喜びの板挟み

 長くも短くも感じた夏休みが終わり、ついに登校日になってしまった。今日から冬休みまで大きな休みはないが、頑張って勉学に励むとしよう。


 校門を抜けて並木道。

 季節は秋。涼しい気温の中、同じ制服を着た生徒たちが学校の昇降口へと向かって歩いている。

 その人混みの中に俺も紛れるようにして、ながらスマホもせずに真っ直ぐ前を向いて歩く。すると──


「る〜き〜、ど〜ん!」


 気の抜けるような声が聞こえて来たと思ったら、後ろから誰かに思いきり抱き着かれた。

 いきなりのことにビックリして後ろを振り返ると、俺の背中には制服姿の結菜が張り付いていた。お互いの目が合うと、結菜は「おはよ」と言って目を細めた。


「なんだ結菜か。おはよう」


「なんだとはなんだ〜。驚かせようと思ったのに〜」


「普通に驚いたわ。誰かと思った」


「あ、それで驚いてるの? 琉貴ったら驚いても顔に出ないタイプ〜?」


「いや知らん。そんなこと初めて言われたわ」


「知らないか〜」


 ケタケタと笑うと、結菜は抱き着くのをやめて俺の隣に並んだ。

 そういや結菜に抱き着かれるのは二度目な気がするが、ちょっとドキドキしただけで動揺はなかった。

 もうキスを済ませちゃったからな……抱き着かれるくらいなんてことなくなってしまった。


「いや〜、夏休みが終わってしまいましたね〜」


「そうだなー。今日から一日みっちり勉強しなくちゃいけないと思ったら気が滅入るよ」


「ほんとそれ〜。夏休み中は勉強のことなんか忘れてたもんね」


「結菜も夏休みに勉強してないのか」


「もちろん! ずっとグーダラしてた〜」


「まじか。全く一緒なんだけど」


 俺も夏休み中は勉強のことなんか忘れて、ずっとグーダラしていた。今思えば少しくらい勉強しておけば……なんて後悔は微塵もない。


「え〜、じゃあ私たち仲間だね〜」


 結菜は「いぇーい」と言いながら、こちらに手の平を向けて俺にハイタッチを求めた。俺は釣られるようにして結菜とハイタッチを……する直前で手が止まった。


「ちょっと待て。たしか結菜ってめちゃくちゃ頭よかったよな」


 夏休み前にあった中間テストのことを思い出した。俺がギリギリ赤点を回避してるなか、結菜は全教科で満点や満点に近い点数を取っていた。


「めちゃくちゃ頭いいなんてそんなぁ……琉貴ったら褒めるのが上手なんだから〜」


 自らの頬に手を当てながら、結菜は満更でもなさそうにうっとりとした表情を作った。

 こいつ。分かりやすく調子に乗ってるな。


「へっ。結菜とは仲間じゃないですー」


「えー、なんでよー」


「頭がいい人が勉強しないのと、頭が悪い人が勉強しないのは全然ワケが違うんだよ。よく覚えとけ」


「別に琉貴は頭悪くないじゃん〜。ケチ〜」


 結菜はフグのように頬を膨らませた。ご不満だとアピールしているのだろう。

 でも全く怖くない。むしろ頬をパンパンに膨らませた結菜は可愛かった。

 この頬を潰したらどうなるのだろうか。ただそれだけの好奇心で、俺は片手で結菜の膨らんだ頬を優しく潰してみた。すると「ぷぴぃ」と変な音を立てながら、結菜の口から空気が漏れた。それがあまりにも気の抜けた音だったので、俺と結菜は二人して笑い出す。


「なんだよその音。おかしいだろ」


「知らないよ〜。勝手に漏れちゃったんだから」


 二人して足を止めて、お腹を抑えて笑い合う。結菜に至っては、俺の腕を掴みながら笑い声を上げていた。笑いが止まらなくなった結菜が可愛くて、俺は思わず彼女の頭をポンポンと撫でる。


 ああ……そうか……学校が始まるってことは、こんな時間が毎日続くのか。それはそれで最高にアリだなと思いながら、俺と結菜は二人並んで学校の昇降口をくぐった。


 ☆


 一日の授業が終わり、あとは帰りのホームルームが始まるのを待つだけ。担任の先生がまだ帰って来ないので、クラスメイトは各々のグループで固まって談笑を楽しんでいる。


「うぃ〜。疲れだあ」


 自分の席に座っていると、結菜がこちらへとやって来た。結菜はそのまま、俺の机の上に顎を乗せるようにして屈んだ。俺の位置からは机の上に結菜の生首が乗っているようにしか見えない。


「お疲れさま。なんか久々の授業だったから長く感じたな」


「ほんとそれ〜。すごく長く感じた〜」


「でも課題が出されなかっただけよかったよ。初日から課題はキツいし」


「たしかに今日は課題出されなかったね〜。ウチの高校の先生は理解があるねぇ」


 結菜と他愛のない会話を楽しんでいると、机に置いてあった俺のスマホがブルブルと振動を始めた。

 スマホを手に取り画面を見てみると、そこには『澄香』の文字が映し出されていた。


「悪い。妹から電話だ」


「あ、澄香ちゃん? 遠慮なく出てあげて」


 結菜にも促されたので、俺は通話ボタンを押してスマホを耳に当てる。


「もしもしどうした?」


『あ、おにい? 今日の夜ご飯どうする?』


「どうするって母さんが用意してくれるんじゃないのか?」


『あれ、もしかしてママもパパも仕事で遅いこと忘れてる?』


「あ、」


 そう言えば今日の朝に、母さんから「今日は仕事で遅くなるから夕飯は食べてて」と二千円を渡されていたのを忘れていた。


「あー、そんなこと言ってたな」


『もう。おにいは忘れっぽいんだから』


「あはは。悪い悪い」


 俺が電話をしながら笑っているところを、目の前では結菜が目を丸くしながら見ている。なんの話をしているんだろう、と疑問に思っている顔だ。


「じゃあどっか食べに行くか。何食べたい?」


『あ、それなんだけどさ、お祭りの屋台で夕飯食べない?』


「お祭りの屋台? 祭りなんてやってるのか?」


『やってるやってる! 今日は家の近くの神社でお祭りやってる日だよ』


「あれ、もうそんな時期なのか」


 ウチの近くにある神社では、毎年九月の初め頃に大きなお祭りを開いているのだ。その祭りの屋台で夕飯を済まそうという話だろう。


「じゃあそうするか……あ、ちょっと待ってくれ」


 俺はそう言って、目の前に座る結菜と目を合わせる。それだけで結菜はこてんと首を横に倒した。


「なあ結菜。今から俺と澄香と一緒に祭り行かない? ウチの近くで祭りやってるらしいんだけど」


「え! 行く! 行きたい行きたい!」


 凄い勢いで立ち上がると、結菜はその場でぴょんぴょんと跳ねた。どうやら結菜も来てくれるようだ。


『え! 結菜ちゃんも来るの!? やったー! 久しぶりの結菜ちゃんだー!』


 目の前では結菜が喜び、電話越しでは澄香が喜んでいる。喜びの板挟みになるのもなかなか悪くない。


 そんなこんなで、今日の放課後の予定が急遽決まった。今日は結菜と澄香と三人でお祭りだ。

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