第41話 海の神様

――久しぶりだな、ケン。

――え…? もしかしてリョウ?


 ふたりが再会したのは、ケンが高校1年、リョウが高3の秋だった。


 ケンが中学2年のある日からぱったり連絡が途絶え、自分が言い過ぎたことを自覚していたケンは、自分から連絡を取ろうとはしなかった。

 前回、会った時から2年の歳月が流れていたが、ケンが相手をすぐにリョウだと分からなかったのは年月のせいではなく、かなり雰囲気が変わっていたからだった。


 それ以上にケンが驚いたのは、リョウが自宅の近くで自分を待ち伏せていたことだ。


――ケンが先週、高校の文化祭でバンドやってスゲー好評だったって噂を聞いてさ。バンドやるならやるって、なんで教えてくれなかったんだよ。

 オレが昔、バンドやりてーって言ってた話、忘れちゃった?

――覚えてるけど…。でも楽器が用意できないとダメみたいな話だったから…。

――クソババアに買ってもらった。つか、買わせた。クソ親父が死んで生命保険とか入ったからさ。


 嬉しそうに言ったリョウに、ケンは唖然とした。

 彼の記憶にあるリョウは、自分に暴力を振るう継父を嫌悪していたが、母親のことまでは悪く言っていなかったはずだ。

 何より、いくら嫌悪している相手であっても、その死を嬉しそうに話すような少年ではなかった。


――てか、何で連絡くれなかったんだよ。

――…そっちこそ。だから俺は、リョウが俺に怒ってるんだと思って――。

――怒るって何で? オレに何か悪いことしたっけ?

 

 ケンはどう答えるべきか迷い、何も言わずに相手の顔を見た。

 そして、違和感に気づく。


――…その鼻、どうかしたのか?


 リョウの鼻の形が少し歪んでいるのに気づき、ケンは聞いた。

 リョウはその歪んだ鼻梁びりょうを指で撫で、笑った。


――高校に入ってから、タチの悪い糞パイセンにカツアゲされるようになってさ。ま、たまにだったケド。

 で、仕方ねーからそこらの店で金になりそーな物をちょっとアレしてたら、今度は万引きで捕まっちまって…。


 店が警察に通報したので、警察はリョウを補導し、それはすぐに継父の耳にも入った。

 激怒した継父はリョウを気絶するまで殴り、全治2か月の重傷を負わせた。


――で、病院が児童相談所じそうに通報して、職員が病院まで来たワケだ。ところが糞ババアはクソ親父を庇いやがって…。

 仕方ねーからオレはカツアゲしてきたヤツらにやられたって言うしかなかった。そんなことしたら、仕返しされるに決まってんのに。

 …で、これオレ死んだな、退院したら人生終わるなってビビッてたら、退院の直前でクソ親父がぽっくり事故死してくれちゃって。


 リョウは嬉しそうに笑った。


――スゲー、ラッキーだったと思わねえ?


 言うべき言葉が見つからず、ケンはただ黙っていた。

 リョウは続ける。


――クソ親父がただ死んだだけだったら糞ババアのパート収入だけじゃ暮らせねーから、オレも高校辞めて働くとかしなきゃならなかったかも知んねー。

 だけどあのババア、ちゃっかりクソ親父に生命保険かけてて。漁師は加入制限があってそこまで高い保険金は降りなかったんだけど、労災が認められたから、そっちからも何かイロイロ貰えることになってさ。

 超ラッキー。


 それは良かったな、とは、ケンには言えなかった。

 リョウの笑いは、ケンがかつて見たことのない、奇妙な歪み方をしていた。


――本当にスゲーのはこっからでさ。


 声を潜め、内緒話をするようにケンの耳に口を寄せて、リョウは言った。


――退院の前の日だったか、病室に知らないおっちゃんが訪ねてきて、『良かったな、ボウズ』って言ったんだ。『息子をこんな目にあわせるようなヤツは海の男じゃない。バチが当たったんだろう』って。

 オレはおっちゃんが誰で、何でオレのことを知ってるのかって聞いた。そしたらそのおっちゃん、『娘がジソウで働いてる』って言って、ニヤッてした。

 『もしかして、おっちゃんが…?』って聞いたら、『俺は神様じゃねぇから、バチは当てらんねぇ』って笑ってた。


 リョウは、改めて間近でケンを見た。


――オレは、あのおっちゃんが神様だったと思ってる。海の匂いがしてたし、きっと海の神様だ。

――……そうだな。


 相手から視線を逸らし、ケンは言った。


 リョウは、上級生からの報復は受けずに済んだこと、その上級生たちもほどなくして卒業し、カツアゲに悩まされなくなったこと、経済的な余裕もできたので、仲間を集ってバンドを始めたこと、キーボードだけでなく、作曲も担当していることを話した。

