拗ねて笑って

「琉貴〜、着替え終わった〜?」


 トイレで浴衣に着替えると、外から結菜の声が聞こえてきた。


「ああ、終わったぞー」


 五分前には浴衣に着替え終わっていたが、結菜の方が着付けに時間かかると思ったのでスマホを弄りながら待っていたのだ。


「私も着替え終わったから出て来ていいよ〜」


 結菜から許可が降りたので、俺はようやくトイレをあとにした。トイレから出た瞬間に、エアコンの涼しい風に火照った体が冷えて行く。トイレの中は蒸し暑かった。


「じゃじゃーん。見て見て〜、私の浴衣姿〜」


 主室に出ると、浴衣姿の結菜の姿があった。青色ベースの浴衣を着た結菜は、にこにこと笑っている。

 結菜は腕を広げたまま、その場でくるりと一回転する。そのせいで彼女の袖がヒラリとなびいた。


「おぉ……やっぱり女の子なだけあるな」


「んん? どういう意味?」


「浴衣が似合うなって思って」


 そう言ってみせると、結菜は表情を華やかなものにさせた。


「でしょでしょ〜? 私ったら浴衣似合う〜」


 結菜はゴキゲンな様子のまま、袖をヒラヒラとさせている。浴衣が着れたことがそんなに嬉しいのだろうか。

 結菜は袖をヒラヒラとさせるのをやめると、俺の顔を見上げた。


「琉貴も浴衣似合ってるよ〜。かっこいい〜」


 何気ない口調だったが、俺は思わずドキリとさせられた。仲のいい友達とは言え、女の子に「かっこいい」と言われると照れてしまう。俺は頬が熱くなるのを感じながら、頬をポリポリとかいた。


「おう。そうか」


 照れて素っ気ない返事をしてしまった。俺も結菜のように自分に自信があったら、気の利いた返しを出来たのに。そんな後悔をしていると、結菜はニヤニヤとしながら俺の顔を覗き込んだ。


「あれー、もしかして照れてるぅ? もう琉貴ったら〜、かっこいいって言われて照れちゃって〜、可愛いんだから〜」


 結菜が俺の腕をツンツンとつついてくる。

 またからかわれた。そう思うと、さらに顔に熱を帯びる。

 俺はそれを隠すようにして後ろを向き、ドアに向かって一人で歩き出す。


「そうやってまた俺をからかうなら一人でそば食いに行くからな」


「あー、うそうそ。冗談だって〜、待ってよ琉貴〜」


 拗ねる俺のことを、いつも通り結菜が追い掛けて来てくれる。それを分かっているからこそ、俺も快く拗ねることが出来る。結菜がからかって、俺が拗ね、それを追い掛けてくれる。その一連の流れを俺はいたく気に入っていた。


 ☆


 旅館から出て少し歩いたところに、そば屋さんはあった。年季の入った建物の前に、『蕎麦』と書かれたのれんが掛かっている。そののれんをくぐり、店内へと入る。店内は人の姿で賑わっていた。

 二人がけのテーブルに座り待っていると、注文していたそばが届いた。ザルに乗ったそばと、氷の入ったおつゆ。小皿には薬味のネギとワサビが乗っている。


「おー、おそばだー、写真写真」


 そばがテーブルに届くなり、結菜はスマホで写真を撮り始めた。女の子らしいなと思いながら、俺は割り箸を割って手を合わせる。すると結菜も慌てて手を合わせる。二人で笑みを浮かべ合ってから、二人で声を合わせる。


「いただきます」「いただきまーす」


 割り箸でそばを掴み、氷の浮かぶつゆに浸す。それを口元に寄せて、思い切りすする。うん。そばの香りが口の中に広がって、鼻から抜けていく。コンビニで食べるそばよりも、何倍も美味しかった。


「うわ、うまっ。なんだこのそば」


「ほんと美味しいね〜。何杯でもいけちゃう」


「そばってこんなに美味かったんだな。このお店に来て大正解だわ」


「ふふーん。おそばが食べたいって言い出した私に感謝しなさいな」


「おう。感謝する感謝する」


「むぅ。なにその適当な感じ〜」


 拗ねたように唇を尖らせてから、結菜はケタケタと笑った。彼女の笑顔に、俺も釣られて笑う。

 それから二人で、そばをちゅるちゅるとすする。なんとなく、チラリと結菜を見てみる。浴衣を着た結菜がそばをすすっている光景は、とても絵になった。夏って感じがする。

 その絵になる光景をぼーっと見ていると、結菜がふと顔を上げた。そしてばっちりと目が合うと、心臓がトクンと高鳴る。


「ん、どしたの琉貴」


 その結菜の声に、俺ははっと我に返った。俺は慌てて視線を下げて、そばを食べるのを再開する。


「いや、なんでもない」


「えー、嘘だー。琉貴耳赤いよ〜?」


 どうやら結菜相手に誤魔化すことは出来ないらしい。普段から照れた顔を見られているので、結菜には照れているのがバレバレだ。

 俺は諦めて顔を上げるが、結菜と目を合わせることは出来ない。なんかドキドキする。


「別に。ただ浴衣着てる結菜がそばを食べてるのが絵になるなーって思っただけだよ」


 そう口にしてみると、ますます耳が熱くなっていくのを感じた。いつもみたいに拗ねたい気持ちに駆られるが、それよりも早く結菜は声にならない悲鳴を上げながら、顔をキラキラとさせた。


「る、琉貴がデレた……ついに琉貴がデレた〜」


 結菜はニコニコと笑いながら、緩みきった頬を両手で抑えた。嬉しそうに笑いながら、「わー」とこちらに手を伸ばしてくる。ハイタッチをしたいのだろうが、俺は鬱陶しさと照れからその手を振り払った。それでも結菜はニコニコとしている。


「別にデレてないからな」


「うっそだ〜。そんなに耳とほっぺ赤くしてるのに〜」


「赤くないから」


「赤いよ〜。もうリンゴみたい。可愛い〜」


 結菜は「んふふ」と変な笑い声を漏らした。


「それ以上からかったら結菜のつゆにワサビ全部入れるからな」


「あーうそうそ! 嘘だから! 鼻の奥ツンとしちゃう〜」


 鼻にシワを寄せて、結菜が顔をしかめる。その変顔に俺は思わず吹き出してしまった。笑い出した俺を見て、結菜も顔をくしゃりとさせた。


 二人で笑い合うのが楽しい。結菜と一緒に居るのが楽しい。このままずっと、結菜と笑っていたい。そう思ってしまう自分を、俺は素直に受け入れられるようになっていた。


 まだ心臓はドキドキとしていた。

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