第46話 バックマスキング
『すみません、お休みのところ電話してしまって』
申し訳なさそうな口調で、朱里は言った。
「いえ、大丈夫ですよ。今日も仕事なのでお気遣いなく」
咄嗟に謙太はそう言ったが、捜索中止の連絡があってからまだ1時間も経っていないこのタイミングで電話があったことで、心臓の鼓動が速まるのを感じていた。
『実は……あの後も「Song Of My End」に他のメッセージが隠されている可能性があるんじゃないかって、ずっと調べてたんです。
私とKENが付き合い始めたきっかけが映画の話だったので、どうしてもそこに思い入れがあって映画の台詞がカギに違いないって思い込んだんですけど、KENが恩人の曲を盗んでまで残したかったメッセージは何なのだろうって、改めて考えたら……』
一息に言ってから、朱里は一旦、間を置いた。
そして、深刻な口調で続ける。
『これは遺書というより、ミステリ小説などで言うダイイング・メッセージなのでは、という考えに辿り着きまして……』
「ダイイング・メッセージ……ですか」
おうむ返しに、謙太は言った。
ダイイング・メッセージどころか、KENは今頃どこかの豪華な別荘の彼専用に作られたスタジオで、ただひとりの観客の為に甘い歌声を聞かせているのだろう。
ファンに何も告げずに姿を消したのは、音楽そのものを捨てたわけではなく、強力なスポンサーの財力を背景に売り出す路線に切り替えたからかもしれないと、内心で謙太は思った。
(ひょっとしたら、駿たちはKENのバックバンドとして活動を続け、相応の報酬を得る条件と引き換えで、KENの今の居場所を伏せたままノース・エンタープライズに対して絶縁状を突き付けたのかも…………)
「とにかく……そうですね、またどこか外でお会いしてお話を伺います」
謙太がそう言ったのは、とても電話でKENの真実について朱里に話す気にはなれなかったからだ。
『ありがとうございます。
何度もお呼び立てしてしまって、本当に申し訳ないと思ってはいるんですが、どうしてもこれだけはお話しておきたくて……』
嬉しそうでもあり、申し訳なさそうでもある口調で朱里は言った。
朱里と会うのは謙太としては気が重かったが、このまま何も話さなければもっと寝覚めの悪い想いをするだろう。
それで、少しでも心の準備をするため午後から会うことにして、店は朱里の指定に任せた。
***
どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からない。
鈴木健太は自分のことなど全く覚えていなかった。
いじめから救った――実際は、悪化させただけだが――ことはもちろん、単なるクラスメイトの1人としすら、覚えていなかったのだ。
だが、姉の美羽のことは覚えていた。
学年の異なる2人は言葉を交わしたこともないはずだが、その記憶は鮮やかなままだ。
そう。美羽のことなら覚えているのだ。
もしも自分が美羽のように美しかったら……。
もしも、自分が美羽だったら…………。
気が付いたら、≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSにDMを送っていた。
美羽の名を
結果は、残酷なまでに予想どおりだった。
KENはすぐさま返信を返し、プロダクションではなく個人の電話番号を伝えてきた。
ぜひ一度会って話がしたいというメッセージまで、一字一句、予想と
朱里は翌日まで返事は返さず、その間に使い捨て用にEメールのアドレスを取得した。
いくら幼い頃に空想癖があったとは言え、自分を美羽だと思い込むのは不可能だった。
だが、姉だったらこんなときにどんなことを言うだろうかとか、普段、どんな口調で話していたかとか、その程度ならさして苦労もせずに再現できた。
さすがに電話では無理だが、メール程度ならどうとでもなったのだ。
万が一にも姉に迷惑がかかってはいけないので余り多くは語らなかったし、KENが無用な期待を抱かぬよう、言葉や内容に気を付けた。
映画の話題に終始したのは、≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSでKENが70年代、80年代の映画を絶賛していたのがやや意外で、昔の映画好きとして嬉しかったからだ。
それに、映画の話だけしていれば個人的な話題にならずに済むという計算もあった。
それで分かったのは、KENは2つの映画の内容などほとんど見ておらず、ただ俳優や女優のカッコよさ美しさ、若者目線ではレトロに感じられる衣装や小物の醸し出す雰囲気を称賛していただけ、ということだった。
「美羽」は個人的なことは全く語らなかったが、KENは「バイト先の食事が女性にも人気で結構美味いから、ぜひ一度、食べに来て」だとか、「もし良ければライブのチケットを送る」だとか、どうにかして相手に近づこうとする素振りを見せた。
だがしつこくすることは決してなかったし、映画の話に終始する時もあった。
それでも――あるいはそれ故に――KENが少しずつ焦れてきているのが、朱里には分かった。
――俺の両親、実は俺が小3の時に離婚してて。
もうこれ以上、続けたら美羽に迷惑がかかってしまう、もうきっぱり止めようと朱里が思っていた時、そのメールは届いた。
――…………そうなんだ。じゃあ、どっちかと一緒に暮らしてたの?
