第4話「深海漂浪」

 夕陽が沈んだ時に、呰百合さゆりは買い出しに行った。

 彼女がいない間に、私は母親に連絡をする。


 「あら、呰百合さゆりちゃんが帰ってきているの?」


 「そうなんだよ、お母さん。それでね、急に泊まる事になっちゃって」


 廃墟にだけど、とは伝えなかった。


 「残念ねえ。お母さんも呰百合さゆりちゃんに会いたかったわあ」


 「もしできたら、明日家に連れてくよ」


 「そうして頂戴。昼飯ぐらいなら、ご馳走しちゃうから」


 「ありがとう。それじゃあね」


 電話を切ったところで呰百合さゆりが帰ってきた。


 「電話してたみたいだけど、お母さんか?」


 「聞こえてた? そう。明日良かったら家に来てって」


 「……考えとくよ」


 返答に少しの間があり、そこだけが気になった。


 「で、何買ってきたの?」


 呰百合さゆりは大量の袋を抱えていた。

 てっきり、コンビニだけで済ませてくるのかと思ったがホームセンターにも寄ったみたいだ。 

 

 「ホームセンターにも行ったの?」


 「ああ————少し、髄花ずいかと焚火がしたくてな」


 「夏の廃墟で……? もっと星の見えるところでしようよ」


 「駄目か……? 廃墟で焚火……」


 懇願するような眼差し。

 袋から見える焚火コンロ。

 少量のまき逡巡しゅんじゅんする私。


 「……まあ、いいよ。廃墟で焚火も」


 彼女に流され、焚火コンロを設置し、薪をべる。


 床に転がる頭蓋骨。

 添えられた白百合。

 刺さった脊椎。

 煙が舞う。


 火が薪を燃やし、バチっとはぜる音が響く。煙は、空いた窓へ逃げていく。

 焚火コンロを前に私たちは隣同士に座る。

 呰百合さゆりはどういう表情で、このあかりを見ているのだろうか。

 横顔を少し見る。そこには哀愁あいしゅうが漂っている気がした。


 呰百合さゆりは肩を寄せてきた。重たくはない。どちらかと言えば、どこか浮いていきそうで、離れていきそうなほど軽い気がした。夏の空に、手を離して飛んで行った風船みたいに。


 コンビニの袋を覗く。

 彼女がコンビニで買ってきたものは、殆どがデザートだった。クリームプリンに、エクレアに、何なら溶けたアイスまである。盛りだくさんのスイーツが袋の中で輝いている。輝いているのは水滴のせいかもしれないけれど。


 「……呰百合さゆりって甘党だっけ?」


 彼女と過ごした少しばかりの記憶の中に、彼女が甘いものばかりを食べていた記憶はない。どちらかと言えば、バランスよく摂取していた記憶がある。


 「ここ最近は特に、な。すまないけど、それ以外、買う意欲が湧かなくてさ。食べられそうなの、食べてくれるか?」


 「私は気にしないけど、食べ過ぎたら駄目だよ?」


 「母親みたいだな」


 呰百合さゆりが軽く笑う。

 廃墟での甘いものだけの夕飯も静かに2人で済ませ終えた。

 口の中が甘ったるい。


 「廃墟で焚火も悪くないだろ?」


 「悪くないけど、やっぱり廃墟は少し嫌かな」


 笑いながらそう返す。

 彼女も「それもそうだな」と自虐的に笑っていた。


 「ねえ」と私は聞いた。


 「どうして、ここに泊まって欲しかったの?」


 呰百合さゆりは少しだけ沈黙した。私も彼女の回答が来るのを待つ。

 焚火が辺りを照らす。今日の夜は、少し冷える。夏だけど、丁度いい温度かもしれない。そうやって、呰百合さゆりとの焚火を想い出として保管しようとする自分がいた。


 「髄花ずいかには」と呰百合さゆりは話し始めた。


 「髄花ずいかには、説明しておきたくて」


 「何をよ」


 「私の事」


 「それは知りたいかも。呰百合さゆりとの想い出なんて少ないから」


 「高校上がる前に、もう家業を継ぐことになったからな」


 少ない想い出だとしても、彼女との関係は家族のように濃い気がしている。


 「髄花ずいかとの関係も、お前の父親を殺した事から始まるんだったな」


 「忘れるわけないよ。私の父親を殺してくれた事」


 「掘り返された形跡もないし、綺麗に白骨化されてるといいけどな」


 と彼女は、廃墟の外の庭を見つめていた。

 

