第9話 帰り道
「え、タクシー来れないの?」
私と菜乃花がさっきまで撮っていた写真の話をしていると、山川さんの驚いたような声が聞こえてくる。その声にびっくりしたのか、ヘズ君が少しだけ低く構える。そんなヘズ君を見てか、泉碧空はしゃがみ込むと、ヘズ君の両頬を撫でる。
「来る前に帰りも頼んでたんだけど、道路で事故に遭っちゃったみたいで」
「どうするの?」菜乃花が不安そうに聞く。
「んー、歩いて帰るよ」泉碧空はまるで問題なしとでも言うかのような、軽い口調で言う。
「え、大丈夫なの?お家、結構遠いでしょ?」
「途中でバスに乗るくらいだし、なんとかなるよ」
泉碧空はそう言うと、少しだけ口角を上げて笑う。それを見た山上さんは少しだけ呆れたような顔をする。山上さん曰く、「泉碧空は自分に対して軽視的」だそうだ。
「こんなの、よくあることだよ。別に大したことじゃないし。ヘズもいる」
泉碧空はそう言って立ち上がる。すると、何かを思い出したのか「あ」と、小さく声を漏らす。
「できればバス停まで案内してくれないかな?」
「もちろんだよ!」菜乃花が張り切った口調で言う。
菜乃花はスマホで現在の位置から1番近いバス停を調べる。私も、菜乃花のスマホの画面を見る。検索にヒットしたのは、今日、私が来る時に降りたバス停だった。
「そういえば、碧空君って、どこまで乗るの?」菜乃花が泉碧空に問う。
「ここからだと、3つくらい先じゃないかな。あの、植物公園があるところ」
植物公園?私はどこかで聞いたことがあるその言葉に引っかかる。
「植物公園って、『森の家』のこと?あ、じゃあ、色ちゃんと同じ方向のバスじゃない?」
菜乃花のその言葉を聞いて、私の思考が停止する。そして、すぐに脳内に「は?」の2文字が浮かび上がる。
「それなら、途中まで色さんと一緒に行ったら?」
山上さんの言葉が、さらに?マークが追加で二つ付く。
「なんか、ごめん」
二人分離れた位置に座る泉碧空が言う。私は「別に」とぶっきらぼうに答える。私と泉碧空の間に座るヘズ君が、私のことを見てくる。なによ?私は何となくヘズ君から目を逸らす。前の席には、部活帰りの学生や、お爺さんお婆さんが座っている。おかげで空いてる席が後ろしかなかった。
結局、みんなでバス停まで移動して、私と泉碧空は同じバスで帰ることになった。菜乃花と山上さんはすこしだけ買い物をしていく、と言っていた。
そういえば、バスに犬って乗せていいんだっけ。バスに乗る時、そんなことを考えたが、ヘズ君が慣れたようにバスに乗る姿を見て、盲導犬は乗ってもいいいのだと初めて知った。
そんなこんなでバスに乗れたはいいものの、先ほどから嫌な空気が流れている。というか、多分、私がこの空気を作っている。正直、早くこの場から立ち去りたい。
話したいとも思わない相手と、同じ空間にいることが、私は歯痒くて仕方ない。
私は何となくスマホを取り出す。次の次の駅で、泉碧空はバスから降りる。それまで、スマホを見てやり過ごそう。
「色さん、写真好きなの?」
私の考えも虚しく、泉碧空が話を振ってくる。私はなるべく簡潔な答えになるように、少しだけ文章を考える。
「別に、まあまあかな」
「なんで、写真部に入ったの?」
「なりゆき。菜乃花がいたから」
「今日は楽しかった?」
「まあ」
怒涛の質問攻めに、私は何とか対応する。すこしぎこちなくはなっているが、今更だし、どうでもいい。早く、話が終わってほしい。
私の願いが通じたのか、泉碧空が急に喋らなくなる。私は何となく隣を見る。泉碧空は窓の外に顔を向けていた。目、見えないのに。私は失礼なことを言っていることに何も思わない。興味がないと、何を思っても何も感じない。今はとにかく、こいつから離れたい。それだけだ。
「〇〇駅、到着です」
バスの運転手の声が車内に響く。それを聞いて、泉碧空が立ち上がる。その時、泉碧空のポケットから何かが落ちる。
カチン。
金属音。落ちたのは犬のストラップがついた鍵だった。おそらく、家の鍵だろう。私はそれを拾おうと手を伸ばす。すると、私より先に、鍵に誰かの手が触れる。
「…これかな」
泉碧空はそう言うと、ポケットに鍵を戻す。私は伸ばした手を引っ込める。
「またね、色さん」
泉碧空はそう言うと、ヘズ君のリードでバスの前方へ移動する。Suicaで運賃を払って、外に出る。
しばらくしてバスが発進する。窓の外を見ると、ヘズ君と一緒に歩く泉碧空がいる。
私はこの時、まだ違和感に気づいていなかった。
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