一線を越えた夜

「ゲームもキリがいいしそろそろ寝よう。さすがに夜更かししすぎた」


 テレビにはマリコパーティーのゲーム画面が映っている。マリコパーティーはスゴロクゲームなのだが、楽しすぎてかれこれ六時間くらいプレイしていた。

 スマホで時刻を確認してみると、深夜の三時を過ぎたところ。ぼちぼち寝る時間だろう。


「そうだね〜。そろそろ寝ようか〜。私も眠くなってきちゃった」


 布団の上でうつ伏せになりながらゲームコントローラーを持っている結菜は、口元を隠そうともせず「ふあぁ」と可愛らしい欠伸をこぼした。

 結菜はのそのそと立ち上がると、ゲーム機の電源を落とした。テレビが暗くなったのを確認してから、結菜は天井に手の平を向けて伸びをした。するとポキポキと骨の鳴る音が聞こえた。


「うぅ……背骨がポキポキ鳴る〜」


「聞こえたわ。おばあちゃんだな」


「そんなこと言わないでよ〜。まだまだピカピカの女子高生ですから」


「女子高生になりたてだもんな」


「そうだよー。女子高生のヒヨコちゃんです」


「ははは。そうかそうか」


「むぅ。適当な返事は傷つくなぁ」


 なんて適当な会話をしながら、俺と結菜はぐちゃぐちゃになった布団を綺麗に正した。やっと寝床らしくなった二つの布団を見下ろしてから、俺は結菜へと視線を向ける。


「んじゃ、電気消すぞ」


「はーい」


 結菜は返事をしながら、先に布団の中に入った。結菜が布団の中に入ったのを確認してから、俺は部屋の電気を消した。部屋の中が真っ暗になるが、結菜を踏まないようにと気をつけながら、俺も布団の中に入る。夏だからか薄めの掛け布団だ。それに枕もフカフカで最高だ。


「ねぇ琉貴〜」


 名前を呼ばれたので、俺は結菜の方へと体を向ける。ようやく暗闇に目が慣れると、結菜もこちらを向いているのが分かった。

 二人の布団はピッタリとくっついているので、当然結菜との顔の距離も近くなる。手を伸ばせば簡単に届いてしまう距離に結菜が居ることに、ドキドキと安心が混ざった変な気分になる。


「どうした」


 ドキドキを隠すために素っ気ない返事をしてしまった。けれども結菜はクスクスと笑ってくれる。


「今日はすごく楽しかったね」


「ああ、そうだな。俺も楽しかった」


「明日帰らなきゃいけないなんて信じられない。ずっと琉貴とこうして遊んでたいなぁ」


 なんて嬉しいことを言ってくれるんだ。思わずニヤケそうになる口元を、急いで掛け布団で隠した。


「まあ、そうだな。俺も結菜と遊んでたい」


 でもきちんと本心は伝える。結菜と同じ気持ちだったことが嬉しいから。


「でももう少しで夏休み終わっちゃうよね〜。こうやって二人で一日中遊べなくなっちゃうんだよ?」


「でもまあ、どうせ学校でもずっと一緒に居るからな」


「そうだけどー、違うんだよー」


「何が違うんだよ」


「だって学校ではこうやって一緒に寝たり出来ないじゃん?」


「そりゃあな。学校だし。布団敷くスペースないだろ」


 その俺のツッコミに結菜はクスクスと笑う。真っ暗で静かな場所で聞く彼女の笑い声は、とても魅力的なものだった。


「私はそういうこと言ってるんじゃなくてー、なんかこう……さ。イチャイチャみたいな? そんな感じのが学校では出来ないから寂しいの」


「イチャイチャ? 俺、結菜とイチャイチャなんてしてたっけ?」


 俺が不可解そうな顔をしたからか、結菜は目に見えてショックそうな表情を作った。


「してるよ! 今日の朝からずっとイチャイチャしてたじゃん!」


「いつのこと言ってるんだよ」


「え、もしかして自覚なし? 私ずっとイチャイチャしてた気がするんだけど……どう?」


「いや、全然。イチャイチャしてる覚えはない」


 思い返してみても、今日は結菜と普通に遊んでただけだよな。待ち合わせして、飯食って、フラフラ散歩して、ゲームして……ちょっと手を繋いだりはしたかもしれないが、イチャイチャって程ではないだろう。