 「で、説明って何を説明してくれるの?」


 「そこの死体と私について」


 焚火の奥で寄り添う頭蓋骨。 

 上にあった頭蓋の一つがコロっと転がり、下に落ちる。


 「守秘義務はどうしたの?」


 「守秘義務なんて実はないんだよ。なにせ、依頼者なんてもう殺されちまったから。頭蓋は私が殺したくて殺したんだ。そう嘘をついたのは……髄花ずいかに説明するのに躊躇ためらいがあってさ」


 「そう。それで?」


 呰百合さゆりの話で、私は動揺をしなかった。

 彼女にとって、それが当然で。

 私にとって、そんな彼女が当然で。

 そんな私たちだから、こうして焚火の前で話しているのだろう。


 「そこの頭蓋はさ、私の妹を殺した奴らなんだ。私が家業に嫌気が指していた中学生上がりたての頃の話だ。私の仕事は妹に引き継がれた。でも、妹は私よりも出来が悪くてさ。人には得手不得手があるだろ? あいつには人を殺すなんて醜い才能を持つことは許されなくて、どっちかっていうと家で花の手入れをしている方が似合ってた奴なんだ」


 「妹さんいたんだね」


 「お前が会う前に、死んじまったよ」


 「会いたかったな」


 「……あいつもお前となら笑顔になれたかもしれないな」


 呰百合さゆりは悲しそうに笑う。


 「私はあいつと一緒にいても、笑顔にさせる事はできなかったからさ。あいつを最後に見たのは、下半身が削ぎ落されて実家に送られたときだ。上半身だけのあいつは臓物が全部抜かれて、空洞になった胴体に白百合が詰め込まれてた。妹が好きな花だった。その白百合が血で染められて、しなびてた。私はその時、妹に呆れたんだ。亡骸になった妹に。酷い姉もいたもんだ。

 私には誰かの殺害なんて、蠅を潰すのと一緒。誰かにとっての害悪をただ潰してるだけ。なのに、それが妹にはできなくて、いつも私に花の事を話してくれてた。面白い奴だろ? 花が少しでも人にとって心のどころになるって信じてたんだ。私にとっては、殺人以外に誰かを救える方法を知らないのにさ」


 だからあいつ死んだんだろうな、と掠れた笑いを浮かべながら彼女は我慢ができなくなったようなそぶりで懐から煙草を取り出して、咥えていた。火をつけることはなかった。咥える事で、その感情を抑え込む様な、そんな感じが私には見えた。


 私に寄り添う肩も、触れ合いそうになっている彼女の右手も微かに震えている。夏の焚火の前で。だから、私はそっと彼女の手を優しく握った。

 呰百合さゆりが少しびくっと肩を震わせながら、私を見た。

 怯えている瞳をしている。獰猛どうもうだったはずの呰百合さゆりが、何かに思われている訳でもないのに虐められている猫のように丸い瞳をしていた。


 彼女のそんな瞳は、私からそれる。


 「続けて」と呰百合さゆりの話を私は優しく求める。


 きっと、この関係性は焼べられる薪に似ているんだ。

 それがなければ、焚火はできない。


 どこまで言っても平凡な私。

 どこまで言っても殺し屋の彼女。

 継ぎ接ぎのような関係性を、心でうようにここにいるのだろう。

 お互いがいなければ、心は伽藍がらんになっていくのだろう。


 「……積み上がってる頭蓋骨は言った通りだ。妹を殺した糞野郎どもで、妹が始末できなかった糞野郎だ。元々、依頼者が本家に相談して、私が動くはずだったけど、妹が動くことになって……」


