第48話 新里蒼司

『ったく本当にエライ目に遭わされたよ。日曜の朝っぱらから俺も社長も呼び出されてさ…』

「あの…何があったんですか?」


 電話でいきなり愚痴り始めた佐川に、謙太は聞いた。

 佐川はすぐには答えず、やや間をおいてから言った。


『あんたさあ、実は最初から全部知ってたんじゃないの? それで黙ってたなんて、人が悪すぎる』


「…何のお話なのか、本当に全く分かり兼ねます。KENさんの失踪に関する件でしょうか?」


『ホントに何も聞いてないの?

 あの新里って刑事さん、あんたの親戚か何かじゃないの?』


 いきなり頭をガツンと殴られたような衝撃を、謙太は覚えた。


 前日、朱里と別れた後もKENの失踪の真相を彼女にどう話せばいいかで迷い続け、余りよく眠れなかったせいで、今朝は寝過ごしてしまった。

 佐川からの電話で起こされたので、10時を過ぎているがまだベッドの中だ。


「呼び出されたって、警察に? 警察から連絡があったんですか?」


(まさかKENは、本当に涼や駿たちに殺されていた? 駿たちの話は全て嘘?)


 一気に動悸が激しくなるのを、謙太は感じた。


 違約金を持ってノース・エンタープライズに現れたのは駿たち3人で、KENが姿を見せたわけではない。

 第4の仮説が正しいなら傷害致死には涼も関わっており、涼がアルバイトを無断欠勤し続けていることと関連があるかもしれないと、謙太は考えた。


(もしかして涼たち4人はKENの死体の扱いに困って、その手の連中に金で処分を依頼したとか?

 でもプロダクションへの違約金の支払いもあるし、そっちの支払いが滞って涼は逃げた…のか?)


 謙太が一気にそこまで考えを巡らせた時、佐川の深い溜め息がスマホから聞こえた。


『君がよっぽどの名優でない限り、本当に何も知らないみたいだな。

 誤解して悪かったよ。そんなありふれた名字じゃないから、てっきり…』


「私が調査で知りえた事は全てそちらにご報告しておりますので、その点はどうかご信頼いただきたいと存じます」


 顧客対応マニュアルの例文どおりに、謙太は言った。但し、朱里から聞いた話は一部しか伝えていないがと、内心で思いながら。


 だが、さすがに自殺の可能性は低いだろうと考える。


 もしKENが自殺したなら駿たちがあんな嘘をつく必要はないし、あれが嘘でなければKENはどこかのマダムの所にいるのだ。

 警察の介入する余地はないはずだ。


「あの、まさかとは思いますが、KENさんが殺された…という話ではありませんよね? 或いは自殺した、とか」


 佐川たちが警察に呼び出された理由がどうしても気になって、謙太は聞いた。


『殺されたって言えば殺されてるし、自殺って言えば自殺だな』

 投げやりな口調で、佐川は言った。


 意味が分からず、謙太は混乱する。

「あの…それは一体、どういう――」

『KENの死因は違法薬物の過剰摂取。オーバードーズってやつ』

「や…くぶつ…?」


 全く予想もしていなかった言葉に、謙太は唖然とした。

 驚愕のあまり、思考が半ば停止する。


『先々週の月曜ごろにはもう、死んでたみたいだよ。

 駿たちは一緒にドラッグをやってたんで、それがバレるのを恐れて警察に通報しなかったばかりか、うちにもあんな嘘ついて誤魔化そうとした』


「だって…死体があるんだから誤魔化せるはずないじゃないですか」

 驚愕と混乱の余り、やや乱れた口調で謙太は言った。


 第4の仮説で想像した光景の代わりに、何らかの違法ドラッグでラリってハイになって大騒ぎするKENたち4人の姿が脳裏に浮かんだ。


『新里刑事じゃないほうの若い刑事さんもそんなこと、言ってたな。

 余計なことをしたせいで大麻取締法違反だけでなく、死体遺棄と死体損壊罪まで負う羽目になった…って』


(死体損壊って、要するに……)


 思わず想像してしまって、謙太はそれ以上、考えないことを自分に強いた。


 確かに、KENのマンションの出入り口には防犯カメラがあった、と謙太は思い出す。

 大きなスーツケースか何かに入れて運び出したとしたら、その姿はかなり目立ってしまうだろう。

 もしKENの失踪を警察が捜査して防犯カメラの映像をチェックしたら、大きなスーツケースを運び出した人間には、間違いなく容疑がかかる。


「だけどKENの失踪って、俺が調査始めた段階では単なる行方不明でしたよね?

