっと待ってください。覚えられそうにないのでその紙に行き方を書いてもらってもいいですか……?」


 知らない駅名が出て来たあたりから、俺の脳みそでは記憶し切れないと分かった。

 駅員は快く紙に行き方をメモしてくれた。


「はい。これで住所のところまでは行けると思います。しかし──」


「し、しかし……?」


「その住所の最寄り駅からご住所までが十キロ程離れていて……」


「十キロも離れてるんですか……」


 さすがは田舎だ。駅から家までの距離のレベルが違う。

 電車を乗り継いで結菜の家の最寄り駅に辿り着いたら、そこから十キロも歩かなければいけないのか……。考えただけでも気が滅入りそうだ。


「まあ……はい。頑張ります。ありがとうございました」


 紙を受け取って頭を下げて、俺は窓口をあとにした。

 電車に乗ってしまったらすぐだと思っていたのだが、スマホもなくて暇も潰せそうにないので、ここからは長い旅路になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る