第三話 最後の要塞
『いえ、知りません』
俺が答えると、湯呑み茶碗の底に残った冷茶を啜り、
『そこに岡田山という山がありましてね。いや、山と言っても標高は1000メートルあるかないかという所ですが・・・・』
『その山がどうしたんです。』
俺の問い施設長氏は一層声を潜めて答えた。
『太平洋戦争末期、陸軍の要塞があったと言われてるんです』
『”と言われてる”なんて、随分思わせぶりな口調ですね』
『はっきりしたことは私も知らないんですよ。秘密基地みたいなものですからね。あくまで都市伝説の類に過ぎないんですが・・・・』
太平洋戦争(アナクロと言われるかもしれないが、へそ曲がりな俺の性分として”大東亜戦争”と言った方がしっくりくる。まあ、どっちでもいいが)の末期、昭和十九年のこと、陸軍の秘密研究所兼要塞がこの山に設けられた。
そこには当時の最新兵器が運び込まれ、帝都防衛の最後の要として活躍する筈だった。
しかし、基地の建設がほぼ完成に至った、昭和二十年の夏に終戦となり、そのまま基地兼要塞は”無かったこと”にされてしまったとこういう訳だ。
山の名前が”岡田山”と呼ばれたのは、当時の基地司令官だった岡田正孝陸軍中将の名前を取ってそう呼ばれたのだという。
『しかし、その岡田山と桐原老人とがどういう関係があるんです?』
『桐原弥一氏はその基地の最後の生き残りだというんです』
山田施設長は冷茶の代わりに唾液を飲み込んで喉を湿らし、また言葉を続けた。
大戦が終結後、司令官の岡田中将初め主だった幹部達は全員自決を遂げ、他の将校や兵隊達も次々と亡くなり、秘密を知るのは中将の秘書官で、当時陸軍少尉だった桐原弥一ただ一人になった。
老人は戦後、基地の噂を聞きつけたGHQから何度も取り調べを受けたが、頑として口を割らず、そのまま巣鴨で追放が解除になるまでの年月を戦犯として過ごした。
そうして次第に世間が秘密基地やら要塞なんて、物々しい呼び方を忘れて行く中で、彼だけはその存在を守り続け、様々な事業で資金を作り、岡田山を買い入れた。
日本政府は米国からの忖度もあってか、何度も山を売るように桐原氏へ交渉(いや、圧力と言った方が良いかもしれん)を持とうとしてきたが、彼はここでも絶対に頭を縦には振らなかった。
『・・・・つまり、桐原元少尉が行くとなればその岡田山しかない、とこういうわけですね?』
施設長は黙って頷いた。
『そういえば確かこちらの理事の中には元厚労省の政務次官だった衆議院議員のT氏の名前もありましたな』
俺の問いに施設長は苦い顔をしたが、否定も肯定もしなかった。
なるほど、施設側はスキャンダル。
そして理事の中には元与党の政治家・・・・何となく腹は読めた。
『お引き受けしましょう。』
『有難うございます。予算は幾らでも・・・・』
『いや、ギャラの方は通常通りで結構です。一日6万円と必要経費にプラス危険手当四万円です。』
施設長氏は不思議そうな顔で俺の方を見た。
『世の中には金よりも大事なものがあるってのは、幾ら私でも知っているつもりです』
恰好の付けすぎだって?
いや、その時の俺は
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