 警察は動いてくれなかったって、佐川さんも言ってたし」


 KENに「さん」を付けるのも、一人称に仕事用の「私」を使うのも忘れ、謙太は言った。

 佐川は何度目かの溜め息をつく。


『それがさ。KENは単にドラッグをやってただけでなく、密売にまで手を出してた疑いがあるらしくて…。

 俺が失踪届けを出す前から捜査は進めてらしい。但し、俺が届けを出したのとは別の警察署で』


 おかげでプロダクションまで関わっている可能性を疑われ、日曜早朝から警察署で事情聴取を受ける羽目になって、本当に勘弁してほしいよと佐川はぼやいた。


『君と君のところの事務所の名前はKENの失踪調査をした探偵として警察に話しといたんで、何か連絡があるかもね。

 俺は本当のことしか話してないから、君も事実だけ話してくれればいいから』


 用件はそれだけだと言って、佐川は電話を切った。


 直後に、着信があった。

 蒼司からだ。


 蒼司は、鈴木健太の失踪について事情聴取したいので協力をお願いできないか、と事務的な口調で訊いてきた。

 兄ではなく、刑事としてかけてきたのだ。


 謙太は、2時間ほどでそちらに着けると思います、と同じく弟ではなく、木下探偵事務所の調査員として答えた。

 電話を切ってから溜め息をつき、スマホをベッドの上に投げる。


(俺の仮説は全て外れたけど、これなら星野さんにとって最悪の結果にはならなかった…って言えるだけマシかな…)


 そう考えて少しでも自分を慰めることしか、謙太にはできなかった。


***


 蒼司の勤務する警察署に謙太が着いたのは、12時近かった。

 受付で名前と用件を告げると、すぐに3階に案内される。

 小さな部屋に通されて椅子に座わり、待ったという感覚を持つほどの時間が経過する前にドアが開いて、若い男が姿を現した。


「すいませんね、日曜なのに来ていただいて。何か飲みます? 何かって言っても、緑茶とコーヒーしかないですけど」


 爽やかな笑顔で若い男は言った。

 自分より1、2歳くらい年下だろうかと思いながら「お構いなく」と言って謙太は断ったが、警察署で「お構いなく」は変だろうかと自問する。


 被疑者が取り調べを受ける姿はドラマや映画で何度も見ているが、自分はただの参考人だ。

 若い男は「そっすか」と言って取り調べ補助官用の席に着いた。


 程なくしてドアが開き、蒼司が姿を現す。

 警察業務に年末年始も盆休みもなく、もう何年も実家に帰っていないので会うのは数年ぶりなのだが、蒼司は「久しぶり」も「元気だったか?」もなく、事務的な態度で淡々と事情聴取を進めた。


 謙太はここに来る前に木下に電話して事情を話し、調査報告書を警察に渡す許可を取っていた。

 別に義務はないのだが、探偵事務所としては警察に協力しておいたほうがよいだろうという謙太の判断に、木下も同意したのだ。

 出勤日ではないので、途中コンビニに寄ってプリントアウトした報告書を、謙太は蒼司に渡した。


「日曜なのにわざわざ印刷までしていただいて、さすが弟さん、手際いいっすね」


 若い男の言葉に、それまで事務的な態度を保っていた蒼司はかすかに溜め息をついた。


「水曜に鈴木健太のマンション前で若い女性と一緒にいるのを見かけてたんすよ。

 何であの時、教えてくれなかったんすか?」


 前半を謙太に、後半を蒼司に向かって若い男は言った。


「マンション前で見かけたって、張り込みをしていたってことですか?

 一体いつからKENを――鈴木健太をそこまでマークしてたんですか?」


 以前から捜査を進めていたらしいと佐川は言っていたが、張り込みする程の容疑が固まっていたのだろうかと疑問に思い、謙太は訊いた。

 以前から自宅マンションを張り込んでいたなら、失踪に気づくのは当然だ。


「薬物使用の容疑だけなら、もう少し前から掛かってましたけどね。

 所属プロダクションから失踪届けが提出されたことが判明したんで、単純使用以外の容疑もかかって重点的にマークするようになって。

 張り込みを始めたのはそれからっす」


 蒼司が口を開こうとしないので、爽やかな笑顔を浮かべたまま、若い男は答えた。

 その言葉に、謙太は更に疑問を抱く。


「失踪したのが判明したから、重点的にマークするようになって張り込みを始めたのなら、失踪したのはどうして分かったんですか?」


 重点的にマークしていたから失踪が判明した、なら分かる。

 だが、順番が逆だ。


「プロダクションのマネージャーさんが、行方不明者届を出してくれましたから」


「でも…ノース・エンタープライズの佐川さんが行方不明者届を提出したのは別の警察署ですよね?

 一般行方不明者の場合は民事扱いで警察の捜索対象外だから、身元不明の遺体が出たのでもなければ、照合はしないんじゃ…」


 増えるばかりの疑問に、謙太は戸惑いながら問いを続ける。

 同じ警察署だったとしても、一般の行方不明者届けが全て刑事課に回されてくるとは思えなかったのだ。


「それが照合したんすよ。ま、先輩に言われたからやっただけなんですけど」

「ですが…失踪したことが判明する前に、どうして行方不明者届を照合しようなんて…」


 訳が分からず、謙太は聞いた。


「コンピュータで簡単に照合できるので、容疑線上に上がってきた被疑者だの関係者については、割と定期的に照合してるんすよ。

 先輩がそうしろって言うから俺がやってるだけで、皆がそうってわけじゃないですけど」


「その位にしておけ、倉田。喋り過ぎだ」

 たしなめる口調で、蒼司は若い刑事に言った。


「はい、了解しました。新里警部補」

「だからそれはまだ結果が出ていないと、何度言えば――」

「でも、あれだけの薬物密売組織壊滅の中心的役割を果たしただけでなく、11年前の未解決どころか事件化すらしていなかった殺人事件を解明したんすよ?

