第43話 取引

「KENさんがプロダクションにも他のバンドメンバーにも何も告げずに姿を消してしまったのは、自分の過去の行いに絶望したから…ということでしょうか」


 話を続けても朱里が取り乱したり泣き出したりすることはなさそうだと見て取ったので、謙太は言った。

 朱里は頷き、「そうだと思います」と呟く。


「≪インフィニティ・サン≫の未発表曲を盗用したのも、同じ理由からですか?」


「それは…よく分かりません。

 絶望の余り死を選んだ。でもせめて最後に自分の想いだけは残したくて、歌詞に暗号のような形でメッセージを潜ませた……」


 朱里はそこで一旦、口を噤み、目を伏せた。

 そして、視線を落としたまま続ける。


「そこまでなら分かります。

 でもいくら絶望して全てを終わらせてしまおうと決意していても、わざわざお世話になった先輩バンドの曲を盗むなんて……」


(母親が失踪した話は、翔たちの証言で裏付けが取れてる。

 その後、父親に無視されるようになった話は、他のメンバーの誰かと連絡が取れれば真偽が分かりそうだけど、誰からも全く連絡がない。佐川さんが、違約金の金策で彼らが走り回ってるとか言ってたから、そのせいかもしれない。

 いずれにしろ、星野さんがそんな妄想をする理由もなさそうだから、KENが本当に父親から冷淡に扱われていたか、その話を作ったのはKENで、星野さん以外の女性に対しても、同情を引きたい時には利用してたんだろう…)


 謙太は、改めてテーブルの向かいに座っている朱里を見つめた。


 良く言えば控えめで清楚、悪く言えば地味で目立たない。

 見るからに身持ちが固そうで、中学生の頃から好意を寄せていた相手であっても、容易には一線を越えさせないのだろうと、容易に想像がつくタイプの女性だ。


(多分、KENのグルーピーたちとは正反対のタイプだ。

 KENは人気急上昇後に派手な女性たちに囲まれてたから、豪勢なご馳走を食べ飽きて塩むすびが食べたくなるみたいな気持ちで、星野さんに手を出したんだろう)


 その目的のために、KENは朱里を婚約という甘い餌で釣ったのだと、謙太は判断した。

 だが結婚の口約束があろうと、用済みになった朱里に対しKENが手のひらを返したように冷淡になった時、朱里は気づいたはずだ。

 KENが自分と結婚する気など、全くないのだ…と。


 だが鈴木健太は、中学2年の時に朱里をいじめから救ったヒーローだ。

 だから朱里は、KENが結婚や婚約という言葉を餌に女性をたらし込んだり、母親の失踪すら同情を買う手段として利用するような男だと、どうしても信じたくなかったし、信じられなかったのだと謙太は思った。


(スマホが壊れたなんて話は、多分嘘だ。

 KENとやり取りしたメールかDMは本当は残っているんだろうけど、俺に話した内容とは違い過ぎて見せられないんだろう。

 でも、彼女は俺に嘘をつこうとしていたんじゃない。

 自分自身を、騙しているんだ……)


