あーん
退屈な授業を寝て過ごしているうちに、土曜日を迎えた。今日は結菜とカフェに出掛ける日だ。
ただの友達と遊びに行くだけ。ただの友達と遊びに行くだけ。心の中ではそう唱えているが、朝からソワソワとしてしまいどこか落ち着かなかった。
普段の休日ならば正午近くまで寝ているのに、今日は七時に目が覚めてしまった。それからは着ていく服を悩んだりしている内に、あっという間に待ち合わせ時間がやって来た。
越冬高校の近くにある大きめの公園。その公園のど真ん中にある噴水の近くにあるベンチに座り、結菜を待つことにした。結菜とはこの噴水の前で待ち合わせをしている。
「結菜のやつ遅いな」
スマホで時刻を確認すると、午前十時十分だった。十時に待ち合わせをしているので、すでに十分が過ぎていた。
「あいつ……まさか寝てるんじゃないだろうな……それともなにかあったか……」
ありえる。あのぽわぽわとした雰囲気からは、遅刻しそうなイメージしかない。しかし結菜が授業中に居眠りをしている姿は一度もないので、特別睡眠欲があるというワケではなさそうだが……なんて思っていると。
「おはよ〜、お待たせ〜、遅れてごめんね〜」
すっかり聞き馴染みになった声に顔を上げると、そこにはニコニコ顔の結菜が立っていた。
「おはよう。ここまで来る途中になにかあったんじゃないかって、少しだけ心配したぞ」
「えー、心配してくれたんだー。琉貴優しい〜。でも何もなかったよ。なんの服着ていこうかなーって悩んでたら遅れちゃったんだ。ごめんね」
結菜はウィンクをしながら手を合わせた。
そうか。オシャレをしていて遅れてしまったのか。そんな可愛い理由なら、怒れるわけもない。実際に結菜の服は可愛い。ベージュ色のジャケットとロングスカートに白色のシャツを着ている。全体的にベージュ色にまとめているところが、結菜のゆるふわとしたイメージにピッタリだ。
彼女に対して俺は、青色のTシャツに白色のカーゴパンツという軽めの服装をしている。変に意識してると思われたくなくて、結局いつも通りの服装にしてしまった。
「全然いいんだ。あんまり待ってないし」
「お、デートお決まりのセリフだね〜」
「やかましいわ。遅刻したこと怒るぞ」
「うわーん。怒らないでー。もう馬鹿にしないから〜」
泣き真似をする結菜が可愛くて笑いをこぼしながら、俺はベンチから立ち上がった。
「よし。それじゃあ行こうか。人生初のカフェに」
「うん! 案内しますよ旦那ぁ」
結菜は手をニギニギとしながら、ふざけた調子でいる。土曜日でも結菜はいつも通りだなと思いながら、俺が彼女の頭を撫でたのを合図に二人で歩き出した。
☆
街の中にあるこじんまりとしたカフェ。その店内は落ち着いた雰囲気で、古時計やらフクロウの置き物などがあった。そんなカフェの角席に、俺と結菜はテーブルを挟んで向かい合うようにして座った。
「ここが結菜が通ってるカフェか」
パパっと注文を済ませてから、俺は改めて店内を見回した。なんだかレトロな雰囲気だ。
「通ってるって言うと大袈裟だけど、よく来るね」
「へー、思ったよりも落ち着いてる店だな」
「ふふー。どういお店を想像してたんだか」
「なんかこう、店の中がピンクで染まってるみたいな」
「もー、琉貴の目には私がどう映ってるんだよー」
結菜は萌え袖をしている手を口元に当てて、クスクスと笑った。土曜日に見る結菜の笑顔も、俺の目には輝いて映る。
「結菜って感じだな」
「もう、なにそれー」
でも本人に向かって「輝いて見えるよ」とは言えずに、俺ははぐらかすような言い方をしてしまった。しかし結菜は、おかしそうに笑ってくれる。結菜が笑ってくれたので、結果オーライだろう。
「お待たせいたしました。こちらカフェモカとパンケーキのセットになります」
結菜と話していると、トレイを持った女性の店員がやって来た。
「あ、はーい。私ですー」
結菜が手を挙げると、彼女の前にカフェモカが入ったマグカップとパンケーキが置かれた。
「それではこちらがコーヒーとモンブランになりますね」
「はい」
今度は俺の目の前に、ブラックコーヒーが入ったマグカップと手のひらサイズのモンブランが置かれた。
以上でお揃いでしょうか。そう確認を取ると、店員はキッチンへと戻って行った。
「ふふー、これこれー」
結菜は嬉しそうに微笑みながら、スマホでパンケーキとカフェモカの写真を撮った。
「美味そうだな。いただきまーす」
俺はさっそく、スプーンを使ってモンブランを食べる。栗のような甘さが口いっぱいに広がった。それをブラックのコーヒーで流し込むだけで、幸せな気分になれた。
「うまっ」
「でしょー? ここのカフェは食べ物も美味しいんだよー」
結菜はニコニコと笑いながら、フルーツが乗ったパンケーキをナイフとフォークで綺麗にカットした。その手つきは慣れていて、食べ慣れていることが伺える。結菜は切ったパンケーキを口の中に含むと、幸せそうに頬を緩めた。なんて美味しそうに食べるのだろうか。
「パンケーキも美味しそうだな」
あまりに美味しそうに食べるもんだから、ついそんなセリフが口から漏れていた。結菜は口の中の物を飲み込むと、嬉しそうに頷く。
「うん。すごく美味しいよ〜。琉貴もパンケーキ食べてみる?」
結菜はそう言うと、フォークに刺したパンケーキをこちらに向けた。
まさかこれは、夢にまでみた「あーん」というやつではなかろうか。カップルしか出来ない儀式だと思っていたが、まさか友達同士でも出来るなんて……。
「い、いいのか……?」
「うん。いいよー」
結菜はこくりと頷くと、俺の口元にパンケーキを近づけた。
夢にまで見た「あーん」が、今まさに叶おうとしている。その事実を噛み締めながら、俺は大きく口を開いた──その瞬間に、差し出されたパンケーキは結菜の口へと吸い込まれて行った。
一瞬。何が起きたのか分からなかった。しかし結菜の楽しそうな顔を見るに、俺ははめられたのだとすぐに悟った。
「残念でした〜」
結菜が煽るようにクスクスと笑う。俺はまんまと、「あーん」して貰えると思って口を開いてしまったじゃないか。その恥ずかしさから、顔が熱くなっていく。
「もういいし。分かってたし。俺は自分のだけ食べてますよ」
俺は恥ずかしさから視線を下げて、一人悲しくモンブランを食べることにした。
「あー! うそうそ! ちゃんと食べさせてあげるから。もー、拗ねないでよー」
俺が拗ねてしまったので、結菜が慌ててパンケーキをこちらに差し出してくる。でも顔が赤くなっているのを見られたくないからと、俺はまだ顔をあげる決心がつかなかった。
結局、結菜は俺にパンケーキを「あーん」してくれた。恥ずかしさと甘さが混じった、変な気持ちになった。
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