第45話 やり残した仕事

『本当に全く、今時の若い子ってのは何を考えてるんだか…』

「…あの、中止とはどういうことでしょうか?」


 ぼやく佐川に、謙太は聞いた。


『今朝になって駿たちから連絡が入って、もううちとは契約解除したいって言って、違約金の200万を耳を揃えて持ってきたんだよ』


「200万…ですか」


 呆然として、謙太は言った。


『要するに、結局駿が言っていたとおり、KENはどこかの奥様の誘いに乗って、プロダクションも仲間も捨てたって話だ。

 駿たちははっきり言わなかったけど、KENは彼らには連絡したんだろう。

 でなきゃ、そうあっさり200万が払えるとも思えない』


「あの…それはつまり、KENさんが200万を駿さんたちに渡して、それで契約解除を申し入れた…ってことでしょうか」


 電話の向こうで、佐川が再び深く溜め息をつく。


『そうとしか考えられない。

 それに多分、駿たちにも幾ばくかの迷惑料を払ったんじゃないかな。「これをやるから代わりに契約解除してきてくれ」って。

 とんだ王様だ』


 何も言えず、謙太はスマホを握りしめた。

 朱里に取っても自分に取っても最悪の結末だし、駿たちやこれまで応援してくれたファンに対するとんでもない裏切りでもある。


『もううちの社長なんて、休日にこんな用事で呼び出されて怒り過ぎてかえって冷静になっちゃって、むしろそっちのほうが怖いよ。

 違約金の他に損害賠償も請求できないか、弁護士と相談するとか言ってたし…』


「そう…なんですね。

 ではもう、KENさんの失踪に関しては、それが真相で決定だと……」


 他に言うべき言葉が見つからず、ほとんど放心状態で謙太は呟いた。


『だから急で悪いんだけど、今この時間をもって調査を中止してください。

 確か請求は時間単位だったよね?

 月曜でいいから、明細と請求書は経理宛てにメールで送ってくれるかな』


「…承知いたしました」


 電話が切れても、謙太はそのまま動かなかった。


 動けなかった。


***


 ヒロインがいじめられる少女漫画を読んだことがある。


 靴と傘を隠されて上履きで土砂降りの中ずぶ濡れで帰る羽目になったり、体育の授業中に制服をトイレの便器に捨てられたり、教科書やノートをそっくりズタズタにされた上にゴミ箱に捨てられたり、それは酷いものだった。


 それに比べれば、朝、教室に行って黒板や机の上に中傷の言葉が落書きされていることはなく、なくなって困るような物はなくならないし、教科書やノートが破られても破った部分がそのまま挟まっているのでテープで貼れば済むし、生ごみがカバンや机に入れられるといっても、汚れるような物は入っていなかった。


 だから、大したことはないのだと、思うことにした。

 以前はもっとあからさまに嫌味や当てこすりを言われることもあったが、あの日、鈴木健太がいじめを「ダサい」と言ってから、そう言われた女子生徒だけでなく、誰も公然と悪口を言わなくなった。

 

――何度お願いされても、お姉ちゃんの写真は渡せないよ。悪いとは思うけど、無理なものは無理だから。

――悪いって思うなら何とかしてくれよ。妹なんだから、頼めば写真の1枚くらい、どうとでもなるんじゃねーの?

――…無理。ごめんなさい。

 

 なおも食い下がろうとした男子生徒の袖を引いて、別の男子生徒がやや離れた場所まで引っ張っていく。


――バカだな、察しろよ。あの美少女とが、血のつながった姉妹なワケ、ねぇだろ。写真くれなんて、言える仲じゃねーんだよ。

――ああ…。じゃ、しょーがねーか。


 聞こえないと思ったのか、ギリギリ聞こえる声の大きさを狙ったのかは分からない。ただ、周囲の他の生徒たちに聞こえていなかったのは確かなようだ。


 あるいは、聞こえても聞こえないフリをしていたのだろうか?


――ああやってアホ男子が周りに群がるから、誤解して付けあがるんだってば。

――え、なんの話?

――昨夜のドラマ。そういうセリフがあったなーってだけ。


 それが自分のことを言っているのだと考えると、辛くなるだけだ。なので、考えないことにした。

 直接面と向かって言われる意地悪な言葉や、周囲にも聞こえる声でのあからさまな中傷は止んだのだから、あとは自分の気の持ちようではないのか?


 いじめられていたヒロインは密かに片思いしていたクラスメイトに助けられ、最終的には恋仲になった。

 ヒロインの救世主ヒーローは、見た目が良く男子からも女子からも好かれるクラスの人気者だ――まるで、鈴木健太のように。


 漫画のヒロインは彼女自身のことを「可愛くもないし美人でもない」と言っているが、目が大きくて二重瞼でまつ毛が長く髪はサラサラ。典型的な少女漫画のヒロインだ。

 どう見ても、自分とはかけ離れた存在なのは明らかだ。

 それでも辛さを少しでも和らげようと、「可愛くもないし美人でもない」ヒロインと自分を重ね、「カッコ良くてクラスの人気者で優しい」クラスメイトと鈴木健太を重ね、自分は彼に救われたのだと、そう思うことにした。


 幼い頃から本を読むのが好きで、空想の世界に浸るのも好きだった。

 成長するにつれ空想より現実を見るようになっていたが、空想に浸るコツのようなものは、まだ覚えている。

 魔法の呪文を唱えるように、自らに言い聞かせればいいのだ。

 言葉だけでなく行動まで伴えば、一層効果的だ。



――え、星野さん、毎週ライブ行ってるの?

