第二話 消えた老人 後編

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『パーソナルデータはその辺りで結構です。それで桐原さんはいつどうして”蒸発”したと?』

 俺の言葉に、山田氏は更に言いにくそうに話し始めた。

 二週間前の金曜日の夕方の事。


 桐原老人はいつもの日課通り、夕方の散歩に出かけた。

『1時間ほどで帰ります』そう言い残し、いつもと全く変わった様子もなく。

 当時の服装は、夏だというのに、長袖のウールのシャツに厚手のズボン。

 それに何故か登山靴とまでは行かないが、かなり長距離を歩けそうなウォーキングシューズを履き、肩からは大きめのショルダーバッグ、片手に歩行用のアルミのストックをついていた。

 当時の担当職員には、

”途中で具合が悪くなったら必ず知らせる”

 そう断っていたというが、これもいつもの事で、職員もさして気にもかけずに送り出した。


 ところが、1時間が経ち、2時間が経っても帰ってこない。

 最寄り駅に問い合わせてみたが、確かにそれらしい老人が電車に乗ったのを目撃していたが、どこへ行ったかまでは分からないという。

『では、”どうして”というやつを伺いましょうか?』

『は?』

『警察に失踪届を出せない”理由”ですよ。それを話して頂けないなら、この一件はお引き受け出来ませんな。』

 山田氏は、仕方がない。とでもいうように肩をすくめ、上目遣いに俺を見ながら、

『これは本当に外部に知られると・・・・その、何なので・・・・絶対に御内密に願います』と言った。

『これでも探偵です。職業上知り得た事実については、秘密はお守りします』

 俺の言葉にやっと納得したのか、彼はやっと話し始めた。


『これを見て下さい』

 山田氏は丸めた紙筒を俺の前の卓子テーブルに置き、隣に一冊の大学ノートを添えた。

 俺は何も言わずに紙筒を広げる。

 そこには筆太の、かなり達筆な文字でこうあった。

『後追い無用。

 万が一警察に知らせた際には、”アレ”を公開する。

        令和〇年✖月✖日

                   桐原弥一』

 俺は続けて隣の大学ノートを手に取る。

 そこには人の名前と細かい数字がち密な文字で書かれてあった。

『この施設のあらゆる不正に関する記録ですな』

 俺の言葉に山田施設長は一瞬目をしばたたかせたが、諦めたように頷いた。

『こいつは所謂コピーでしょう。本物は老人が持っている。違いますか?』

 彼は又しても頷く。

 詳しくは言えないがと前置きして、この施設では長年に渡って経理の不正が行われてきたそうだ。

 桐原老人はその明晰な頭脳を持って、あらゆる不正を調べ上げ、現物の台帳などを盗み出したという。

『お、お願いします。お金は幾らでも払います。桐原さんを探し出してくれませんか?』

 幾ら施設長だのなんのと言ったって、彼だって所詮は雇われている人間だ。恐らく背後にいる偉いさんにハッパをかけられたんだろうな。

『・・・最後にもう一つだけ教えてください。幾ら私立探偵だからってスーパーマンじゃない。手がかりもなく仕事を引き受けるわけにはゆきません。』 

『・・・・』

 施設長氏は沈黙の後、

『くれぐれも内密にお願いします』と繰り返し、

『奥多摩のS町をご存知ですか?』と、思わせぶりな口調で言った。


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