幼少期越しのワガママ

 帰りのホームルームが終わり下校の時間となった。

 いつもならば帰りのホームルームが終わると結菜がこちらへとやって来るのだが、今日は誰も俺の元にはやって来なかった。

 だから俺は一人で学校をあとにした。


 オレンジ色の空の下を一人で歩く。

 結局、今日は無意識の内にずっと結菜のことを考えてしまっていた。

 授業をしている時も、昼休みも、ホームルーム中も……結菜は今頃なにしてるかなとずっと考えていた。

 そして今も結菜のことを考えている。きっと結菜は今頃、新居に到着して一息ついているところだろう。


「……俺も結菜と一緒に引っ越せばよかったな……」


 なんて後悔してもあとの祭りだ。今更どうすることも出来ない。

 これからは結菜の居ない高校生活を歩んで行かなければいけないのだ。


「はぁ……つれぇ……」


 結菜が実際に居なくなってみて、今更辛い気持ちになる。

 もっと結菜と一緒に居たかった。もっと結菜と色々なことをしたかった。もっと結菜と楽しい高校生活を歩みたかった。もっと結菜と同じ時間を過ごしたかった──結菜。結菜。結菜。結菜。

 結菜の顔が思い浮かぶたびに胸が締め付けられる。しかしそのかたわらで、胸がトクンと高鳴る錯覚を覚える。


「もしかして俺……」


 思わずその場で足を止める。

 この胸の高鳴りの正体はなんだ。結菜のことを考えると胸が高鳴る。この高鳴りは結菜のことが好きだからだ。

 じゃあその『好き』の正体はなんだ。結菜を好きなように、俺は妹の澄香のことも好きだ。でも澄香に対して、この胸の高鳴りはない……それじゃあこの『好き』って……もしかして……。


 ようやく自分の気持ちに気が付いた。


 結菜の笑った笑顔が好き。結菜の気の抜けるような喋り方が好き。あのほわほわとした雰囲気が好き。柔らかな手も唇も全部が好き。何より結菜と一緒に過ごす時間が好き。


「俺……結菜のこと……」


 手が震える。友達だと思っていた女の子に、まさかずっと恋をしていたなんて。

 いつから恋をしていたのかは分からない。ただ、俺は初恋をしている最中だということは確かだ。

 その初恋の炎は、未だに心の中でメラメラと燃えている。この初恋を転校って理由なんかで終わらせたくない。


 俺はそこで結菜に渡されていた紙を思い出す。バッグの中からその紙を取り出してみると、そこにはやはり結菜の住所が書かれていた。


「行くか……? 俺……」


 この想いを伝えに行くのか? いやでも、ただ想いを伝えるだけならスマホでも出来る。

 違う。俺はただ想いを伝えたいんじゃない。これからも結菜と一緒に居たいんだ。

 じゃあどうすれば、転校した結菜と一緒に居られるのか。


「考えろ……考えろ俺……」


 とっくに新居に引っ越してしまった結菜と一緒に居られる方法。そんな方法あるはず──


「いや、あるにはあるのかもしれない……」


 でもその方法はあまりにも強引で、結菜が嫌がるかもしれない。結菜の気持ちを無視する手段になってしまうかもしれない。

 でも昨日。結菜は去り際に「ずっと大好きだから」と言ってくれた。もしもあれが俺の『好き』と同じなら……。


「やらないよりはマシ……か……」


 やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が何十倍もマシな気がした。

 だから俺は震える手を強く握りしめて、自分の頬を力強く叩く。


「よし。行くか……」


 覚悟が決まった。俺の全てをこの初恋に掛ける覚悟が。

 止めていた足を動かし始め、やがて思いきり地面を蹴るようにして走り出した。


 俺が初恋を取り戻すまで、決して止まるワケにはいかない。そう心に刻んで。


 ☆


「ただいま!」


 駆け出した勢いで結菜の新居まで……とはならず、俺は家に帰って来た。ここでやらなくちゃいけないことがあるから。

 俺は背負っていたスクールバッグを廊下に投げ捨て、リビングのドアを開いた。


「おかえりなさい。早かったわね」


 そこには母が居た。茶髪に染めた髪をロングヘアにしていて、相変わらず優しそうな顔をした母さんだ。母さんはリビングにあるソファーに座ってポテチを食べながら、ニュース番組を観ている最中だった。


「父さんはまだ帰って来てないよね?」


「そうね。いつも帰って来るの遅いじゃない」


「そっか」


 出来れば父さんにも居て欲しかったが、この際ならば母さんだけでもいい。むしろ母さんが帰って来ていて幸いだった。


「母さん。ちょっと頼みがあるんだけど」


 俺は母さんの前に立つ。そのことによってテレビが見えなくなった母さんは、頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。


「あら、琉貴が頼み事なんて珍しいわね。どうしたの?」


 俺は両親に頼み事なんて全くしてこなかった。最後に頼み事というかワガママを言ったのは、幼少期に電車のオモチャが欲しいとごねたことだろうか。

 その幼少期ぶりに、俺はワガママを言うことになる。


 立っているままじゃ誠意が伝わらないと思い、俺は勢いそのままに頭を床に擦り付けるようにして土下座をする。


「俺と同じ歳の女の子を二年間だけこの家で面倒を見てはくれないでしょうか……!」


 俺の久しぶりのワガママの内容に絶句して、母さんは手に持っていた一枚のポテチを思わず手放していた。

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