第003話 出会ったばかりで「うち来る?」って!

 ────はっ!?


 な……なにっ、いまの幻覚っ!?

 わたし、人間の暮らしに興味あるから、たまーに人間の女の子になった妄想してたけれど……。

 いまの幻覚は、妙にリアルだった!

 いやいや、いまはそれどころじゃなくって……。

 目の前の彼……は?


「……………………」


 ……尻もちついたまま、口半開きで、黙ってこっち見上げてる。

 さっきの妄想のわたしみたい。

 光沢のあるダークブラウンの髪に、整った面長の顔……。

 銀縁の眼鏡が、知的な顔つきによく似合ってる。

 ……うん、アリ。

 わたし的にかなりアリな顔、好み。

 顔の印象だけだと、学者さん、お医者さん、教師さん……っぽいかな?

 でも服装はしっかり野外活動仕様だから……農家さんかも。

 ……あ、敵意がないこと、伝えておいたほうがいいかも?

 サンショウウオの姿だと、人間の言葉話せないから……精神感応テレパシーで。

 えーとこれ、ほとんど使ったことないから、やりかた忘れちゃったなぁ。

 確か……外鰓(※1)があったところに、意識集めて……ンンンン……!


(ン……こほん。わたしはこの沼の主……あ、いえ、女神です。あなたのことは食べませんので、安心してください)


「えっ? な……なんですっ? どこからか……女の人の……声っ?」


 あー、うろたえてる、うろたえてる。

 人間のイケてるお兄さんが慌ててる姿、見るの楽しいな~♥

 消滅前に、いいもの見れてよかった~。


(わたしはいま、あなたの心へ話しかけています。「こいつ……直接脳内に!」なんて、驚かないでくださいね)


「あ、うん……。そうか……きみが助けてくれたんですね。腰を強く打ったので、座ったままで恐縮ですが……礼を言いますよ。ありがとう」


(えっ……? 礼……?)


 ……あっ。

 この人、さっきのイノシシに追われてたんだわ。

 そのイノシシをわたしが食べたから、偶然助けたかっこうに……。

 だったら、恩を売ったことに……しておこうかな?

 なかなか好みのタイプだし♥


(……ま、まあ、困っているようなので、口を……いえ、手を貸しましたが。イノシシは、わたしたちにとっても天敵。あなたを助けたのは、あくまでもついでです)


 くううぅ~!

 お高くとまってるなぁ、わたし!

 本当は見返りに、しばらくおしゃべりさせてほしいってだけなのにっ!


「……ああ、やっぱりこの沼、イノシシに荒らされてるんですね。子どものころに見たときより、ずいぶん小さくなったなって、思ったんです」


(はい……。イノシシは清水の流れを止め、沼を端から掘り返していきます。ですが彼らも、本能に従ってのこと。わたしにできる抵抗は、沼に近づいてきたものを食らうくらいです)


「僕はいま、ここらの水源を見てきたんですが……。イノシシにほじくり返されたり沼田場(※2)にされたりで、早晩枯れそうな感じでした。ここの沼、この先大丈夫ですか?」


(正直……沼の存続は危ういです。ですがこれも、自然の淘汰ですから……。従うよりありません)


「……いえ。自然の淘汰が、すべてとは言えません」


「それは……どうしてですか?」


「僕たち人間にも、責任があります。山間を削って道路を作り、そちらへ人の流れを偏らせたために、こうした荒れた山道ができてしまいました。一度この山の生態系へ干渉してしまった以上、水源の維持や、生態系のバランスを維持する役割を、続けなければならなかったんです……」


 わわっ、この人……。

 人間の無責任さを……わかってる。

 久しぶりに会えた人間が、ちゃんと山全体を考えてくれてる人で……うれしいっ!


「僕は麓で農家をしている、ロディ・フェーザント。ここらの水を水田へ引けないかと、様子を見にきたんですが……。この状況で水を引いたら、もはや水泥棒ですね。イノシシと一緒にあなたに食べられても、しかたなかったです」


(あああ……決してそんなことはっ! あなた……ロディさんのように、山のことをしっかり考えてくれてる人を食べるなんて、とんでもないですっ!)


 ロディ・フェーザント……。

 ああもうっ、名前まで聞いちゃったら、変な情が湧いちゃう!

 ほっぺの内側が、キュ~って甘酸っぱくなっちゃう!

 できればロディさんと……お友達になりたいっ!

 でも、だけど…………。

 どうせこの沼は、もうすぐ消えるし、わたしも消える……。

 いまさらドラマティックな展開なんて……ないよね。

 万一あったとしても、それはかえって残酷……。

 わたしはもうすぐこの沼の底で、泥と落ち葉に囲まれて、朽ちるんだから……。


「あの……女神さん?」


(あ、はい)


「もしよろしければ、しばらくうちへ来ませんか?」


(…………はい?)


「うちの水田、人手不足で一町(※3)ほど減反する予定なんです」


(……はい)


「でも、田をそのまま放置したら土がダメになってしまって、将来元に戻せません。ですからここのサンショウウオたち、そこで一時的に預かりましょうか? その間に、この山の荒廃の解決策を探る……ということで」


(…………)


「水質はここの湧水よりちょっと落ちそうですけど、きれいな川の上流から引いてます。可能なら、下見に来てみませんか?」


 ──トクンッ!


 えっ……ちょっと待って!

 わたしいま……「俺の家へ来い!」って言われてるっ!?

 プロポーズ……されてるっ!?

 いやいやいやいやっ!

 いまのをプロポーズと解釈するのは、妄想もいいとこっ!


 でも彼の……ロディの申し出は魅力的。

 一町の水田なら、いまここにいる眷属を余裕で移住させられるっ!

 わたしも延命できる!

 ど、どうしよ……。

 とりあえず……とりあえずここから先の話は、この姿じゃダメ!

 大切な話だから、人間の姿にへんして、声に出して話し合わなきゃ!

 ああでも、胃の中のイノシシがまだ未消化……。

 いま人間に化けたら、出っ腹のみっともない女に……!

 イノシシ早く溶けろぉ……溶けろおおぉ……!



(※1)外鰓がいさい。サンショウウオが幼体時に持っているえら。サンショウウオは水中で孵化後、しばらくエラ呼吸で成長し、陸上生活へ移行する際に肺呼吸となり外鰓が消える。ウーパールーパーのような、エラ呼吸のまま水中で過ごす幼形成熟ネオテニーもいる。

(※2)沼田場ぬたば。野生動物が体を洗う泥水の溜まり場。特にイノシシの場合を指す。イノシシが転がって泥浴びをする様子が「た打ち回る」の語源となった。

(※3)一町いっちょうは約一〇〇メートル四方。

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