さすがにその話題を無視することができず、そう問いかけた。
KENは、ある日突然、母親が署名済みの離婚届を置いて出ていってしまったこと、なぜ母親が出ていってしまったのか、なぜ自分を連れていってくれなかったのか全く理解できず、いつかきっと迎えに来てくれると信じて待っていたこと、でもこの11年の間、何の音沙汰もないことを、大袈裟にならないようさりげない文章で、それでも内心の悲しみが充分伝わるよう、書き綴ってきた。
これが電話だったら、きっと泣いてしまっただろうと思った。
実際、メールの文面を読んで、泣いた。
メールでさえこれなのだから、目の前にいてこんな話をされたら、KENの悲しみや寂しさを癒すためなら、どんなことでもしてあげたいと考えたに違いない。
泣きながらKENを慰める言葉を連ねたメールを長々と打ち、読み直した時に気づいた。
KENが慰めて欲しいと願っている相手は美羽であって、自分ではないのだ……と。
――そうだったんだ。それは辛いね。
思いのたけを綴った長文の代わりに、そっけないとも言える短いメールを送った。
その時だけでなく、「美羽」が送るメールはいつも短かった。だから今回もKENが気を悪くしたり本物の美羽を冷淡だと誤解しないで欲しいと願った。
その願いが通じたかどうかは分からないが、KENは「いきなり重い話してスミマセン。また映画の話でも聞かせて」と締めくくった。
だが、それで終わりにはならなかった。
***
「バックマスキング…………ですか?」
耳慣れない言葉に、謙太は聞き返した。
朱里は頷く。
朱里が指定したのは、前日にふたりが会って話した2軒目のカフェだ。
今日は土曜だからか遅めのランチを楽しむ人達で前の日よりは混み合っていたものの、どうにか店の奥の方の席に座れた。
「音楽を逆再生すると隠されていたメッセージが聞こえる、つまり、そうやってメッセージを隠す手法のことです」
「…………」
何も言えず、謙太は相手の顔を見つめた。
朱里はわずかに苦笑する。
「いきなり私がこんなことを言い出してもとても信じられないと思いますので、良かったらインターネットで調べてみてください」
言われるままに「バックマスキング」で検索すると、思ったより多くの記事がヒットした。
――ジョン・レノンがよくやっていた。
――イギリスの黒魔術師の影響。
――ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、 レッド・ツェッペリンなどの音楽には、隠されたメッセージがある。
(……何だよこれ、黒魔術師って……)
唖然として、謙太は次々とヒットする怪しげな記事を読み進めた。
それらのサイトでは「バックマスキングはある種のサブリミナルを悪用した洗脳方法」であると、それが事実であるかのように断言している。
「これは……すごいですね……」
他に何も言えず、謙太がそう感想を漏らすと、朱里はただ頷いた。
(逆再生しないと聞こえないメッセージで洗脳するだなんて、認識できないほど短い映像を何度も見せて洗脳するとされるサブリミナルより、ずっと眉唾じゃないか……)
更に記事を探すと、ジョン・レノンは実際にバックマスキング手法を使ってレコーディングしたことを認めたらしいが、そこに潜ませたのは悪魔的でも洗脳的でも何でもなく、無害なフレーズに過ぎなかった。
そして、彼がバックマスキング手法を使ったと認めてはいない別の曲にメッセージが隠されているという都市伝説が広まり、非難を浴びたらしい。
どうやら、ジョン・レノンがほんの遊び心で始めた手法が「洗脳手段」として広まり、キリスト教原理主義者によって反キリスト教や悪魔崇拝に結び付けられ、牧師に先導された少年たちによる騒動にまで発展してしまったようだ。
また、バックマスキングが施された曲で逆再生時にはっきりメッセージが現れる曲は、順再生時にその部分が不自然となることが、様々なジャンルの2千曲以上を検証した結果、判明したという記事もある。
(2千曲以上も検証しなくたって、そんなの当たり前だろ。逆再生でちゃんと言葉になるなら、順再生なら意味不明になるに決まって――)
まさか、と謙太は思った。
(『絶叫アポカリプス』のあの意味不明な歌詞は、実は逆再生して意味が通るように作られてる……とか?