 そして、高校を卒業したら上京してプロデビューを目指す計画だ、とも。


――ケンも東京に来るだろ? てか来いよ。田舎高校の文化祭のスターで終わったんじゃ、もったいない。

 ケンには他のヤツらにない何かがあるって、最初に会った時から分かってた。


 ケンは何も言わず、ただ頷いた。


***


「少し歩きますが、大丈夫ですか?」

「はい。お任せします」


 朱里がトイレで落ち着くのを待っている間、謙太は次の店の候補を探しておいたので、そこを提案した。

 選考基準は落ち着いて話せ、長居できそうな店だ。つまり、余り混みそうになくて隣の席との間隔がゆったりしている店で、あまり高くなければなお良い。

 できればふたり分のお茶とランチ代を払いたかったのだが、1軒目は結構、高かったので、迷っているうちに朱里が「お会計は別でお願いします」と言ったのだ。


 暫く歩き、目指す店に着いた。

 店は広々として天井が高く、茶を基調とした落ち着いたインテリアだ。

 席数が多い上に、複数の駅から徒歩圏内でありながらどの駅からも離れているので、混む心配はなさそうだ。


「素敵なお店ですね」

 周囲を見渡して、朱里は微笑んだ。


 謙太は営業スマイルを浮かべて「そうですね」と相槌を打ちながら、できればプライベートで来たかった、と思った。

 そして、その考えに自分で驚く。


(プライベートでって、星野さんと来たいって意味なのか?

 今日は我ながら色々おかしいぞ、俺…)


 朱里が再びルーズリーフをテーブルの上に並べるのを見つめながら、プロフェッショナルに徹しろと、謙太は自らに言い聞かせた。


(今まで信頼を失って協力を打ち切られることを恐れて思い切ったことが言えなかったけど、もうそろそろ踏み込んだ質問をしてもいい頃だろう。

 この分だと土日も仕事になりそうだし、ダラダラ長引かせたくはない)


 不倫調査ではターゲットに怪しい動きがある曜日に重点的に張り付くので、それが土日祝日であれば当然、休日返上だ。

 今回のような失踪者捜索の時には見つかるまでずっと継続調査になることが多いので、長引くと依頼した側も調査する側も、ともに辛いことになる。


「さっきは説明が不十分でしたので歌詞の書き換えに根拠が足りないのではないかと、思われたのではないでしょうか」

「あ…いえ」


 曖昧に謙太は言ったが、朱里の言うとおりだった。

 「ラジエーター」を「音楽への情熱」、「点火プラグ」を「ブリリアント・ノイズ」、そして「トカイワイン」を「ファンの声援」に書き換えたことにきちんとした理由があるのか、さっき聞いた時点では何の説明もなかった。


「その根拠になるのが、こちらの映画『最後の事件』の台詞になります」


 言って、朱里はバインダーから取り出したルーズリーフを『Song Of My End』の歌詞と『Song Of My End』書き換え後の隣に並べた。

 そして、細い指先で手書きの説明をなぞりながら語り始める。


「まず『ラジエーター』を『音楽への情熱』と書き替えた理由ですが、これはワトスンの台詞で『ラジエーターと言えば、犯人がラジエーターの熱冷却を利用して犯行を企てたあの事件を思い出す』と言ったのに対し、レストレードが『あれは正にホームズさんの事件解決への情熱、執念とも言えるほどの熱意の成果でしょう。何しろあの犯人は誰にも疑われてすらいなかった』と答えた個所に由来しています」


 ルーズリーフの説明書きでは、そのシーンの前にレストレードが自動車部品を利用した符牒について実に巧妙な素晴らしいやり方だと称賛したのに対し、ホームズのやり方をまねただけだとワトスンが答えるシーンあり、と補足されている。


「ホームズは私立探偵ですから、アーティストのKENの立場に置き換えれば、『事件解決への情熱』は『音楽への情熱』になると考えました」


 言って、朱里は同意を求めるように相手を見た。

 謙太は頷いた。


「なるほど。筋は通りますね」

 謙太の言葉に勇気づけられたように、朱里は続けた。


「次に『トカイワイン』を『ファンの声援』とした点ですが、これは3つのワイングラスのうち、ひとつだけにワインのおりが残っていたことから、実際に使われたグラスが2つだけだったとホームズが見抜いた事件の話で――」


「その事件なら正典にもありますね。『シャーロック・ホームズの帰還』に収録されている『アベ農園』に出てくる話です」


 思わず相手の言葉を遮って、謙太は言った。

 そしてすぐに、またやってしまったと後悔する。


「すみません。お話を中断してしまって…」

「いえ、全然、構いません。それよりそのお話、私が使った翻訳アプリでは確か『僧房屋敷』だったと思うのですが…」

 謙太の割り込みを咎めることもなく、優しく朱里は言った。


(やっぱり、仕事抜きでこの人と映画の話をしてみたいな…。

 星野さんの好きな昔の映画の話を聞くのは、興味のない映画でも何となく心地よかったし、俺がシャーロック・ホームズの映画の話をしても、面倒がらずに聞いてくれそうだ)


「原題ではアベはAbbeyで修道院を意味するので、僧房と訳されている版もあると思います。

 農園のほうは英語は忘れましたが、農場付きの大邸宅くらいの意味なので、農園・荘園・屋敷などと訳されているようです」


 朱里が聞いてくれたので、そう謙太は答えた。そして、「もう邪魔しませんから、どうぞ続けてください」と付け加えた。 

 朱里は頷き、説明を続ける。


「そのワイングラスのトリックをホームズが見破った点を、レストレードが『私はてっきりランドールの強盗親子が犯人だと思っていましたからね。ホームズさんの慧眼けいがんには称賛を惜しみません』と誉めたところから、『警察官の称賛』を『ファンの声援』に置き換えました」


(正典ではその事件現場にいたのはレストレード警部じゃなくて、ホプキンズ警部なんだけど…)

 口から出かかった言葉を、謙太は飲み込んだ。


「一番、解釈が難しかったのは『点火プラグ』なんですが、元の歌詞の中で最も違和感があってJ-POPらしくない言葉なので、これにはきっと何か隠されていると確信していました。それで、元の英語のsparking plugの意味を色々と調べたんですが、なかなかそれらしいものに行きつかなくて…。

 それで、plug抜きでsparkだけで調べてみました。そうしたら、火花、閃光という意味の他に、ひらめきやきらめきという意味も見つかって。

 煌めきを逆に英訳したらbrilliantになりますから、これはもう、≪ブリリアント・ノイズ≫を意味するのに違いない…と」


「なるほど…」

 謙太は何度目かの相槌を打ったが、内心では「かなりこじつけめいてきたな」と思っていた。


(点火プラグはかなり苦しいけど、他のふたつは取り敢えず辻褄は合う。

 でもこのやり方だったら、他の台詞から他の置き換え単語を選ぶことだって、いくらでもできてしまうんじゃないか…?

 それに、音楽への情熱を失ったからって、いきなり遺書になるのは飛躍し過ぎだ)


 他に補強する根拠があるのか疑問に思い、謙太はその点を聞くことにした。


「ご説明はよく分かりましたし、理にかなっていると思います。ですが、他の解釈も可能な気がするのですが…」


 謙太の言葉に、朱里の表情は一気に悲しげに暗く沈んだ。


「あっ、あの…、星野さんの解釈を否定するつもりは――」

「おっしゃるとおりです」


 慌てて言った謙太の言葉を、朱里は遮った。


 そして、新たなルーズリーフをバインダーから取り出して机に並べる。

「これが、私のもうひとつの解釈です」



 母 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 心の中で 家族の絆が 燃え尽きてしまった 愛の火


 幸せの記憶のように 酔わせてくれた

 でも今は 寂しさばかりが広がる


 母 冷たい風が

 オイルランプ 揺れる影

 愛したはずの 家族の絆が 壊れてしまった この心


 幸せの記憶のように 酔わせてくれた

 でも今は 苦しみばかりが残る


 過去の思い出が 心を刺す 寒い夜に ひとり泣いている

 愛の炎は もう二度と 幸せの記憶のようには 燃えない


 幸せの記憶のように 酔わせてくれた

 でも今は 空虚さばかりが広がる


 母 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 家族の絆が 壊れてしまった

 幸せの記憶のように 酔わせてくれたけれど



「これって…」

 謙太の言葉に、朱里は頷いた。


「『Song Of My End』がKENの遺書ではないかと、私が考え恐れている根拠です」

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