***


「…は? 五分五分? そんなの少なすぎっす」

 TAKUの抗議の言葉に、涼は眉を顰めた。


「半々どころか六四か、七三でもいいくらいだぞ。半分もやるのに何が不満だ?」

「だってリスク負うのはオレたちで、先輩はただ――」

「ただって何だよ、ただって。

 そもそもこんなことになったのは全部、KENのヤツの身勝手が原因だ。

 アイツが荒らすだけ荒らした挙句、ワガママを言い出したせいで、こっちはヤバイことになりかけてんだぞ?」


 ≪インフィニティ・サン≫の涼から電話で呼び出され、駿たちは午前中に金策しに行っていたのとは別の町のカラオケ店に集まっていた。

 前の店と違って平日の昼間でもそれなりに混み合っていて、両隣から歌声が漏れ聞こえてくる。


「…ヤバイのは、こっちも同じっす」


「ああ?」

 むっつりしてぼやいた駿に、涼が荒々しく聞き返す。


「メジャーデビュー直前ってタイミングでKENと音信不通になったせいでプロダクションの社長がキレて、おれたちは200万の違約金を負わされてる」


「200万だと?」

 涼は聞き返したが、駿は不機嫌そうに口を噤んだままだ。


 翔とTAKUは、互いに顔を見合わせる。


 彼らが思い出していたのは、前週の月曜の夜のことだった。

 その日の昼に涼がKENのマンションに怒鳴りこみ、夜になってからそのことで3人ともKENに呼び出された。


 KENと涼が何をしているか3人とも薄々感づいてはいたが、はっきりKENの口から聞かされたのは、その時だった。


「200万なんて、どうやって払うんだよ。それとも、オマエらにとっちゃ、はした金か? ここ何か月かの間、ライブで大分稼いでたんだろ?」

「…プロダクションの取り分が多いから、それほど儲かってないっす」


 涼とはずっと目を合わせないまま、駿は言った。


「嘘をつくな」

「嘘だったら、金策の為にサラ金めぐりなんてしなくて済んでた…」


 深い溜め息とともに駿が言うと、涼はようやく納得したようだった。


「…だったらオマエたちも乗るよな、この話。そうでもしなきゃ、とても200万なんて用意できねぇだろ」

 翔とTAKUは再び互いの顔を見、それから駿の横顔を見る。


「今すぐ答えを出すのは――」

「今すぐでなきゃ、いつなら答えが出んだよ。

 こっちはもう、ケツに火がついてんだぞ?

 そもそもオマエらKENの仲間なんだから、KENの不祥事はオマエらが責任取れ」


 駿の襟元を掴んで涼は凄んだが、駿は冷淡とも言える表情で相手を見上げた。


「…おれたちがKENと出会う前から、あんたはKENとつるんでた。KENのせいで、おれたちはあんたと関わりになっちまった」

「何だよ、その言いぐさ。

 オレが世話してやんなきゃ、オマエらこっちでライブやるどころか、東京に出てくることすらできなかったクセに」


 駿は暫く黙って涼を見上げていた。

 それから視線を落とし、溜め息をつく。


「…止めときゃ良かったんだ。上京も、バンドで食っていこうなんて夢を見んのも。

 そもそもKENとも関わんなきゃ良かった。

 ただの、ちょっと音楽ができる田舎者でいりゃ、それで良かった……」


 涼は、駿の襟元から手を離した。

 TAKUは翔を見たが、翔は視線を床に落としたままだ。


「時間は戻せない」


 やがて、ぽつりと言ったのは翔だった。


「どんなに後悔しても、戻せないし、戻らない」

 だったら、と、床に敷かれたカーペットを見つめたまま、翔は続けた。


「乗り越えるしか、ない」

「…お前、何をまた言い出すんだよ。そんなのは駄目だって――」

「じゃあ、はどうするんだよ」


 翔の言葉に、駿は口を噤み、視線を逸らした。


「今までオレたち、あれをどうするか、ちゃんと決めてなかった。

 考えたくなかったから、考えることから逃げ続けてた」


 だけど、と翔は続ける。


「もうそろそろ、ちゃんとしないとマズイだろ」


 駿だけでなくTAKUも口を噤み、足元を見つめている。

 下を向いて黙り込んだ3人の姿に、涼の苛立ちは困惑に変わった。


「…オマエら何の話してんだよ。あれとかどうするとか、一体、何を言ってるんだ?」


 そのまま暫くの間、3人は黙って俯いていたが、やがて駿が顔を上げ、涼を見た。


「先輩、確か車の免許持ってましたよね?」

「だったら何だよ。免許はあっても車は持ってねぇぞ」


 駿はTAKUと翔の顔を順に見た。

 2人は、軽く頷く。


「おれたちに協力して欲しかったら、先輩もおれたちに協力してください」 

「協力じゃなくて、KENの落とし前を付けろって――」

「取引です。

 さもなければ、そちらの要求にも応じられません」


***


 ≪インフィニティ・サン≫の涼とのトラブルについてもう少し詳細を知りたいと謙太は思ったが、朱里は彼に関してKENからは何も聞いておらず、他のファンでも知っているようなことしか知らないと認めた。

 別の話題に変えたほうが良さそうだと謙太は思ったが、もうこれ以上、朱里から聞き出せそうな情報が残っていないことに気づく。

 歌詞を読み解く鍵が映画の台詞に隠されているという話はそれなりに興味深かったが、何とおりもの解釈が可能では、暗号として役に立たない。


(いや、そもそも暗号とは違うな。抽象的な歌詞について、ファンが色々な解釈を楽しむ…って、あの感じだ。

 星野さんとKENが本当に将来を誓い合った仲ならともかく、一ファンとそれほど変わらない立場なんだから、単に彼女の想像力が豊かで映画に詳しいってだけで、それ以上の意味は……)


 KENの捜索に役立ちそうな情報をこれ以上、朱里から引き出せそうにはないと、謙太は結論付けていた。

 それでも、このまま別れて二度と会わないのは惜しいという気持ちが、謙太の心を満たす。


(せめてもう少し、『His Last Case』について聞きたかったな…。

 でも星野さんはKENの自殺を危惧して悲しんでいるのに、捜索に無関係な話をするのはさすがに無神経すぎる)


 KENが11年前に過失で母親を死なせてしまったこと、その抑圧された記憶が蘇って絶望し、自ら生命を絶った…という話が「第5の仮説」として成り立ちうるか、謙太は考えてみた。


(確かにKENの母親が家を出た後、音信不通になったのは何故なのかは疑問だったけど、母さんが言ってたとおり、事情は人それぞれだろうからな…。明らかにおかしい、とまでは言えない。

 そして、もしそれが事実なら絶望したKENが自殺するのは十分考えられるけど、それだと≪インフィニティ・サン≫の曲を盗んだ動機が不明だ。

 いや…分かっているのは涼とKENの間で何らかのトラブルがあったこと、『Song Of My End』が他の4曲とは傾向が違っているってことだけで、本当に盗作したのかどうかも分からないし…)


 仮説にしても根拠が弱く、不明点が多すぎると、謙太は思った。

 これがKENの遺書だと考える根拠は『終焉の歌』と訳せるタイトルのみだが、他の4つのタイトルの意味不明ぶりを考えたら、『Song Of My End』にも深い意味があるとは彼には思えなかった。


「……今日は、長時間お付き合い頂きありがとうございました」

 暫く沈黙が続いた後、朱里は言った。


「あ…いえ、これも仕事ですからお気遣いなく」


 謙太が言うと、朱里の表情に幾分、寂しげな色が浮かんだが、それはすぐ消えた。

 朱里がルーズリーフをしまい始めたので、謙太はスマホで写真を撮らせてほしいと頼んだ。


「ああ…。そうですよね。『His Last Case』の台詞が書いてありますもの…」

 謙太がそれを撮りたがった理由を見透かしたように、朱里は呟いた。


 全て貴重な調査資料ですから、と言いかけて、謙太は止めた。

 2パターンの書き換え後の歌詞について要点はパソコンでメモしたし、実際、欲しかったのは『His Last Case』の台詞だけだったからだ。


 夜勤の準備があるので今日はこのまま出勤すると朱里が言い、ふたりは店の前で別れた。


「あの…星野さん」

 もう二度と会う機会はないかもしれないと思った時、たまらず謙太は去りかけた相手を呼び止めた。


「もしできたら…事件がすべて片付いて星野さんの気持ちの整理がついて落ち着いたら、あの、あくまでもし、星野さんが良かったらの話なんですが……」


 言い淀んでいる謙太が続けるのを、朱里は急かすこともなく辛抱強く待った。


「もし可能であれば…もう少し詳しく、『His Last Case』の話を聞かせて頂ければ……」


 意を決して謙太は言ったが、言った瞬間に後悔した。

 だがその後悔は、一秒と続かなかった。


「もちろんです。私でお役に立てるなら、喜んで」

「あ…ありがとうございます」


 微笑んで言った朱里に深々と一礼して、謙太は足早にその場から歩き去った。

 仕事の調査に私情を差し挟んでしまった自分を、恥じたのだ。


「……ごめんなさい」


 去ってゆく謙太の後姿を見送りながら、泣き出しそうな顔で、朱里は呟いた。

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