第44話 中止

 いつからそれが欺瞞ぎまんだと気づいていたのか、自分でもよく覚えていない。


 そもそも最初から、分かっていたのかもしれない。

 彼の言葉は自分をいじめから救ってくれたのではなく、かえって陰湿にさせただけなのだ…と。

 彼に悪気はなかっただろうし、そんな結果になると予想だにしていなかっただろう。


 いや、本当にそうだろうか?


 中学2年の3学期の終わり、転校して学校を去る直前に、ふたりの女子生徒から謝罪された。

 彼女たちは友人の言葉がたわいない雑談だと思っていたのだが、ある頃から不自然さに気づき始めた。

 そして友人にそのことを問いただし、それがただの雑談ではなく、巧妙に偽装した中傷の言葉だったと知ったのだ。


――やー、ホントごめん。悪い子じゃないんだけど、鈴木にこっぴどくフラれたその次の日にあんなコト言われたから、かなりショック受けちゃって…。

――鈴木はかなり無神経だと思うけど、星野さんは何も悪くないのにね。ただの八つ当たりと変なやっかみってヤツ?

――星野さん大人しいからさ、イロイロ言われやすいってゆーか…。


 ふたりの謝罪は、謝罪半分、言い訳半分だった。

 だが、そのふたりも自分を攻撃している仲間だと思っていたので、謝罪されたのは意外だった。


――……大丈夫だよ、そんなに気にしてないし。何より、あなた達のせいじゃないから。

――そう言ってくれて、気が楽になった。

――転校するって聞いたから、このまま二度と会えなくなったら、かえって寝覚め悪くって…。


 二度と会わないのだからこのまま済ますこともできたはずだ。そう考えたら、彼女たちに感謝することはあっても、恨むことはない。

 何より、彼女たちは何も知らなかったのだから。


 本当にそうだろうか?

 

――何かおかしいなーとは思ってたんだけど、まさか…って思って。

――そうそう。だって、普段はそんな悪い子じゃないんだしさ。


 要するに、見て見ぬふりをしただけではなのか?


 ふたりは雑談の正体が中傷だと知った時にも、他に何があったのか知ろうとしなかった。

 謝罪したのはただ、「あなた達のせいじゃない」という言葉を引き出す為ではなかったのか?


 自分たちは知らずに巻き込まれていただけで、自分たちに責任はないのだという免罪符が欲しかっただけではないのか?



 ≪ブリリアント・ノイズ≫のKENとなった鈴木健太に4年半ぶりに再会した時、運命だと思った。


 姉と違う高校に通い、就職するなり家を離れ、それ以来、殆ど実家には帰っていない。

 そうやって自分の生活から姉の存在を締め出すことで、どうにか心の平穏を保った。


 だが、そんなものはまやかしに過ぎなかった。


 実家に帰れない言い訳が尽きてしまい帰らざるを得なくなったり、姉から電話がかかってきたりするだけで、中学2年の時に浴びせられた中傷を思い出してしまう。

 それ以前の単に「似てない」と言われた言葉までが、裏にどんな意味があるのか気づかず過ごしていた過去の自分の愚かさを嘲笑っているように、耳の奥に響く。

 他のバンドのライブに誘われてきただけなのに、思いがけず過去の亡霊と再会してしまった。


 これは、逃れられない運命なのだと悟った。


 逃れられないのなら、向き合うしかない。

 姉の存在を意識から締め出そうとしても締め出せないように、KENとなった鈴木健太の存在から目を逸らしても、何の解決にもならないのだ。



――ね、どうだった? 気に入ったバンドとかあった?


 ライブに誘ってくれた同僚の問いに、敢えて笑顔を向けて答えた。


――2番目に出てきた≪ブリリアント・ノイズ≫、ボーカルの人がカッコいいな…って思って。

――ああ、あのイケメンね。言うだろうと思った。まだ出始めたばっかりなのに、割と人気あるみたいだし。

――実は…あの人、中学の同級生だと思う。2年の時は、クラスも同じだった。

――えっ、ホント? じゃ、声かけてみなよ。物販コーナーでメンバーと話せる機会あるから。


 さすがに、すぐに決意はできなかった。


 その時は物販コーナーまで行きはしたものの、KENの前には人が多かったので、別のメンバーからCDを買って帰ることしかできなかった。

 家に帰ってCDを聴きながら、これは自分を苦しめるきっかけを作った男の声ではなく、自分を救ってくれたヒーローの声なのだと、自らに言い聞かせた。


 さもなければ、恨まなくとも済む相手まで恨んでしまって、自分の心を疲弊させてしまうだけだから。


***


 翌日は土曜だったが、契約上、調査続行となっているので謙太は普段どおりに出社した。

 事務所に人がいないのは日中ならいつものことだが、朝から誰もいないのと、いつもなら変わらぬ姿を受付に見せている小山もいないのは、何となく寂しかった。


(出社したのはいいけど、できることって何か残ってたっけ?