 「かたきを取った、ってわけでもないでしょ? 呰百合さゆりはそういうので、人を殺さないもんね」


 「随分と自信満々に言ってくれるんだな、髄花ずいかは」


 「私の父親を殺してくれた時が、そうだから。あの時と似たような事を、呰百合さゆりは今も言ってる。変わってないね、やっぱり」


 「ハッ。じゃあ、私は何のためにこいつらを殺したんだ? 何のために——この手を血で染めていくんだ?」 


 「私はね、こう思ってるんだ」と私が考える呰百合さゆりについて語りだす。


 「呰百合さゆりは、継ぎ接ぎなんだよ。人殺しで、殺人が嫌になって、学校生活を送ろうとしたり、私みたいな普通な存在に会おうとして、今だって、殺す意味を継ぎ接ぎしようとしてる」


 甘いものを摂取しすぎているのも、きっと自分になかった甘さを継ぎ接ぎしてるんだと思う。


 「呰百合さゆりにはね、このまま人殺しでいて欲しいよ。私にはやっぱりなれないから、殺意はあっても、殺害には至れない。あの頃のこの場所で同じこと、言ったでしょ? 呰百合さゆりにはそれがよどみなくできる。だから、正義の悪者でいてよ。呰百合さゆりはさ」


 「酷い言いようだな」と彼女は微笑んで「やっぱり、お前は変わってる」と私に言う。


 「それにね、やっぱり私は感謝してるんだよ。父親を殺してくれた事。普通の人はね、人を殺してありがとうなんて、言わないんだよ。でもね、私は感謝をしてるんだ。だって、それが私だから。だから、呰百合さゆりも誰かが困って、その人が私みたいに人殺しになれない卑怯者だったら助けてあげてよ。呰百合さゆりは誰よりもそれが綺麗にできるから」


 微かに握っていた呰百合さゆりの手の震えが止まった。

 しばらく会話はなかった。けれど、この空気も悪くない、と感じていた。

 呰百合さゆりもそう想ってくれればいいな、と考える。


 少しばかり、静かな空気が流れる。

 あるのは焚火の音と夜の虫がジーッと鳴いている。


 「――――」


 呰百合さゆりが突然、何かを言ったような気がした。

 けれど、眠気であまりはっきりと聞こえなかった。

 聞き返す力も私にはなく、ただ微睡まどろむ意識に身を任せる。


 「……眠たいか?」と呰百合さゆりがうとうとしていた私を支えてくれる。 

 軽く頷き、私をソファーに寝かせてくれた。


 「最後にさ」と呰百合さゆりは私を起こさないように、かすむ様な声で言う。

何かを伝えようとしている。でも、今の私に言われても上手く考えられない程に眠いよ、ともやがかかったような思考で私は訴えようとする。


 「聞いてくれるだけでいい」


 呰百合さゆりは、そんな私を察したのか続けた。


 「私の家——架治家かじけは、昔から殺人を営む家系でさ。私はそこに産まれて、これまで誰かの憎しみの宛先を殺せって言われてきた。その殺した奴らの魂をあるモノにべるんだ。

 何に焼べると思う? ——鯨だぜ、鯨。ああ、この場合の鯨ってのは海にはいないんだ。

 泳いでいるのは、人の意識の中だ。意識の海で、ずっと魂を欲しがっている鯨に私たちは誰かにとっての悪人の魂をべる。それが私たちだ。なんで鯨なんだって、考えちまうだろ? 私にもわかりはしないんだ。生まれ落ちて、生きながらえて、人生でわかる事なんて多くはない。それと一緒で、意識の中で鯨が存在している意味なんて、私にはまだわかりはしない」


 呰百合さゆりは私の頭を軽く撫でた。


 「特別に見せてやる。……本当に、特別なんだぜ? 私はな、お前に会えて感謝してるんだ。あの頃の夏に、お前の父親を殺して、それからお前を知れて、本当にお前は私の————」


 最後の言葉は聞き取れなかった。彼女が言おうとしたのは「友人」だろうか。それとも「親友」? まさかあの呰百合さゆりがね、と私は微笑み、かすんでいく視界の中で意識を落下させる。

 彼女の触れる手が急に、ひんやりとした。

 まるで真夏に入る夜の海のように————。

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