 そのうえ筆記も実技もばっちり。

 それで最終面接で落とされるわけがないでしょう」


 倉田刑事の饒舌じょうぜつに、蒼司は再び溜め息をついた。


「どちらも俺はいくつかのきっかけを掴んだだけで、薬物密売はチームで解決に当たったんだし、殺人事件のほうは鳥取県警の手柄だ」

「鳥取の未解決殺人事件て、まさか鈴木健太の母親の…?」

「なぜ、そのことを?」


 思わず聞いた謙太に、蒼司と倉田は鋭い視線を向けた。


 倉田の先ほどまでのどことなくおちゃらけた雰囲気は嘘のように消え失せ、獲物を狙う猛禽のような目になっている。

 爽やかな笑顔の時は自分より1、2歳くらい年下だろうと謙太は思ったが、こうして見ると逆に1、2歳は上の印象に変わる。


「…さっきそちらの方がおっしゃった、水曜に鈴木健太のマンション前で会った若い女性から聞きました――あくまで、仮説としてですが」


 情報提供者の秘密は守る――映画の探偵ならそう言うだろうと思いながら謙太は答えたが、秘密を守る必要があるのは情報提供者が裏社会と繋がっていて、捜査関係者に情報を漏らしたと知られたら身に危険が及ぶ場合の話だ。

 やましいしい所が何もないなら何事も包み隠さず正直に打ち明けるのがベストで、さもないと痛くもない腹を探られる羽目になる。


 謙太は名刺入れから朱里の名刺を取り出し、出会った経緯いきさつから始めて彼女が立てた仮説について、かいつまんでざっと話した。

 それでも、朱里がKENの婚約者を自称していること、中学生の時いじめにあい、クラスメイトだった鈴木健太に救われたことまでは話せなかった。

 ただ、「とても熱心なファン」としか言えなかった。


「ただの『熱心なファン』が、そこまでの仮説を立てますかね」

 声を潜め、倉田は蒼司の耳元で囁いた。


「ご協力、感謝します」


 これ以上、謙太に聞かせたくないらしく、そう言って蒼司は事情聴取を切り上げた。

 その隣で倉田は爽やかな笑顔に戻ったが、2人とも「刑事の目」のままだと、謙太は感じた。



 外に出て振り向いて警察署の建物を見た時、不意に謙太は不安に襲われた。


(星野さんはドラッグとは無関係…だよな?

 でももしKENに騙されて肉体関係を持った時に、無理やりドラッグを勧められていたら?

 中学の時にいじめから救ってくれた恩人で、今は大ファンになったKENから強引に勧められて、断れるのか…?)


 不安に駆られるまま、謙太はスマホを取り出して朱里に電話を掛けようとした。

 だが、電話してどうする? という疑問が湧く。


(警察から事情聴取される可能性があると伝えるのはいいとして、それからどうする?

 まさか、逃げろとでも勧めるのか……?)


***


 不安な気持ちをいだいたまま、謙太は自宅に戻った。

 朱里の為に自分にできることは何かないのかと考えたが、何も思いつかない。


「…は、はははは……はは…」


 突然、乾いた笑いが込み上げてきた。


 4つの仮説は全て外した。

 KENの失踪の裏に薬物の存在があるなどと、思いつきもしなかった。

 海外のミュージシャンにはドラッグに手を出す者が少なくないようだし、日本でも芸能関係者が薬物所持で捕まったという話は、そこまで珍しくない。


 それなのに、可能性を疑うことすらしなかった。


 KENの捜索で次に打つべき手が見つからずに謙太がただ悩んでいた時に、兄は着々と捜査を進めていたのだ。

 無論、公的機関である警察と民間の探偵事務所では、利用できる情報も行使できる権限も全く異なる。


 だが倉田刑事が言っていたとおり、蒼司は他の刑事が調べないであろうデータも調べ、事件化していなかった11年も前の事件まで解決した。

 「きっかけを掴んだだけ」だと本人は言っていたが、そのきっかけを掴むのが、事件捜査では何より難しいし重要だ。

 正しいきっかけを掴めば後は地道に捜査を進めればいいが、今回の謙太のようにきっかけを掴もうとして誤った仮説に固執すれば、自らやぶに突っ込むだけだ。


「本当にもう…兄ちゃんにはかなわないよ。

 全然全く敵わないのは分かってたけど…分かってたのに……」


 全身の力が抜けて、謙太はベッドに仰向けに転がった。


 今回の案件では的外れな仮説ばかりを追って、結果的に何の役にも立たなかった。

 朱里は警察の事情聴取を受けることになるだろうから、KENの死についても、おそらくそこで知ることになる。


 朱里が一度でも薬物に手を出していれば逮捕されることもあり得るだろうが、それに対して自分ができることは何もない。


(自分の無力さが、情けない……)

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