未来のこと
ゆっくりと目が開くと見慣れない天井が広がっていた。
ここはどこだろう……そうだ。結菜と温泉旅行に来ていたんだ。
寝ぼけ眼をこすりながら、隣の布団へと顔を向ける。
「あれ」
そこには結菜の姿はなく、布団が綺麗に畳まれていた。
「今……何時だ……?」
枕元に置いておいたスマホを手に取り画面を見てみると、『八時十五分』と時刻が表示されていた。
たしか下の大広間で朝食が食べられるのは、朝の七時から九時まで。ぼちぼち起きないと、朝食の時間に間に合わなくなるか。
「ふん……ふああ……」
大きく欠伸をしながら、腕を突き上げて伸びをする。そのせいで浴衣がめくれてお腹が出るが、掛け布団で隠れているので気にしない。
「おー、やっと起きましたかー」
すると結菜の声が聞こえてきた。その声の方に顔を向けると、浴衣姿の結菜が主室に入って来たところだった。水が流れる音が聞こえて来たので、お手洗いにでも行っていたのだろう。
結菜はそのままてくてくと歩いて来ると、俺の寝ている横に正座をして座った。
「おう。おはよう」
「おはよー。琉貴の朝はゆっくりなんだね」
「まだ八時だろ。早い方じゃないか?」
「八時は普通じゃないかなー」
「結菜は何時に起きてたんだ?」
「私は七時くらいに起きたかなー」
「いつもそれくらいなの?」
「そだね。八時前には起きるかな」
「まじか。俺なんか夏休み中は十時か十一時に起きてるぞ」
「おそーい」
手で口元を隠しながら、結菜はクスクスと目を細めて笑った。朝からぽわぽわとしている結菜の雰囲気に癒される。
そこで会話が途切れ、部屋の中が一気に静まり返る。
そう言えば昨日、寝る前に大きな事件が起こった気が……。
「「あ、」」
二人の声が重なった。昨日起こった出来事を思い出してしまったのだ。途端に目を合わせるのが気まずくなる。
恐らく結菜も同じことを考えているのだろう。彼女の頬が薄らと桃色に染まっている。
俺は昨日、結菜とキスをしてしまった。
キスをした次の日って、どんな顔をすればいいのだろうか。昨日キスしたことについて触れるべきか、触れないべきか……そう考えている間も、俺の目は結菜の柔らかな唇に釘付けになる。
「えっとぉ……昨日はごめんね。からかいすぎた」
「あー、いや。俺の方こそごめん。我慢出来なくて」
とりあえず謝ろうと思った。お互いに悪ふざけのキスだったから。
「ううん。嬉しかったからいいの」
結菜はふるふると首を横に振った。
キスされて嬉しかったなんて言われると、変な勘違いをしそうになる。俺たちは友達同士なのに。
「う、嬉しかったのか」
「うん。なんか琉貴が優しかったから」
「俺、優しかったか……?」
「優しかったよ〜。無理やりって感じじゃなかったよね」
「たしかに無理やりではないのかな……?」
一応キスする許可は取ったんだし。でも優しくした自覚はほぼない。ほぼ勢いでキスしちゃった気がするし……。
「琉貴はさ……昨日のが初めて……?」
おずおずといった様子で、結菜がそんなことを尋ねた。その質問をされただけで、なぜだかドキドキしてしまう。
「あ、ああ……初めてだけど」
俺がそう言うと、結菜は胸に手を当ててほっと息を吐いた。
「そうなんだ。じゃあ初めて同士だ」
「結菜も初めてだったんだ」
「そりゃあね〜。今まで彼氏なんて出来たことないですから」
そうか。結菜は今まで彼氏を作ったことがないのか。こんなに可愛い子を野放しにするなんて、世の男共は何を考えてるんだ。
でも今まで彼氏が居なかったと聞いて、少しだけ安心している自分が居た。
「お互い初めてだったんだな」
「そうだね〜」
「なんていうか……遊びのキスだったけど上手く出来てよかったわ」
「あはは。前歯当たらなかったもんね。上手に出来ました〜」
笑顔のまま拍手をする結菜を見て、俺も思わず笑ってしまった。二人で笑い合っていると、キスのあとの気まずさはどこかへと吹き飛んでいた。
「そろそろ朝ごはん食べに行く?」
