からかいバスターミナル
寝て起きて遊んでを繰り返している内に、夏休みも折り返しを過ぎてしまった。永遠と続くかと思われた夏休みも、折り返しを過ぎれば終わりが見えて来てしまう。寂しいな……とも思ったが、そんなネガティブな思考は目の前に現れた人物を見た瞬間に吹き飛んだ。
「おーい、琉貴〜」
駅の改札から出てきたのは、こちらに向かって大きく手を振りながら歩いてくる結菜だった。彼女の左手には、ピンク色のキャリーケースが持たれている。
「おう。おはよう。結菜」
俺はあくびを噛み殺しながら、こちらに歩いてきた結菜に挨拶をする。結菜はニコリと笑いながら、俺の顔を覗き込んだ。
「おはよ〜琉貴〜。なんだか眠たそうだね」
「そりゃ眠いだろ。まだ朝の六時半だぞ? それにしては結菜は眠くなさそうだな」
「ちょっと眠いけど全然平気〜。お化粧してる間に目が覚めちゃった」
結菜のその言葉通り、彼女の唇は桃色に光っている。結菜のメイク姿は初めて見た。
どうして午前六時半から、結菜と駅で待ち合わせしているのか。それは夏休み前に予定を立てていた、一泊二日の温泉旅行に行くためだからだ。
「結菜も化粧とかするんだな。なんか意外だわ」
「あれ、お化粧する女の子あんまり好きじゃない?」
「いや、あんまり化粧してる女子と絡んだことがないから新鮮なだけで嫌いではない」
俺がそう言うと、結菜はほっとしたように胸に手を当てた。そしてニコリと、笑顔を見せる。
「よかった〜。これで嫌いって言われたらトイレに行って顔洗ってくるようだったよ〜」
「そこまでしなくてもいいだろ」
「いいや、するね。頑張って化粧して来たのに、琉貴の感想がなくて寂しい気持ちになったも〜ん」
結菜は体をくねくねとさせて、寂しさを演出してみせる。しかもわざとらしく、「誰か化粧を褒めてくれないかなー」と大きめの独り言を呟いている。
でも化粧を褒めるってどうしたらいいんだ? いつもより可愛いねって言えばいいのか? でもそれだと、素の顔が可愛くないような言い方だし。化粧の技術を褒めればいいのだろうか。でも俺は化粧なんてしたことがないから、どこがどう凄いのかも分からない。だから俺は、思ったことを口にしようと思った。
「あー、なんていうかその……唇の色が綺麗だな」
正直、唇にリップを塗っていることにしか気付かなかった。他がどう変わったのかは分からない。
こんな感想でよかっただろうかと不安になっていると、結菜は驚いたように瞳を大きくさせていた。かと思えば、ぷふっと吹き出すようにして笑い出した。
「あははははは! 唇の色が綺麗か〜。たしかに新しいリップだからな〜。あははははは」
「な、なんで笑うんだよ」
「やっぱり琉貴は可愛いな〜って思って。ふふふ。ありがとうね〜、頑張って褒めてくれて嬉しいよ〜」
結菜はニヤニヤとしながら、俺の頭を撫でてくれる。
結菜が笑えば笑うほど、俺の顔が熱くなっていく。きっと俺の顔は赤くなっていることだろう。それを隠すように顔を逸らし、俺は一人でバスターミナルに向かって歩き出す。
「もう結菜のことなんて知らないからな。温泉の宿までは走ってこい」
「あーあーあー、ごめんよ琉貴〜、拗ねないでよ〜」
俺がキャリーケースを引く音に、結菜のキャリーケースを引く音も重なる。結菜が追い掛けて来てくれることは、最初から分かっていた。
☆
無事に予約していた高速バスに乗り込み、ようやく一息つく。俺は背もたれに深く背中を預け、目を閉じてみる。するとだんだんと、眠気のようなものが襲って来た。
「あ、寝ようとしてるな〜?」
その声に目を開くと、隣に座っていた結菜がニコニコと笑っていた。結菜の手には、ポッキーの箱が握られている。彼女曰く、ポッキーが朝ごはんなのだと言う。
ちなみに俺が通路側の席で、結菜が窓側の席に座っている。
「さすがに早起きしすぎたわ。結菜には悪いけど眠っちゃいそう」
「温泉宿に着いたら動きっぱなしになるから、今のうちに寝てた方がいいよ〜」
「そうだな。温泉宿に着いたら何する?」
せめてバスが動き出すまでは起きていようと思った。眠気をごまかすためにも、俺は結菜に適当な話題を振る。
結菜はポッキーをポリポリと食べながら、「うーん」と視線を上に上げた。
「とりあえず温泉街を見て周りたいかな〜」
「いいね。温泉街散策するか」
「うん! 温泉宿では朝食と夕飯しか出ないらしいから、お昼ご飯は温泉街で食べよ〜」
「そっか。昼飯出ないんだったな。温泉街にどんな飯があるかだな」
「おそば食べたーい。温泉街ならありそうじゃない?」
「あー、ありそうだな。そば屋探すか」
「やった〜。お昼はそばで決まりで〜」
なんて会話を交わしている内に、バスが走り出した。ここから三時間のバス旅になる。
「今何時だ?」
俺はポケットからスマホを取り出して、画面をタッチする。すると画面には、七時十五分と表示されていた。
「あ、それって」
時刻も確認出来たしスマホをポケットにしまおうとすると、結菜が俺のスマホを指さした。
「ん、どうした?」
動きを止めると、結菜は俺の手からスマホを取り上げた。そしてスマホのカバーを確認するなり、へにゃりと頬を緩ませる。
「これこれ〜、これってこの間撮ったやつだよね」
「あ、」
結菜が持っている俺のスマホのカバーには、この間撮ったプリクラの写真が貼られていた。ぬいぐるみを抱える結菜と澄香に、俺が挟まれている写真だ。
このプリクラの写真はお気に入り過ぎて、どこかに貼っておこうと思ったんだ。どうせなら常に持ち歩く物に貼ろうと思って、スマホのカバーに貼っていたのを忘れていた。
これはまた結菜に「琉貴可愛い〜」とからかわれる。なにか言い訳をしなくてはと思ったのだが……。
「ふふふふ〜。お揃い〜」
結菜は自分のスマホを取り出すと、そのカバーを俺へと見せつけた。そこには、俺が貼っているプリクラの写真と全く同じものが、結菜のスマホのカバーにも貼られていた。
「なっ……結菜も同じの貼ってたのか……」
「うん! すっごくお気に入りの写真なんだ〜」
結菜は頬をとろけさせながら、大事そうに二台のスマホを抱えた。
「でも琉貴も同じプリクラ貼ってると思ったら、もっともっとお気に入りになったよ〜。絶対に大事にする〜」
心の底から嬉しそうな表情で、結菜は二つのスマホを見比べている。
こんなに嬉しそうにしてくれるなら、プリクラをスマホのカバーに貼った甲斐があった。
本当は夏休みが終わったら剥がそうと思っていたのだが、学校が始まってからもしばらくこのままにしようと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます