第40話 遺書(2)

(遺書って…それはさすがに……)   


 謙太は当惑して、声を押し殺してむせび泣く朱里を見つめた。


 確かに寂しさや苦しみを歌った歌詞ではあるが、『終焉の歌』とも訳せるタイトルの他に、これが遺書だと思わせるような根拠はない。

 朱里の解釈どおり音楽への情熱を失い自暴自棄になっていたのだとしても、そこから自殺に結び付けるのは論理の飛躍としか考えられないと、謙太は思った。


 駿たちの言葉が本当なら、人気急上昇後にKENは思い上がった態度を取るようになっていた。

 だからこそ自分の才能の限界を知って絶望し音楽への情熱も失った、というのはあり得るだろう。

 が、佐川はKENが作詞作曲をひとりで担当するだと言っていた。


 要するに、KENが本当は作詞作曲などできないのはノース・エンタープライズとしては織り込み済みなのだし、先輩バンドの曲を盗む必要性もない。

 自殺する可能性などもっと低いだろうと、謙太は考える。


(自殺説に比べたら、マダムのもとに走りました、のほうがよっぽど可能性がありそうだ。

 星野さんはKENの女性関係がここ数か月でかなり派手になったこと自体、知らなかったんだろうけど…)


 こらえ切れなくなったのか、席を立って奥のトイレに足早に歩み去った朱里の華奢な後姿を見やりながら、謙太は思った。


(自殺説にタイトル以外にも根拠があるのか、そこは確認しておきたいところだけど…)


 こちらをちらりと見遣り、すぐに視線を逸らせた店員の姿に、謙太は内心で溜め息をついた。


(俺が泣かせたんじゃないぞ?

 全く…イケメン人気ボーカリストだか何だか知らないけど、世話になったプロダクションに迷惑かけたのは社会人失格だし、これまで苦楽を共にした仲間を裏切ったのは人としてどうかと思うし、何より……)


 朱里をあそこまで心配させ、悲しませていることが許せないと、謙太は思った。


 KENが婚約という甘言で朱里を騙して関係を持った挙句、用済みとばかりに冷淡に扱っていたのなら人として最低の行いだし、人気アーティストだろうが何だろうが許されることではない。

 だが、全ては朱里の妄想に過ぎないという可能性も、まだ完全に消えたわけではないのだ。


(単なるファンの一人なら知ってそうにないことまで知ってるんだから、≪ブリリアント・ノイズ≫が売れなかった頃にDMのやり取りをしたところまでは、事実である可能性が高い。

 でもそれだと、KENが『両親の離婚ネタ』を利用して星野さんをナンパするところまでやったんでないと、話の辻褄が合わない。

 だったらどうして、スマホが壊れたからKENからのメールが残ってないなんて、いかにも嘘っぽいことを言ったんだ…?)


 「スマホが壊れたから」がよくある常套句であるだけでなく、その話をした時の朱里に隠し事をしているような素振りが見られたことが、謙太の疑いを強めた。

 それに細かいことをいえば、やり取りしたのがDMなのかメールなのか、話が一貫していない。


(いや、問題はそこじゃない。

 怪しい点は色々あるけど、それでも星野さんがKENの居場所について何か知ってる――知ってるんじゃなくて、仮説を持ってるだけにしても――らしいのは確かだ。

 俺の仮説だって今のところ何の物的証拠も無いんだから、有望そうな仮説なら、耳を傾ける意味はある)



「すみませんでした。すっかり取り乱してしまって…」


 20分以上も経ってから、朱里は席に戻ってきて謝罪した。

 再びこちらを見遣った店員の視線が鋭い。


「もう少し詳しくお話を伺いたいのですが……大丈夫ですか?」

「はい。もう落ち着きましたから、どうかご心配なく。それに私のほうも、まだお話しておきたいことが残ってますから」


 健気な微笑を見せた朱里に、謙太は「誠実そう」な営業スマイルを返した。


「では、店を変えませんか?

 あまり混んではいないと言え、午前中からずっといますから、さすがにこれ以上の長居は…」


(星野さんは店員に背を向けてるからいいかもだけど、俺はこれ以上、店員の視線に耐えられそうにない…)


 朱里は頷いてルーズリーフをバインダーに、バインダーをバッグにしまうと席を立った。


***


「…売ればいいなんて、軽々しく言うなよ」


 声を押し殺したまま、駿は言った。

 隣室の客が帰ってからは聞こえてくる物音もほとんどなく、カラオケボックスとは思えない静けさだ。


「第一、全部捨てたハズだろ?」

「捨てたよ。それに、大して残ってなかった」


 何も見ていないかのような虚ろな視線を宙に漂わせ、翔は言った。


「だったら――」

「だったら仕入れればいいだろ。やり方はだいたい分かってるんだから」


 駿の言葉を遮って、TAKUは言った。

 駿は、TAKUと翔の顔を代わるがわる見る。


「…お前ら、アタマおかしくなったのか?

 そのことでKENと涼先輩が喧嘩になって大騒ぎしたのを忘れたのか?」


「じゃあ、どうすんだよ。北原社長は本気でキレてた。

 もともとKENがお気に入りでプロデュースに金もかけてたのに、そのKENがいなくなったせいで怒りの矛先が全部オレたちに向いちまった。

 オレたちがバックレればもちろん、仮に弁護士雇って裁判になったとしても、親に連絡が行ってあることないこと吹き込むに決まってる。

 だから、何をどうやってでも違約金は払うしかない」


「バックレとか言ってんのはお前だけだぞ?

 それに親の反対を押し切って出てきたくせに、今更そんないい子ぶるな」


 TAKUの言葉に駿は言い返したが、すぐに力なく溜め息をついた。

 そして席を立ち、苛々と室内を歩き回る。

 暫くそうしてからソファに腰を下ろし、再び溜め息をつく。


「……まず、お前たちのベースとギターは売ってくれ。それで足りない分はおれの貯金からどうにかする。但し、借用書は書いてもらう」


 翔は虚ろな目で口を噤んだままだったが、TAKUは不満そうに駿を睨んだ。


「だーかーら、オレのベースは一生に一度出会えるかどうかのレア物だって言ってんだろ。だったら涼先輩と喧嘩してでもあれを売ったほうがいい」

「バカなこと、言ってんじゃねぇよ。どうしてもって言うならお前とは縁を切る。おれと関係のないところでやってくれ」


 駿とTAKUは無言で睨み合った。


「……オレたちって、もう、終わりなのかな…」


 視線を宙に漂わせたまま、独り言のように翔は言った。


 駿とTAKUは、無言のまま翔を見る。


「オレたち、バンド始める前は、いつも3人でつるんでたよな?

 バンド始めるのに、ボーカルが必要だからって、KENを入れた。KENはもともと中学が違うし、家もあいつだけ離れてた」

「…KENなんか入れなきゃよかったって、そう言いたいのか?」


 TAKUの言葉に、翔は首を横に振った。


「KENがいなきゃ、≪ブリリアント・ノイズ≫は成り立たなかった。

 KENがいたから人気が出たし、オレたちも、少しの間だったけど、良い思いができた。だけど……」


 翔は途中で一旦、口を噤んだ。

 それから再び口を開き、続ける。


「だけどもう、≪ブリリアント・ノイズ≫は終わりだ。音楽で食べてくって夢も、もう叶わない」

「だから何だよ? 分不相応なベースなんかとっとと手放せって、お前まで言う気か?」


 噛みつくような勢いで言ったTAKUを、翔は静かに見つめる。


「オレたち、≪ブリリアント・ノイズ≫を始める前からずっと一緒だったし、音楽抜きでも、つるんでたじゃん?

 高校だけじゃなく、中学の時からずっとつるんでたし、お互いの家族だって知り合いだし、だから……」


 再び、翔は途中で口を噤み、そして視線を床に落とした。


 駿とTAKUは、暫くそのまま黙って座っていた。



「……こんなことで、ケンカ別れ、したくねーな……」


 やがて、ぽつりと駿は言った。


 さっきまでは毒づくことの多かったTAKUも、今度は反論しなかった。

 そのまま、3人とも黙って座り続ける。


「もう一度最初から、全ての可能性について考えてみよう。

 感情的になるとまた議論が空回りするだけだから、一旦、飯でも食って落ち着こう」


 駿が言った時、フロントから内線電話が入り、時間延長するかどうか聞いてきた。

 駿は他の2人に確認し、延長はしないとフロントに伝えた。

 3人が部屋を出、清算のためフロントに向かった時、駿のスマホに着信があった。


 涼からだった。

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