第39話 遺書(1)

――どうして昔の映画が好きかって?

 やっぱりCGとか使えなくて制約が多い分、ストーリーにこだわってるからかな。

 最近の映画のCG技術はすごいと思うけど、『どうせCGでしょ?』って思っちゃうから、すごさに対する感動が薄れるっていうか……。



 舞は蒼司の高校の同級生で、謙太は彼女に何度か会っていた。


 会って話をした回数は少なかったものの、色白でたおやかな舞は、謙太の心に強い印象を残した。

 とても可愛らしい顔立ちをしていたが、その可憐さ以上に謙太を魅了したのは、古い映画に関する舞の豊富な知識と小学生の謙太にも分かり易く説明してくれる優しさ。

 何より好きな映画について語る舞の生きいきとして楽しそうな表情と、春の陽射しのような暖かい輝きだった。


 謙太はもっと長く舞の話を聞いていたかったが、謙太が舞と話せるのは蒼司が帰ってくるまでの短い間でしかなく、そんなとき謙太はいつも、兄の部活が予定外に長引いて帰りが遅くなればいいのにと、密かに願っていた。


 ***


 cry 暗い クライ

 deep ocean

 君と出会えたミラクル 折れた翼

 Sweetie, Come Back

 Come Back, My Dream


 永遠の愛 真夜中のシークレット

 隠された宝物 踊る影

 Sweetie, Come Back

 Come Back, My Love


 飛べない鳥 咲かない花

 胸が痛いよ

 dark sky

 あの日の夢

 Sweetie, Come Back

 Come Back, My Dream

 Baby, Come Back

 Come Back, My Love



 左端に置かれたルーズリーフ、つまり、ひと月前に発表された『絶叫アポカリプス』の歌詞を見て、謙太はそれに批判的だったファンの書き込みを思い出した。

 そして、心から同意する。


(これは確かに意味が分からないっていうか、中二病的な何か……なのか?)


 タイトルの『絶叫アポカリプス』はもっと意味が分からないと、謙太は思った。


(アポカリプスって、確かキリスト教の聖書の黙示録のことだよな。それと絶叫の組み合わせって、ランダムに拾った何となくカッコよさげな単語を、ただ並べただけとしか思えない。

 星野さんはこの歌詞を読み解く鍵は映画『crying in the south』の台詞にあるって言ってたけど、歌詞冒頭のcryと、映画タイトルのcryingが関係あるってことだろうか。

 いやそもそも、耳で聞いた『クライ』って音を、『cry』とか『暗い』とか書き分けてて、かなり独自解釈が入ってないか……?)


 果たして『Song Of My End』の歌詞と、映画『His Last Case』のセリフの間に本当に関連などあるのか、完全に朱里の妄想に過ぎないかもしれない話を聞くことに意味があるのか、謙太には分からなかった。

 だが今、KENの行方を捜すのに他に打つべき有効な手立てがあるかと自問すれば何も思い浮かばないし、失踪直前の涼とのいさかいについて調べるのは無意味ではないはずだ、と考える。


 それに正直に言えば、日本未公開で未だ見る機会を得られずにいるシャーロック・ホームズ映画のセリフについて聞けるなら――それがKENの捜索に役立たなくとも――この時間は無駄にはならないと、謙太は思っていた。

 そして、改めて『Song Of My End』の歌詞が書かれたルーズリーフを手に取る。



 ラジエーター 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 心の中で 点火プラグが 燃え尽きてしまった 愛の火


 トカイワインのように 酔わせてくれた

 でも今は 寂しさばかりが広がる


 ラジエーター 冷たい風が

 オイルランプ 揺れる影

 愛したはずの 点火プラグが 壊れてしまった この心


 トカイワインのように 酔わせてくれた

 でも今は 苦しみばかりが残る


 過去の思い出が 心を刺す 寒い夜に ひとり泣いている

 愛の炎は もう二度と トカイワインのようには 燃えない


 トカイワインのように 酔わせてくれた

 でも今は 空虚さばかりが広がる


 ラジエーター 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 点火プラグが 壊れてしまった

 トカイワインのように 酔わせてくれたけれど



(これは正に、シャーロック・ホームの『最後の挨拶』だ……)


 歌詞を見て、謙太が最初に思ったのはそこだった。


(ラジエーターと言ったら戦艦のことで、オイルランプは巡洋艦、点火プラグは海軍暗号……。

 そうやってフォン・ボルクとアルタモンタは符牒ふちょうを取り決めて、情報のやり取りをしていた。

 でも正典では自動車部品の名を使っての符牒だから、オイルランプはブレーキオイルの警告灯のほうで、この歌にあるようなオイル・ランタンのことじゃないな。

 トカイワインはそのままハンガリーのトカイ地方のワインで、世界三大貴腐ワインのひとつとして知られる高級ワインだ。

 酒にうるさいアルタモンタの為にフォン・ボルクが用意しておいたもので、ラストシーンでホームズとワトスンがそれを味わいながら、しみじみと語らう……)


「失われた愛を嘆く歌に見えますが、機械部品の名前が何度も出てくるところが他の≪ブリリアント・ノイズ≫の歌詞に見られなかった点ですし、私の同僚が言うには≪インフィニティ・サン≫の歌詞とも異なるそうです」


 ルーズリーフの歌詞を示して、朱里は説明した。


「でも、この歌のオイルランプは――」

 そこまで言って、謙太は口を噤んだ。


(待てよ、確か正典ではオイルンプじゃない。オイルンプだ。

 翻訳アプリを使ったのに、ランプとポンプを間違うなんてことがあるか?

 いや、アプリじゃなくてポンプという訳語を見るか聞くかして、ランプと取り違えたのか……?)


 疑問に思っていると、朱里はバインダーから別のルーズリーフを取り出した。上の方に『His Last Case』と書いてある。


「こちらは、映画『最後の事件』のセリフの抜粋になります。

 ドイツのスパイであるフォン・ボルクがアルタモンタと取り決めた合言葉について書記官に説明するシーンで、『彼がラジエーターの話をすれば戦艦のことで、オイルポンプは巡洋艦。点火プラグは海軍暗』――」

「オイルポンプ? オイルランプじゃなくてオイルポンプですか?」


 思わず相手の話を遮って、謙太は聞いた。

 謙太が「この歌のオイルランプは」と言いかけた時にその反応を予想していたように、朱里は微かに笑って頷く。


「さすが、シャーロック・ホームズにお詳しいですね。たしかに映画でも『オイルポンプ』と言っていました」

 多分、と、朱里は続ける。


「機械部品の名前が3つも続くとさすがに愛の歌らしくなくなるので、オイルランプに変えて多少のロマンチックさを演出したのだと思います」

「なるほど……」


 納得したように謙太は相槌を打ったが、内心では朱里が歌詞と映画の台詞を結び付けたいがために、ポンプとランプの違いにそれらしい説明を付けているのではないか、という疑問が湧いていた。


 改めて、左端の『絶叫アポカリプス』の歌詞と比べてみる。


 『絶叫アポカリプス』の歌詞がほとんど意味不明なのと違って、『Song Of My End』のほうは同じ失恋を嘆く歌だとしても一応は形になっているようだし、やや抽象的ではあるものの日本語として、それなりに意味は通る気がすると、謙太は思った。


 ラジエーターは冷却装置だから冷たさの象徴、オイルランプは朱里が言ったとおり、ロマンチックさの演出要素だと考えれば、J-POPの歌詞としてそこまでおかしくはないだろう。

 「トカイワインのように 酔わせてくれた」の部分は暗喩ではなく、そのまま元恋人との思い出を語っているだけだろうし、そうなると違和感があるのは「点火プラグ」だけだ。


「私なりに解釈して書き換えた歌詞が、こちらになります」


 言って、朱里は更に1枚のルーズリーフをバインダーから取り出し、『Song Of My End』の歌詞が書かれたルーズリーフの隣に並べた。



 音楽への情熱 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 心の中で ブリリアント・ノイズが 燃え尽きてしまった 愛の火


 ファンの声援のように 酔わせてくれた

 でも今は 寂しさばかりが広がる


 音楽への情熱 冷たい風が

 オイルランプ 揺れる影

 愛したはずの ブリリアント・ノイズが 壊れてしまった この心


 ファンの声援のように 酔わせてくれた

 でも今は 苦しみばかりが残る


 過去の思い出が 心を刺す 寒い夜に ひとり泣いている

 愛の炎は もう二度と ファンの声援のようには 燃えない


 ファンの声援のように 酔わせてくれた

 でも今は 空虚さばかりが広がる


 音楽への情熱 冷たくなった

 オイルランプ 消えた灯り

 ブリリアント・ノイズが 壊れてしまった

 ファンの声援のように 酔わせてくれたけれど



「これって……」


 唖然として、謙太は「Song Of My End 書き換え後」と書かれたルーズリーフを手に取った。

 思いつめたような表情で、朱里は頷く。


「『ラジエーター』を『音楽への情熱』、『点火プラグ』を『ブリリアント・ノイズ』、そして『トカイワイン』を『ファンの声援』にそっくり書き換えてみました」


 音楽への情熱が冷めてしまい、愛したはずの、つまりとても大切な存在だった≪ブリリアント・ノイズ≫が、KENの心の中では壊れてしまった。

 だから支援してくれるファンの声援も、甘い酔いではなく苦しみや空虚さしかもたらさない……という解釈になるのだろう。

 一見、意味が通っているようには見えるが、映画の中で符牒とした単語と置き換えた言葉が合っていないし、何に置き換えるかについての根拠が何もない。


――奥様は本当は若いツバメが欲しいんだけど、世間体と旦那への言い訳の為に、形だけ新しいバンドを組もうとしてるってのが真相――ってトコで落ち着きそうだな……。


 佐川の言葉が、謙太の脳裏に蘇った。


(結局それが真相なのか? 本当にKENは、音楽も仲間も捨てたのか?)


「ですが……それだと≪インフィニティ・サン≫の涼さんとのいさかいはどうなるんですか?

 わざわざ盗作までして新曲を発表しようとしたのは、今後も≪ブリリアント・ノイズ≫として音楽を続けたかったからでは?」


「その点も考えてみたんですけど、盗作なんかしてしまったのは音楽への情熱を失ったから、アーティストとしての誇りがどうでもよくなってしまったからこそ……なのかと」


 苦しげな表情で目を伏せ、朱里は言った。


「音楽への情熱があれば、そして本当に≪ブリリアント・ノイズ≫を大切に思っていれば、試作品とはいえ新曲の為に他人の曲を盗んだりしないはずです」

「確かに……それはおっしゃるとおりかもしれませんが……」


(もしかして、新しいプロデュース方針で『カリスマ・ボーカリスト』の役を演じなければならず作詞作曲に取り組んだものの、ファンからは酷評しか得られなかった。

 それで自分の才能の限界を思い知って、音楽への情熱が一気に冷めてしまったのか……?)


 自分のアーティストとしての限界に突き当たって苦しみ悩んでいたときに、財力も権力もあるマダムから新しいバンドへの誘いを受けとしたら……?

 新しいバンドなどただの口実で、実際はていのいい愛人になるだけだと分かっていても、盗作を新曲として発表してしまうほど、自棄的になっていたのなら……?

 そうであれば、仲間や音楽を捨てて誘いに飛びついてしまった可能性は否めないと、謙太は思った。


「ただあの……仮に音楽への情熱を失ってしまったとしても、先輩バンドの曲を盗むというのはよほどの理由がなければやらないことだと思います。

 それに音楽を辞めたくなったとしても、失踪してどこに行ってしまったんでしょうか?

 小学3年の時にお母さんが出ていってしまって以来、家族関係は良くなかったと聞いていますから、実家に帰ったとは思えません」


 ですから、と、ほとんど泣き出しそうな思いつめた表情で、朱里は続けた。


「新里さんの調査でKENの居所について少しでも何か分かったことがあれば、教えていただけませんか?」


(そんなのは、無理だ)


 木下探偵事務所の調査員の立場的にも、朱里の気持ちを傷つけたくないという個人的な願いからしても、いずれにしろ無理だと謙太は思った。


「…………残念ながら、今のところすべてが仮説の域を出ていませんので、迂闊なことは――」

「無理を承知でお願いします」


 「Song Of My End 書き換え後」のルーズリーフを持ったままの謙太の手を両手で握りしめ、両目にいっぱいの涙を浮かべ、震える声で朱里は言った。


「私、心配でならないんです。

 この最後の歌、『Song Of My End』がKENの遺書で、彼が自ら生命を絶つつもりでいるんじゃないかって……!」

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