第2話「知己往路」

 「お嬢ちゃん。ついたよ」


 タクシーが静かに停車した。

 ドアが開けられ、私は料金を支払い外に出る。


 「見つかるといいな。お嬢ちゃんの友達」


 そういって、運転手は去っていった。

 灰の空は微かに青空が顔を見せている。


 雲の隙間から飛び出す陽射し。

 辺りを照らしているが、濁った空気で満ちていた。


 ここから1キロほど歩けば廃墟の病院につく。だが、廃墟につく前からこんなにも空気がにごっているのは人が住んでいない証拠だとも思えた。


 既に放棄され、窓ガラスが割れている小さい家が何件も並んでいる。

 恐怖はなかった。あればこんなところまでひとりでは来ない。

 私はしばらく歩いた。


 蝉の鳴き声。

 近くに川もあるようだ。せせらぎが聞こえる。

 夏が人のいないこの場所で、残響していた。


 廃墟の病院につく。


 崩壊していない事の方が可笑しいほどに、損壊箇所がいちじるしい。

 病院自体の作りは、平屋で個人診療所だった。こぢんまりとしたその雰囲気は、現代的というよりも近代的だ。戦前の頃から存在していても可笑しくない空気だ。


 小さな看板があった。恐らくそこにはここが何を診るところで、診療時間が記載されていると思うのだが、文字が消え失せ、草と絡み合っていた。

 平瓦ひらがわらが張られた屋根は剥がれ落ち、つたが窓をおおい、内側から外の空間を遮断しゃだんしていた。まるでここだけ時間が切り取られているようだ。今を生きておらず、昔に生きているような、変動することの無いあの頃のままを体現している気がした。


 ぬかるんだ土。

 手入れがされていない庭。

 伸びきった草。

 それらが孤独に生きている。


 私は入れる場所を探す。昔みたいに。

 玄関は直ぐに見つかった。前と同じだ。

 玄関にはそもそも開ける扉すらない。

 中に入る。当たり前だが、床がきしむ。

 酷いカビの臭い。腐敗した空気が舞う。


 内装も酷いものだ。

 病院として運営していた時に使われていた木製の机は、ひび割れた壁などの隙間から漏れてきたいつの日か降った雨によって更に劣化し、錆びついている。


 辺りには、病院関係の書類であろうものも散乱しているが、これも水によって濡れていた。病院というよりも墓地だ。人を診て、治していた場所とは到底思えなかった。死の残滓ざんしほこりと共に、この場所に埋まっている。


 入口、右側を見た。受付と長椅子がある。

 椅子は座ってくれる相手を待ち過ぎて、色褪いろあせていた。

 受付の直ぐ奥に部屋がある。


 そこは何の部屋なのかは不明だが、中には埃塗ほこりまみれの手術台が横倒しになっていた。

 玄関から続く、長い廊下。部屋を通り過ぎる。足元に気をつけながら歩き、右の角を曲がる。左にも道はあったが、手洗い場が見えた。近づきたくはない。右を進む。


 左手に新たな部屋があった。他の場所よりもそこだけ外装がまだ小綺麗で、埃が充満しているのに変わりはないが、部屋の中も綺麗そうだな、と感じた。

 奥には道は続いておらず、この家には受付直ぐの手術室らしき部屋と今私の目の前にある部屋しかない。とてもコンパクトな病院だ。


 眼前に観音開かんのんびらき式のモールガラス扉。私はその取手を恐る恐る握る。埃が手に付着するのが少しばかり嫌だな、と思いながら扉を開けた。軋む。扉も、踏み込んだ室内の床も。


 そこには、噂通り————頭蓋骨の山があった。綺麗だ、と思わず息を呑む。まるで博物館の展示品だ。そこには殺害されたという痕跡ではなく、死という形状を切り取ったような綺麗で、肉と血の一滴すら存在しない頭蓋たちがあった。


 だが、少し噂とは違い頭蓋骨だけではなく、中央に剣のように脊椎が床に刺さっていた事と数多くの白百合シロユリが添えられている。脊椎に関してはよく壊れずに刺さっているなと思う。


 人間業ではない。

 この風景はまるで何かの祭壇だ。


 周囲には左の壁際に設置されている棚とその棚の前に真新しい白色のソファー以外は置かれておらず、木製の床に敷き詰められた白百合が誰かの為の供花くげとして飾られているように見て取れる。部屋の中央を起点として、頭蓋骨が円を形成しながら山となって脊椎を囲んでいた。


 それらはこの廃墟の中で、唯一新品同然のものに見えた。この場所は死にれているはずなのに、目の前の頭蓋たちの死がこの廃墟という死に色を重ねて塗っているようにも感じる。

 そこで、背後に人の気配がした。私の肩に誰かの手が触れる。


 「おい————って、もしかして、髄花ずいかか?」


 「久しぶりだね、呰百合さゆり


 懐かしいあの頃の、夏の友達おもいでと再会した。

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