 さすがに昨日、星野さんから聞いた自殺説は根拠が弱すぎて、日報にも書けないし佐川さんに報告もできない…)


 逆に、KENが自殺していない根拠は何かあるのかを謙太は考えてみた。


 自殺したとしたら、それは連絡が取れなくなった先週の火曜あたりのことで、もう10日も経っているのだから自室で自殺したなら異臭で近隣から苦情が出ているだろうし、どこか遠くで死んだとしてもとっくに遺体が発見され、警察で行方不明者届と照合されて身元が判明していることだろう。


(青木ヶ原樹海とかで自殺したら発見まで大分かかるかもしれないけど、見つけてほしくなかったら歌詞に遺書のメッセージを潜ませたりはしないんじゃ――)


 途中で、謙太は考えを改めた。


(いや、違うか。

 そもそもあれが遺書だなんて、そして11年前の事故が引き金になってるなんて、そんなことを読み取れるのは誰よりもKENのことをよく知っている人だけじゃないか?

 だからもしあれが本当に遺書なら、KENは特別な誰かだけに宛ててあのメッセージを残した。

 言い換えれば、それ以外の人たちに自殺を知らせる意図はないってことになる)


――誰よりもKENのことをよく知っていますから、彼が今もし行方不明になっているなら、探し出すお手伝いができます。


 初めて朱里と会った日、その時に朱里が言っていた言葉を謙太は思い出した。

 水曜のことだったのでまだ3日しか経っていないが、何だかずいぶん昔から朱里のことを知っているような、奇妙な感覚がある。


 いや、原因は分かっているのだ。


 蒼司の高校時代の恋人・舞に、小学生だった謙太は恋をした。

 初恋だった。


 愛らしく可憐な容姿だけでなく、古い映画が好きで造詣が深く、好きな映画について語るときの生き生きとして春の陽射しのような輝きを見せるたおやかな姿と、穏やかで耳に心地よい声と、小学生の自分にもきちんと気を遣って優しく接してくれる人柄と――。


 すべてに憧れたし、すべてが好きだった。

 部活が予定外に長引いて遅く帰ってきた蒼司の姿を見たときにその輝きは一層、増したが、そこだけは好きになれなかった。


 幼い嫉妬だったのだ。


 高校を卒業して警察学校に入学した蒼司が舞と別れたと知った時には、信じられない気持ちだった。


――いくら兄ちゃんが女子にモテるからって、あんな良い人なんて、他にいないのに…。

―……だから、別れたんだ。


 弟の抗議の言葉に、兄はぽつりと呟いた。

 その時の蒼司の気持ちは、謙太には全く理解できなかった。



「仕事しろ、仕事」

 調査とは無関係な過去の記憶に浸ってしまった謙太は、自らに気合を入れようと、手のひらで両頬をぴしゃりと叩いた。


 確かに朱里と舞にはいくつか共通点があり、顔立ちは全く異なるものの、最初に会った日に映画について語る朱里の姿を見て、無意識に舞を思い出していたのは確かだ。

 目が覚めた途端に内容を忘れてしまったが、その日の夜見たのは舞の夢だったのだろう。だから翌朝、懐かしく幸せな気持ちになったのだ。


 だが、朱里は朱里だ。舞ではない。


 それなのに昨日は、個人的な感情に左右され過ぎてしまった。

 もしかしたら人が殺されているかもしれない事件の調査を任されているというのに、余りに浮ついた態度だったし、仮説を立てるのにも探偵らしい活躍をしたいという、別の私情も入ってしまっていた。


(本当に、自分が情けない……)



