旅館でハプニング
バスに三時間揺られ到着したのは、夏でも人々の姿で賑わう温泉街だった。
私服で歩く人や浴衣で歩く人に分かれていて、皆がそれぞれに温泉街を楽しんでいる。真ん中には川が流れていて、その両端にある道には屋台やお店が並んでいる。
あのお店に行きたい、あの屋台も気になると話ながら、俺と結菜は今夜泊まる旅館にやって来た。まずは自分の荷物を置いて、それから温泉街を散策することになったのだ。
しかしここで、大事件が発生する。
「……おかしくないか……これ……?」
「あはは〜。お部屋予約するのミスった〜。ごめんね〜」
女将さんに案内された部屋の中に入るなり、俺と結菜は唖然とした。部屋の中は和室になっていて、お着きのお菓子が置いてあるローテーブルがあり、その向こうには温泉街が見渡せる大きな窓がある。よくある旅館の部屋だ……って今はそんなことに感動している場合じゃない。
「俺と結菜でここに泊まるのか……?」
「うん。そういうことになるね」
女将さんに案内された部屋は一つだけだったのだ。つまり俺と結菜は今夜、二人でこの部屋に泊まることになる。
旅館の手配やら部屋の予約は結菜に任せていたのだが、どこかで手違いがあったのだろう。
「カップルだと思われたのかな〜?」
「そうかもしれないな。今からでも部屋分けて貰うか」
「だね〜。そうしようか〜。ごめんね〜」
「謝らないでくれ。よくあることだ」
そんな会話をしながら、一階にあるフロントに降りてきた。そこには着物を着た女将さんが立っていた。
「あの、すいません」
話し掛けると、女将さんは笑顔で対応してくれた。こちらの手違いかなにかで、部屋がひとつだけしか用意されていなかったことと、部屋をもうひとつ用意出来ないかの話をした。すると女将さんはパソコンを操作したり、ファイルを取り出したりとしながら、部屋が空いているかを調べたのだが……。
「申し訳ありません……! ただいまお部屋の方が満室となっておりまして……」
女将さんは申し訳なさそうな表情で、ペコペコと頭を下げる。
まじか。こうなってしまったら、別の旅館に変更するしかないのだろうか。それ以外にどうしようもない気がする。
「ねえ、琉貴」
すると結菜が俺の腕をちょんちょんとつついた。そちらを見ると、結菜は頬を桃色に染めながらこちらを見上げていた。
「私は琉貴と一緒の部屋でもいいけど」
「え……?」
「せっかく二人で旅行に来たからさ、二人同じ部屋の方が楽しいかもよ? それに一泊だけだし」
結菜は照れ笑いを浮かべながら、「どうかな」と首を傾げた。
結菜と同じ部屋……こんな可愛い子と同じ部屋で一泊……しかも二人きりで……。恋人同士でもない高校生の男女が、同じ部屋に泊まってもいいものだろうか。いや、あまりよくないような気がする。
「琉貴は私と同じ部屋で寝るの……いやかな?」
服の裾をちょこんと掴みながら、結菜はこちらに上目遣いを向ける。
その言い方と表情はずるいだろ……これじゃあ男として断るワケにはいかなくなってしまった。
結菜と同部屋か……まあ結菜とは性別が違うだけで、ただの友達だからな……別に同部屋でもいいか……。
「わ、分かった。じゃあこのままでいいか」
その俺の言葉に、結菜だけでなく女将さんもホッとしていた。
改めて部屋にやって来た。
二人だと少し大きめの和室の部屋。お着きのお菓子が置いてあるローテーブルがあり、その向こうには温泉街が見渡せる大きな窓がある。
「わー! 今日はここが私の寝床だ〜」
結菜は大の字になって、畳の上に寝転がった。俺は彼女を踏まないように歩きながら、ローテーブルの前にある座布団に座る。
「思ってたよりもいい部屋だな。あんまり高くないし最高だ」
「だね〜。高校生に優しい旅館だよ」
「温泉もついてるんだったよな」
「うん! 一階に温泉がありまーす」
結菜は楽しそうに、畳の上でゴロゴロしている。そしてハッとした表情に変わり、結菜はこちらを見た。その驚き顔に、こちらまで驚かされる。
「琉貴、私お腹減った」
なんだ。ハッとした表情をするもんだから、家に忘れ物でもして来たのかと思ったぞ。
でもそうだな、俺もぼちぼちお腹が減って来た。
「たしかに腹減ったな。今何時だ?」
そう尋ねると、結菜は「ん」と言いながらこちらにスマホの画面を見せた。そこに表示された時刻は、十一時を少し過ぎたところだった。
「あー、ぼちぼち昼飯食ってもいい時間帯だな」
「だよねー。おそば行こうおそば」
「そうだな。そば食いに行くか」
やっと一息ついたのだが、これ以上休んでいると動く気がなくなりそうな気がした。だから俺は立ち上がり、ぐっと腕を伸ばして伸びをした。
「あ、そうだー。どうせなら着替えて行かない?」
「着替える? このままでもよくないか?」
「このままでもいいけど〜、どうせなら浴衣着たいなーって」
なるほど。温泉街と浴衣は切っても切り離せない関係にあるもんな。温泉街と言えば浴衣だ。
「でも浴衣なんて用意してないだろ」
「ふふーん。この旅館にはですねぇ」
結菜はぴょこっと立ち上がると、部屋の脇にあった押し入れを開いた。そこには青色ベースの浴衣が四着も入っていた。
「浴衣が用意されているんですよぉ」
「おぉ……すごいな」
なんて理解のある旅館なのだろう。もしかして温泉街にある旅館には、浴衣が用意されているのが当たり前なのだろうか。
「ってことで浴衣を着よう! そして温泉街へ!」
拳を固く握りしめながら、結菜はその手を高く掲げた。浴衣を着れることにテンションが上がっているようだ。これだけはしゃがれては、浴衣を拒否するのも躊躇われる。でもまあ、俺も浴衣は着たいので彼女の提案に異論はない。
「そうだな。でも着替える場所はどうする?」
「あ、なにも考えてなかった」
浴衣を着るにはもちろん、この部屋で着替えなければならない。しかしいくら友達だからと言っても、俺と結菜は男と女。着替えを見られるのは恥ずかしい。
女の子と同部屋にすると、着替えなどの時に大変なんだなぁと勉強になった。
「それじゃあ俺はトイレで着替えて来るよ」
「え、トイレだと着替えるには狭くない?」
「じゃあ二人してここで着替えるか?」
「うっ……琉貴はトイレでオネガイシマス……」
トイレか押し入れの中で着替えるしか選択肢がなかった。なのでやむを得ず、俺はトイレで着替えることを選択した。
押し入れに入っていた浴衣は、ありがたいことに様々なサイズのものが用意されていた。その中から二番目に大きい浴衣を取り、結菜は三番目に大きなものを取った。二人が手にした浴衣は、同じデザインをしたものだった。
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