 そう思ったのだが、目の前の結菜は目に見えて驚いている顔を作っている。


「今日のがイチャイチャじゃないなら、琉貴の中では何がイチャイチャなのー?」


「そうだな……やっぱり恋人らしいことじゃないか?」


 イチャイチャと言えば恋人だもんな。俺の中でイチャイチャと恋人は切っても切れない関係にある。

 それを聞いた結菜は、唇を尖らせながら何やら考える素振りを見せた。


「じゃあさ──」


 しばらく黙り込んで何やら考え込んだと思ったら、結菜は俺の布団の中に潜り込んで来た。


「お、おい……ちょっと待て……」


 俺の制止が聞こえないのか、結菜は布団に入って来た勢いそのままに抱き着いて来た。ぎゅっと優しく包み込むようなハグ。結菜の柔らかな体が俺の体に押し当てられる。それだけで俺の心臓はバクバクと鼓動を早める。


「ま、待て待て待て。これはまずいって」


 何がまずいって、こんな暗い部屋でこんな可愛い子に抱き着かれたら、並の男子高校生ならばよからぬことが脳を過ぎるだろう。いや、今は脳を過ぎるどころか、よからぬことが頭を埋めつくしそうになっている。


「ふっふーん。私だけがイチャイチャだと思ってるのは悔しいから琉貴にも同じ気持ちを味合わせてやったぜぇ」


 結菜はしてやったりと、嬉しそうにニコニコと笑っている。余程嬉しいのか結菜の抱き着く力が強まり、彼女の柔らかな膨らみを肌越しに意識してしまう。

 結菜の顔も近い。抱き着かれているので、顔と顔の距離が数センチしかない。結菜の顔を今までで一番近くに感じる。柔らかそうな唇が、俺を誘っているかのようだ。

 まずい。これは非常にまずい。このままじゃ本当に我慢出来なくなる……。


「結菜。離れてくれ」


「えー? なんでー?」


「なんでもだよ。こういうのはダメな気がする」


「これくらい大丈夫だよ〜。お友達同士でも抱き合ったりするし」


「それとこれとは話が別なんだよ。俺と結菜は男と女。一緒に寝るだけでも悪いことしてる気がするのに抱き合うだなんて──」


「我慢出来なくなる?」


 その結菜の挑発的なセリフに、頭の中の何かがプツンと弾けた。

 意地悪に笑う結菜と視線が合わさる。結菜はきっと、また俺のことをからかっているんだ。


「ああ、我慢出来なくなる」


 からかわれてばかりでは俺のプライドが許さない。

 俺は結菜の頬にそっと手を添える。それだけで結菜の瞼が見開かれる。暗闇の中だが、結菜が動揺しているのがはっきりと見える。しかし結菜はふと口元をほころばせた。


「ちゅーだけなら……いいよ」


 その彼女のセリフが耳に届くと、俺は吸い込まれるようにして顔を近づけた。お互いの唇と唇が重なる。初めて感じる柔らかな感触。唇と体で結菜のことを感じる、幸せな時間。

 ずっとこのままでいたいけど、今離れなければ後戻り出来なくなりそうな気がした。だから俺は彼女の唇から離れる。すると自然と、結菜も抱き着くのをやめた。

 シンと部屋の中が静まり返る。


「あーあ……友達なのにちゅーしちゃった」


 なんとなく目を合わせられずにいると、結菜がそんなことを口にした。


「ごめん……つい勢いで……」


「ううん。いいの。私がからかいすぎただけだから」


「そっか」


「どうだった?」


「どうだったとは?」


「ちゅーの感想をどうぞ」


「あー……なんていうか……まだドキドキしてる」


「だよね……私もすごくドキドキしてる〜。さすがにこれはイチャイチャだよね」


「ああ……イチャイチャだな……」


 そこでようやく結菜と目が合う。なんとなく気まずくて、二人して笑ってしまった。

 でも一度会話が途切れると、何を喋ったらいいのか分からなくなる。もちろん、キスの続きをするワケにもいかないし。


「いい加減に寝ますか」


 何か話さなくては。そう思っていると、結菜がそんなことを口にした。

 結菜と離れるのはもどかしい気持ちになるけれど、これ以上くっつかれたら俺の自我がもたない気がした。


「そうだな。寝よう」


 俺がそう言うと、結菜はのそのそと自分の布団へと戻って行った。

 結菜は自分の布団に戻ると、こちらに背を向けるようにして横になった。だから俺もなんとなく、結菜に背を向けるようにして横になる。


「琉貴〜」


 名前を呼ばれただけでドキっとした。


「どうした」


「おやすみなさい」


「あ、ああ……おやすみ」


 それ以上、俺たちの間に会話は生まれなかった。

 その後はもちろん、興奮でなかなか眠りに就くことは出来なかった。

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