冬も近づき

「琉貴〜。はい。ココア買って来たよ〜」


「お、おう。ありがとう」


 ベンチに座っていると、結菜が公園の中にあった自販機でココアを買ってくれた。ありがたく結菜からココアを受け取る。缶は熱々だった。


「よいしょー。いやー、今日は沢山歩いたから足が疲れちゃったよ〜」


 結菜が隣に腰を下ろした。二人がけのベンチなので、結菜との肩の距離は近い。


「それで、なんだよ大事な話って」


 結菜はちょっとした雑談を挟みたいのかもしれないけれど、俺は大事な話というのが気になって仕方がなかった。


「まあ、そうだよね」


 結菜はそう言うと、「んんっ」と軽く咳払いした。それからは数秒だけ沈黙が訪れたが、結菜がついに重たい口を開く。


「私、転校することになっちゃった」


 それを聞いた瞬間に自分の意識が遠くなっていくのが分かった。心臓がぎゅっと鷲掴みされた気分になり、息が苦しくなる。

 転校……転校ってあれだよな。違う学校に行ってしまうという、あの転校。


「……冗談ではないよな……?」


「うん。本当だよ」


「どうして転校なんてするんだよ……」


「お父さんが転勤することになっちゃったんだ。その転勤に家族で着いて行くことになったから……それで転校する」


 結菜の父親が転勤することになってしまったのか。その転勤に家族で着いていく……転校の理由としては自然な話ではあるし、嘘じゃないことは分かる。

 現実感のある話。しかも他の家族の家庭の事情だ。俺がどうこう口を挟むことは出来ない。


「結菜だけここに残るってのは出来ないのか……?」


 隣に座る結菜へと視線を向ける。しかし結菜は自分の手元に視線を下げたまま、こちらを向いてはくれなかった。


「それも家族で話したよ。違う学校に転校するのは私の負担になっちゃうかもしれないから、ここで一人暮らしをするのはどうかって」


「じゃ、じゃあこっちに残れば……」


「でもそれには沢山お金が掛かるから、今度は私が親に負担を掛けることになる。それに家族全員が一緒に暮らした方が安心するからって理由で私も着いて行くことになっちゃった」


 結菜はようやくこちらへと視線を向けると、「本当にごめん」と申し訳なさそうな表情を作った。

 胸がぎゅーっと締めつけられる感覚。気を抜けば瞳から涙が溢れてしまいそうだった。


「結菜が居なくなったら……俺は今の高校生活をどうやって過ごせばいいんだよ……結菜が居ない高校生活なんて信じられない……」


 自分の声はかすれていた。

 ずっと一緒だと思っていた大切な人から告げられた突然の別れ。とても現実感のある話だが、現実味は全くない。結菜が居ない生活なんて考えられない。考えたくもない。


「大丈夫だよ。琉貴、男の子の友達沢山居るじゃん。私が居なくなっても──」


「他の誰かじゃなくて、結菜じゃなくちゃダメなんだよ。俺は結菜と一緒に高校生活を歩んで行きたいんだ」


 ──私と琉貴の二人で過ごさない? これからの高校生活。

 それは結菜と初対面の時に、彼女から投げかけられた言葉。

 この高校生活を二人で過ごすんじゃなかったのかよ……。


「俺は結菜がいい。結菜じゃなくちゃ嫌だ。まだまだ結菜と沢山思い出を作りたい……」


「作れるよ。私が転校するのは二月くらいになりそうだから、それまでは沢山思い出が作れる」


「そうじゃない……そうじゃなくて……」


 ついに瞳から涙が溢れ出す。熱い涙が頬を伝うのが分かる。流れる涙を隠すように、ココアを持っていない方の手で顔を覆う。


「結菜とずっと一緒に居たいんだよ」


 胸にとどめておくことが出来ずに言ってしまった。こんなことを言ってしまったら、結菜が困ってしまうのは分かりきっているのに。


「ごめんね〜。琉貴〜」


 頭を優しく撫でられる。

 ごめんねと言われてしまったら、もう色々と察するしかないじゃないか。俺がここでいくら駄々をこねても、結菜は転校するしかないんだって。

 きっと結菜も辛いはず。約一年も通った高校を離れて違う環境に行くのは、少なからずストレスだろう。俺以上に結菜は辛いんだ。

 だから俺がメソメソ泣いていても仕方がない。俺は腕で涙を強引に拭って、結菜の方へと体を向ける。


「結菜」


 名前を呼んで、結菜と向かい合う。


「結菜が転校するまでの間、沢山思い出を作ろう。高校三年分を前借りする気持ちで」


 結菜の転校を止められないなら、彼女との思い出を沢山作るしかないと思った。

 結菜は俺の目を真っ直ぐに見つめたまま、コクコクと何度か頷いた。


「うん。そうだね。転校まで沢山思い出作ろう」


 そう言うと、結菜は目を細めて笑顔を作った。


「ありがとね。琉貴」


 彼女から発せられた「ありがとう」の言葉が、今の俺にはとても重たく感じた。

 結菜がガシガシと頭を撫でてくれる。こうやって彼女と接する機会もなくなってしまうのかと思うと、胸がぎゅっと締めつけられる気持ちになった。


「そろそろ行こうか。冬が近づいて来たから寒い」


 この場から一秒でも早く動きたかった。家に帰って寝て起きれば、もしかしたら結菜の転校が嘘になる気がして。

 結菜は素直に「そうだね」と頷くと、ベンチから立ち上がった。

 結菜に買って貰ったココアはすでに冷めてしまっていた。


 ──秋 完──

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