――うん。すっかり≪ブリリアント・ノイズ≫にハマったっていうか、ファンになっちゃって。

――それは良いことだと思うけど、彼らってまだそんなに売れてないから、同じライブハウスに毎週は出てないと思うけど。

――そうなの。だから神奈川や千葉・埼玉でもライブやってる。たまにだけど群馬でも。

――つまり、そっちまでわざわざ見に行ってるってこと? それってもう、沼じゃない?


 言って同僚は笑い、朱里も笑った。


 家ではいつも≪ブリリアント・ノイズ≫のCDを聞くようになった。

 その頃はまだプロダクションと契約もしていなかったので、おそらく自分達で作ったのだろう。

 音質はさほど良くないし、1枚しか無いのでいつも同じ曲を繰り返し聞く羽目になる。


 だがそれがかえって、自分が≪ブリリアント・ノイズ≫にハマっていると信じ込むのに役立った。

 記憶の中の鈴木健太の良い面ばかりを思い出すようにし、あの日、助けてもらって嬉しかった、おかげで救われたのだという空想の世界に浸った。


 効果は充分だった。

 嫌な思い出は幸せな空想で塗りつぶしてしまえば、暫くは幸せでいられた。



――あれ、もしかして先週も来てくれてた? 千葉のライブハウスだったけど。


 ≪ブリリアント・ノイズ≫のライブに通って欠かさずグッズも買うようになって半年ほど経ったその日、KENは朱里を見てそう聞いた。


――あ…はい、行きました。顔、覚えて下さって光栄です。

――だって毎週来てくれて、毎週何かしら買ってくれてるもん。それで覚えなきゃ、俺どんだけ記憶力悪いのって話になる。


 冗談めかして言って、KENは笑った。

 今がチャンスかもしれないと、朱里は思った。それで、ずっと伝えたかったことを思い切って口にした。


――実はあの…同じ中学出身なんです、鳥取の。中2の時はクラスも一緒でした。

――えっ、マジ? 田舎でクラス数もひとクラスの生徒数も少なかったから、クラスまで同じだったなら覚えてるハズなんだけど…。


 KENは記憶を辿ろうとしているように額に手を当てて天井を仰ぎ、「名前を聞けばきっと分かるハズ」と呟いた。


――…星野です。

――星野? ああー、覚えてる覚えてる。学校一どころか県で一番の美少女。

 の、妹でしょ?


 朱里は、自分の顔をどうにか笑顔のまま凍り付かせた。


 KENが覚えていたのは美羽の美貌で、朱里は「その妹」という記号に過ぎなかった。


***


 不本意な結果に終わってしまったが、それが真相ならどうしようもないと、謙太は思った。


 そもそも第1と第4の仮説は「探偵らしい活躍をしたい」という私情の影響を受けて生まれたようなものなので、純粋に関係者の証言を信じるなら、最初から――正確に言えば、駿の話を聞いた時に――答えは見えていたのだ。


(≪ミシェル≫のキャバ嬢は謝礼目当てに出まかせを言っただけだろうけど、おかげで≪ウィリデ≫の店員からマダムとKENらしきふたり連れに関する証言が取れた。

 …あれ。ってことはもしかして、あのキャバ嬢、本当のことを言ってた可能性もあるのか…)


 だったら悪いことをしたかもしれないと謙太は思ったが、信憑性の定かでない情報に5千円を払ったのだから、十分だろうと思い直す。


(それに2か月前のイベントの話も、こうなってみるとマダムがKENと連絡を取った時と場所の可能性を示唆しているわけだし、そう考えたら他の仮説は外したものの、俺はそれなりにちゃんと仕事したって言え――)


 内心の思考が、そこで一旦止まった。


(…そもそも俺が駿の証言の信憑性を調べてたのは、俺が傷害致死説を信じたくて駿の言葉を疑ってたからだ。

 北原さんや佐川さんは最初から信じてたんだし、裏取りの必要なんてなかった。

 要するに俺が何もしなくても、収まるところに収まってた…って話か)


 「徒労」という言葉が脳裏に浮かんだが、それは考えないことにして謙太はその日の日報を簡潔にまとめた。

 調査中止になったのでメールだけでなく電話でも木下に知らせたほうがいいだろうかと思ったが、徹夜明けで帰ったばかりの相手の安眠を妨げるのは止めておくことにする。


 これまでの日報を元に、木下探偵事務所で指定しているフォーマットを使用して調査報告書を書き上げた。その日の日報と一緒に、木下にメールで送る。

 調査を開始した火曜から今までの日報を元に実働時間と経費を算出し、それも所定のフォーマットに記入して明細書を作成した。そして明細と請求書を送って欲しいという佐川の要望を小山と木下宛にメールし、明細書を添付した。


 これで、失踪した≪ブリリアント・ノイズ≫ボーカルKENの捜索は終わりだ――木下探偵事務所の調査員としては。

 だが、謙太個人としてはある意味、一番大きな仕事が残っている。


(あれだけ話を聞いておいて、星野さんに結果を知らせないってわけにはいかないよな…。

 星野さんとKENの関係だって知ってるんだし、それで何も伝えないなんて、探偵失格というより、人としてどうかと思うし…)


 それでも、この結末を朱里に伝えるのは、謙太に取って余りに気まずく余りに辛かった。

 だったらいっそ朱里がそう信じているように、KENが自ら生命を絶ったと思わせておいたほうが親切なのかもしれないが、KENがマダムの財力・権力を利用してテレビ出演を果たす可能性もあるのだから、そうなればいずれ露見してしまう。


(どうせ知ってしまうことになるんだったら、なるべく傷が浅く済むような伝え方をしてあげたい……)


 謙太がそんな考えをもてあそんでいた時に、スマホに電話の着信があった。


 朱里からだった。

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