でも星野さんはさっき『Song Of My End』に他のメッセージが隠されている可能性を調べてたって言ったはず……)
「説明が足らず、誤解させてしまったなら申し訳ありません。
私は別に、KENがバックマスキング手法で聴く人を洗脳したり、歌詞に悪魔的メッセージを潜ませていた可能性があると考えているわけではありません」
「え? ああ……それはもちろんです」
「インターネットで調べると、悪魔崇拝と強く結びついた手法であるかのような記事が多いので驚かれたと思いますが、KENはオカルトに興味はありませんでしたから」
微笑した朱里の言葉に、謙太は少しほっとした。
「それで、星野さんが気になるメッセージを見つけたのは『Song Of My End』だとおっしゃいましたよね?」
「KENが作った他の4曲も、何度か逆再生で聴き直してみました。
それでもメッセージと思われるものを見つけられたのは『Song Of My End』だけですし、何より……」
途中で、朱里はやや言葉を詰まらせた。
頼むからまた泣き出したりしないでくれよと、謙太は内心で呟く。
「アポカリプスも世界の終末といった意味で使われることがありますが、あくまで世界の終末です。それに対し『Song Of My End』は『My End』で、はっきりKEN個人の終焉を歌ったものだと考えられます」
(KEN個人の人生の終わりかどうかは分からないけど、誰かの何かの終わりの歌なのは確かだろう。
但し、そもそもタイトルに意味があれば……だ)
「『Song Of My End』を逆再生したものを作ってきましたので、とにかくまず、聴いてみてください。
初めは、普通に再生します」
言って、朱里はテーブルの真ん中にスマホを置き、再生した。
バラード調のスローテンポの曲で、KENの甘い声質とよく合っている。
こうやって曲がついたものを聴いてみると、ラジエータだの点火プラグだのの単語も、そこまで違和感ないように感じられるから不思議だ。
「次に逆再生です。まずは通しで再生します」
(え……? 何だこれ)
面食らって、謙太はスマホ画面をじっと見つめた。
意味は分からないまでも、もう少し言葉らしきものの一部が聞き取れるだろうと思っていたのだが、全くわからない。
例えば「オイルランプ」ならば「プンラルイオ」らしき言葉が聞こえることを期待したが、聞き取れるのは「オ」くらいだ。
辛抱強く最後まで聴いたが、結局何も分からなかった。
「通しだと分かりにくいと思いますので、該当箇所だけ抜粋したのがこちらです」
朱里は短い抜粋を、何度か繰り返して聞かせた。
そして、コメントを求めるように謙太をじっと見つめる。
「あの……私にはまだどうもよく……」
「そうですよね。まだ分かり難いと思います。
そこで、速度調整も入れて分かり易くしてみました」
……さ……に……さ……れ
今度は、かろうじて聞き取れる部分が増えた。だがまだ意味のある単語にはほど遠い。
朱里はスマホを操作して、その調整済みの部分を何度か繰り返し再生した。
さ……に、け……れ
「『アサヒニケサレ』……と、聞こえませんか?」
言って、朱里は更に再生を繰り返した。
あさ……に、けあ……れ
(アサヒニケサレと言っていると思って聴けば、そう聞こえないこともないけど…………)
「あの……これはつまりどういう……」
答えを求めるように相手を見た謙太を、朱里は真剣な面持ちで見つめた。
「『朝陽に消され』、即ち≪インフィニティ・サン≫に――≪インフィニティ・サン≫の涼に殺されるのだ……というダイイング・メッセージです」
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