「おう、なんだ新里。休出か?」


 背後からいきなり声を掛けられ、謙太は驚いて振り向いた。


 いつの間に現れたのか、所長の木下が眠そうに謙太を見ている。

 ネクタイは無く、ワイシャツのボタンは3つくらいまでだらしなく外し、髪はボサボサで顔は無精ひげに覆われている。


「…お早うございます。もしかして、徹夜ですか?」

「応接室のソファで、30分くらいは寝たが…」


 あくびをしながら木下は答えた。

 8時過ぎまで起きていたなら立派に徹夜だと、謙太は思った。


「今日も出勤てことは、例のボーカルはまだ見つからんのか? 昨日はゴタゴタしてたから、昨日の日報はまだ読んでないが」

「…昨日は失踪したボーカルの関係者から話を聞いたのですが、根拠の弱い仮説を聞かされただけだったので、一昨日から余り進展していません」

「で、今日の予定は?」


 再びあくびをしながら、木下は聞いた。

 聞きながら、左あごのあたりを撫でる。


「それが…思いつく手は全て尽くしてしまって、正直、もうどうしようかと…」

「じゃあ、待つしかないな」


 何もできずにいることを叱責される覚悟でいた謙太は、あっさりとそう言った木下の言葉を意外に思った。

 それから、やはり所長は最初からこの案件を投げていたのだと、だから自分に任せたのだと考え、自分の不甲斐なさが悔しく思える。


「……やっぱりこの案件て、制約が多すぎて難しいですよね」


 薄暗い気持ちになって、謙太はぼやいた。

 木下はあくびを連発する。


「あ? ああ…まあ、そうだな」

「…だから一番下っ端で、大して役に立たない俺なんかに任せたんだ…」


 口の中でブツブツと呟いた謙太を、木下は眠そうな目で、だがまっすぐに見る。


「そこが、お前が改善すべき点だな」


「えっ? あ…すみません。愚痴るつもりじゃ…」

 考えが口から洩れていたと知って、謙太は恥ずかしくなった。


「すまんが俺はもう限界だから、先に帰るぞ。戸締りはいつもどおり、事務所セキュリティマニュアルに従ってやってくれ」

「はい。お疲れさまでした」


 中途半端に寝るくらいなら、起きてたほうがマシだったとぼやきながら、木下は帰っていった。

 その後姿を、謙太はぼんやりと眺める。


「マニュアルどおりならちゃんとやれるけど、やっぱりそれだけなのかな、俺…」

 ぼやいてから、大きく溜め息をついた。



 「待つしかない」と木下は言っていたが、本当にただ座って何もせず待っているわけにはいかないので、謙太はインターネットで≪ブリリアント・ノイズ≫について再度、調べることにした。


 公式SNSは水曜に一旦、書き込み再開されていたものの、木曜以降はメンバーからもプロダクションからも、全く何の発信もない。

 ≪インフィニティ・サン≫のSNSもこの10日間ほど新しい記事は何もないが、元々あまり書き込みのないSNSなので、それが普通なのかもしれない。


 佐川が2か月ほど前に飲食店チェーンの100店舗出店記念パーティーへの出演依頼を受けたと言っていたので、その時の記事がどこかにないか、探してみた。

 「100店舗出店」で検索すると保険会社・コンビニ・スーパーがヒットしたが、佐川は飲食店と言っていたはずだ。いずれにしろ、記念パーティーは行われていないようだし、≪ブリリアント・ノイズ≫とのかかわりもなさそうだ。


(100店舗も出店してる飲食店ならかなり大手で調べればすぐ分かると思ったけど、そうでもないのか?

 この、100店出店したスーパーだって大手なんだろうけど、少なくとも俺は聞いたことがない。

 佐川さんが嘘をつくはずはないからどこかの100店舗出店記念パーティーに出たのは事実だろうけど、ネットの記事にはならなかったってことか…?)


 さもなければ、100店舗出店記念パーティーというのはマダムがお気に入りのイケメンたちを集める為のただの口実だったのだろうかと、謙太はいぶかしんだ。

 だがそれにしては、他の3人のイケメンたちは以前と変わらずアーティストとしての仕事を続けている。


(いくら札束積まれても、金満マダムの男妾なんて真っ平って話か。

 だったらもしKENだけがそんな誘いに乗ったなら、『Song Of My End』の歌詞解釈はともかくとして、KENが音楽への情熱を失っていたのは事実…?)


 考えを整理する為、謙太はPCでワープロソフトを立ち上げ、いま分かっていることを取り敢えず短文で書きだした。

 それに確率を評価するパーセンテージを付け、根拠となる証言を補足説明として付ける。


 朱里の立てた自殺説の確率をどう評価しようかと悩んでいる時に、電話の着信があった。

 佐川からだ。


「何か新しい情報でも入りましたか?」

 期待して謙太は聞いたが、電話の向こうからは深い溜め息が聞こえた。


『悪いんだけど、調査は一旦中断して。いや、もう中止だな』


「……は?」

 唖然として、謙太は言った。

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