「そうだな。食べに行くか」
結菜は立ち上がり、こちらに手を差し伸べる。俺はなんの躊躇もなく、差し伸べられた手を握る。柔らかな手のぬくもりは、結菜のもので間違いなかった。
☆
朝ご飯を食べ終えた俺たちはもう一度温泉に入ってから、旅館をあとにして帰りの高速バスに乗り込んだ。ここから三時間バスに揺られることになる。
「ねえねえ琉貴〜、これ見て〜」
窓側の席に座っていた結菜がこちらにスマホの画面を向けた。その画面には浴衣を着た男が爆睡する姿が──
「って俺じゃねえか。いつ盗撮しやがった」
「ふっふーん。朝起きたら隣で琉貴が気持ちよさそうに寝てたから、これは写真撮らなくちゃなって思って撮りました」
結菜はしてやったりの表情のまま、クスクスと愉快そうに笑った。
くそぅ……寝てたから写真を撮られたことに気が付かなかった。女の子のスマホの中に自分の寝顔が映った写真が入っていると思うと、なんだかとてつもなく恥ずかしい。
「消しなさい。今すぐに」
「消しませーん。ホームの背景に設定しちゃおっかな〜」
「それだけはやめてください。まじで恥ずかしいから」
「しょうがないな〜。背景にするのはやめてあげますか〜」
ケタケタと喉を鳴らすと、結菜はスマホをバッグの中にしまった。
俺は「ありがとうございます」と頭を下げる……ってなんで俺が頭下げなきゃいけないんだよ。俺はやられてる側だってのに。
そんな平常運転な会話をしていると、結菜は窓の外に目をやった。それに釣られて俺も窓を見ると、もうすぐで高速道路に入るところだった。
「私たちの夏が終わっちゃうね〜」
しみじみとした声だった。
私たちの夏か。たしかに結菜との旅行が終わってしまったら、もう夏休みのイベントは残されていなかった。あとは学校が始まるのを待つだけだ。
「そうだな。もう夏も終わりだ」
なんだか少しだけ寂しい気持ちになる。
まだ結菜と夏休みを楽しみたい。もっと結菜と遊んでおけばよかった。今更だが後悔の念に駆られる。
「でも今度は秋が来るよ〜」
「まあ、そうだな」
「秋は美味しいものが沢山だから色々なもの食べたいよね〜……あ! 涼しくなったら一緒にフルーツ狩り行かない? 梨とか桃とか」
「いいね。行こう」
俺が即答でオーケーを出すと、結菜は「やったー」と無邪気に喜んだ。
夏休みが終わっても結菜と遊びに行ける。予定を立てただけで胸がポカポカと温かくなる。
「そしたら今度は冬が来て〜、クリスマスパーティーなんか楽しんじゃったり〜」
「年が明けたら初詣なんかも行きたいな」
「それ最高! クリスマスパーティーと初詣は決定で〜」
「秋も冬も楽しくなりそうだな」
「そうだね〜。きゃー、高校生活充実しすぎてて怖い〜」
足をパタパタとさせながら、結菜は嬉しそうに椅子の上で跳ねた。そんな彼女を見ていると、俺までも嬉しくなってしまう。
夏休みが終わっても、秋も冬も結菜と一緒か。もうずっと結菜と一緒に居る気がする。結菜が居ない高校生活なんて考えられないな。
「なあ結菜」
俺が名前を呼ぶと、結菜はきょとんとした顔で小首を傾げた。
俺はどこか照れくさい気持ちになりながらも、結菜と視線を合わせる。
「なんていうかその……秋になっても俺のことよろしくな」
つたない言葉になってしまったが、結菜にはきちんと気持ちが伝わっただろうか。
「ぷふっ……なにそれ〜」
そう不安に思っていると、結菜に笑われてしまった。しかしすぐに結菜は真剣な表情を作り、背筋を伸ばして膝の上に手を置いた。彼女はそのまま、深々とこちらに向かって頭を下げる。
「私の方こそ……ふつつか者ですがよろしくお願い致します」
真面目な口調で言い終えると、結菜はゆっくりと顔を上げた。すると自然と結菜と目が合い、二人して吹き出すようにして笑う。
夏休みが終わる恐怖なんて、いつの間にかどこかへと吹き飛んでいた。
──夏 完──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます