第38話 仕方ない

 リョウが高校に進学しても、ケンとの交流はそのまま続いた――初めのうちは。


――何で高校生になったのに、俺とつるんでんだよ。

――何でって、別にいいじゃん。

――俺は別にいいケド、俺と一緒にいると、リョウまで中坊かと思われるだろ。


 ケンの言葉に、リョウは笑った。


――そこは実はあんま、関係ない。

――関係ない?

――高校生になればゲーセンとか10時までいられると思ってたケド、あれって16歳以上でないとダメらしい。

 まだ誕生日、来てないからその意味じゃ中坊と一緒。


 16歳の誕生日を迎えても、リョウはそのままケンと一緒に街の徘徊はいかいを続けるつもりだった。

 誕生日がいつなのかリョウは話さなかったし、ケンも聞かなかった。


 学校では処世術を駆使して「クラスの人気者」の地位を保ち、家庭では腹違いの弟妹の成長につれてますます自分の居場所を失っていくケンにとって、リョウと過ごす時間は、何も飾らずつくろわずありのままの自分でいられる、心地よいひとときだった。



――オレ、バンドやりてーんだけど。


 リョウが高校に進学し、ケンが中学2年になって暫くしたある日、リョウは言った。

 

――バンド? でもリョウ、歌ヘタじゃん。

――相変わらずケンははっきりモノを言うっつーか、遠慮がなさすぎっつーか……。


 呆れたようにリョウは言ったが、不快には思っていなかった。

 リョウ相手に自分を偽らずにいられるケンが心地よく感じていたように、リョウもケンとは裏表なく接していて、それが気楽でよかったのだ。 


――歌じゃなくて、キーボードやりてーなって思って。

――やるのはいいケド、楽器どうすんだよ。

――この前、先輩たちのバンドの練習、見に行って、ちょっと触らせてもらったんだ。

 で、自前の楽器用意できんなら、お前も入れてやるって言われたんだけど。


 リョウの言葉は直接的な回答にはなっていなかったが、何を言おうとしているのか、ケンには分かった。

 ケンは足元の小石を蹴った。


――バンドなんかやって、おもしれーの?

――女にモテる。

――はあ?


 リョウの言葉に、ケンはすっとんきょうな声を上げた。


――その先輩たち、特にイケてるワケでもないのにバンド始めてから女子にモテ出したって。

――女なんかモテて、何がいいんだよ。

――…………え? ケンって、もしかしてそっち?

――そっちって何だよ。


 ややおどけて言ったリョウの言葉に、ケンは憮然ぶぜんと答えた。

 リョウはケンの横顔を見、暫く考え、それから口を開いた。


――ケンって、顔が良いから女子にモテるって自分で言ってただろ。

 モテるヤツには、そうじゃない男の気持ちなんか分かんねーんだよ。

――確かに分かんねーよ。

 女なんかにモテたいって思う男の気持ちも、ロクに知りもしない相手に好きだとか言い出す女のキモチも。

 一番、分かんねーのは…………。


 そこまで言って、ケンは口を噤んだ。


 小3の時、突然母親が家を出ていき、全くの音信不通となった。それ以来、父親は息子と会話もしなければ、目すら合わせなくなった。

 なぜ母親が突然出ていってしまったのか、なぜ父親が急にそんな態度に変わったのか、幼い彼には全く理解できなかった。


 分かるのはただ、もう誰も自分を守ってくれない。自分の身は自分で守るしかない……ということだけだった。


 それを痛感したのは、母親の失踪をきっかけに、いじめを受けるようになってからだ。


 いじめと言ってもそこまで悪質なものではなく、悪口を言ってくるのは男子だけで、女子は庇ってくれることが多かった。

 だがそのせいで男子の妬みを買い、いじめはかえって酷くなった。

 女子に守ってもらうのは限界があると悟ったケンは、いじめグループの中心的な子に積極的に近づき仲良くなることで、いじめを回避した。


 中学に進学して交友範囲が広がり、単純に仲良くなるという方法が通用しなくなると、付き合うべき相手、距離を置くべき相手を見分け、周囲の人間を巧みに利用するやり方を身につけた。

 そのうちのひとつがゲームセンターで取った景品を利用する方法で、リョウと出会ったのもその頃だ。

 その小賢しさにリョウは感心していたが、ケン自身はそうやって技巧をろうして平穏な学校生活を守らなければならない毎日に、嫌気が差してもいた。


 リョウはケンの母親が突然、離婚届けを置いて出ていったことを知っているので、女性を敵視するようなケンの言葉に対し、それ以上、何も言わなかった。


 暫く黙って当てもなくふたりで歩き続け、湖に面した公園に辿り着いた。

 休日の昼には多くの家族連れで賑わう場所だが、平日の夕暮れ時には閑散としていて、どこかわびしさが漂っている。


――一昨日、クラスの女子にコクられてさ。


 沈黙の重苦しさに耐えられなくなって、ケンは口を開いた。


 いつもなら、リョウといるときには沈黙も饒舌じょうぜつも苦にはならなかった。

 相手の話を聞いている振りや、面白くもないのに興味を持っている振りをする必要はなく、お互い好きなときに喋り好きなとき沈黙し、それでよかったからだ。


 だが、その日のケンは母親が出ていった日の朝の記憶にさいなまれていた。

 その記憶が幸せであればあるほど思い出すのが辛く、頭の中から消し去ろうとすればする程、鮮やかによみがえった。


――…………で?


 ケンがその先を続けようとしないので、リョウは聞いた。

 聞かないほうがいい気もしたが、聞かなかったことにして別の話題を振ることもできなかった。


――笑っちゃうよな。俺、そいつとほとんど喋ったコトねーのに。要するに、俺の顔だけが好きなんだろ。

 だから言ってやった。『オマエ、誰?』って。

――…………それは、さすがにちょっとキツくね?

――だってクラス替えしたばっかで、ホントに名前も知らねーもん。


 言って、ケンは足元の小石を拾い、湖に向かって投げた。

 リョウが何も言えずにいると、ケンは続けた。


――もっと笑っちゃうのがさ、そいつ次の日に別の女子をイジメてんでやんの。

 八つ当たりなのバレバレだっつーの。ダサいにも程がある。

――……いつものショセイジュツはどうしたんだよ。争いの種、いてんじゃん。

――それもショセイジュツだってば。特定の女子と仲良くすると別の女子に嫉まれるし、男子にもやっかまれるから。


 それに、とケンは続けた。


――イジメるヤツもダサいけど、イジメられてんのに何の抵抗もしないヤツだって、ダサい。

 黙っておとなしくしてるからイジメられんのに、それが分かんねーのかよ。


 リョウはその話題を切り上げたかったが、できなかった。


 ケンには言っていなかったが、高校に入学してから時折、上級生にカツアゲされることがあり、何の抵抗もできなかったからだ。

 上級生だけでなく、理不尽な暴力をふるい続ける継父にも、何もできない。


――分かってないワケじゃなくて、分かってても何もできねぇんだよ。

 …………弱ぇから。


 その時には、ケンは自分が喋りすぎたことも、言うべきではないことを口にしてしまったのも、分かっていた。

 リョウが継父から暴力を振るわれながら抵抗できずにいることを、忘れたわけではなかったから。


 そしてその悔恨の気持ちが、彼の苛立ちますますかき立てる。


――弱いんじゃ、仕方ねーな。


 自分の苛立ちを持て余したケンは、突き放すようにそう言った。


 リョウはそれ以上、何も言わなかった。

 抵抗できなくとも仕方ないなのか、しいたげられても仕方ないなのか、判断がつかなかったのだ。


***


 昼食を食べ終えた頃には、謙太の気持ちはすっかり落ち着き、冷静さを取り戻していた。

 改めて、情報を頭の中で整理する。


 KENが朱里の身体目当てに婚約という甘言で言いくるめたのか、最初、考えていたとおり全てが朱里の妄想に過ぎないのか、今の状況ではどちらとも断言はできない。

 だがポイントはそこではなく、KENの生死と居場所を探り出すのに、朱里が提供する情報が役に立つのかどうかだ。


 現状、最も有力な仮説は、駿の言っていたとおりにKENがどこかのマダムの誘いを受け、≪ブリリアント・ノイズ≫を捨て、仲間もノース・エンタープライズも裏切ったという「第3の仮説」だ。

 その仮説では、せっかくのチャンスをフイにするのか? というのが最大の疑問点だったが、マダムが新しいバンドを餌にKENを釣った可能性が出てきた上、駿たちの証言とも一致するのだから、疑うべき根拠がなくなった。


 涼も含めてメンバーといさかいになり、傷害致死という結果を招いたとする「第4の仮説」については、そもそも謙太が「もしそうであれば探偵らしい活躍ができる」と期待して立てた仮説であり、個人的な感情が入ってしまっているのは否めない。


 KENがどんな人物であるか知ることでどちらの仮説の信憑性がより高いか、判断材料のひとつになると考えていたが、マダムの愛人になっても新しいバンドで売り出してもらえる可能性があるなら、今まで聞いてきたKENのどの面を取っても、どちらの仮説も矛盾なく収まる。


(星野さんをいじめから助けた……っていうヒーローみたいなKENの姿は初耳だけど、さすがにその点を突っ込んで聞くのは気が引ける……)


 何より、朱里にとってKENがヒーローなら、彼女はKENの良い面しか語らないだろう。

 今まで朱里から話を聞いた印象でも、KENは憧れの人であり賞賛の対象だ。

 それに駿や翔は、KENが人気急上昇後に思い上がった態度を取るようになったと言っていたのだから、中学生の頃のKENに優しい面があったとしても、ほとんど参考にならない。


(失踪との関連性は不明だけど、涼とトラブルがあった、それも失踪の直前に怒鳴り合ってたっていうのは、もう少し調べる価値はありそうだ)


 謙太がそう考え、朱里がランチの食器が下げられたテーブルにルーズリーフを並べ直した時、スマホに着信があった。

 佐川からだ。


「ちょっとだけ、失礼します」

 朱里に軽く会釈して謙太はすぐに席を立ち、午後1時を過ぎて再び空き始めた店の片隅に歩み寄った。


『さっきの話、調べたんだけどさ』

 佐川の口調は、調査の結果が思わしくなかったことを暗に示していた。


『同じイベントに呼ばれてたふたつのバンドの3人のイケメン君たちは、以前と何も変わらずお仕事に励んでるそうだ。

 先週末のライブにも、ちゃんと出てる』


「では……その3人は、マダムの誘いに乗らなかったか、そもそも誘われていなかったか、どちらかですか……」


 やや雲行きが怪しくなってきたと思いながら、謙太は言った。


『まあそれだけじゃ、イベントの時、KENが誘われていたかいないか、判断は付かないんだけどね。

 名刺を確認したりしてあの時の主催者席に誰がいたか思い出してみたけど、六本木の何とかってカフェで目撃された女性に該当しそうな人はいなかったな』


「……そうですか」

 だったらまだ「第4の仮説」が正しい可能性は残っているなと、幾分、期待しながら謙太は言った。


『そうはいっても、財閥の奥様ならわざわざイベント会場に出向かなくともイベントの様子は動画か何かで確認できるし、後からKENをお屋敷に呼びつけた可能性は変わらずあるからね』


「分かりました。それでは私のほうでは、引き続き全ての可能性を考慮に入れて、調査を進めます」


 電話を切って席に戻ると、朱里は心配そうな眼差しを謙太に向けた。


 そのたおやかな姿は、謙太に懐かしい人を彷彿ほうふつとさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る