第36話 真相

――おー、ケンタじゃん。こんなトコで何してんの。お前も買い物?

――ああ、ちょっと…。お前は家族と一緒?

 

 聞かれた少年は、後ろを振り返ってやや離れたところにいる母と姉を見やった。


――ケンタは一緒じゃねえの? 中学生が6時過ぎて保護者なしでうろついてると、何とか条例違反で補導されっぞ?

――午後6時なんて、夏なら昼間じゃん? 大人の決めたことって、ホント意味不明だよな。

――イミフだけど、しゃあない。ってかオレ荷物持ちで付き合わされてるだけだから。

 かーちゃん、ねーちゃんと一緒でなきゃ買い物にも行けないマザコン・シスコンとか言いふらすなよ?


 相手の言葉に、ケンは笑って頷いた。


――同級生か?


 母と姉と共に「荷物持ち」の少年が立ち去った後、相手に歩み寄ってリョウは聞いた。

 それまで笑顔だったケンの表情が、すっと消える。


――昨夜、あの後どうだった?

――逃げ切った。そっちは?

――楽勝。ま、いつものコトだけど。


 2人は短い会話を交わし、前日に私服警察官か補導員らしき相手を振り切ったことを確認しあった。

 そういうときの取り決めで、別々の方向に走って逃げ、その日はもう会わないことにしてある。

 実際には2人とも何度か補導された経験があるのだが、そのことはお互いに話さなかったし、別方向に逃げるので、一緒に補導されたこともない。


――それはともかく、さっきのヤツにはずいぶんと愛想が良かったな。オレと一緒のときにはいつも仏頂面なのに。

――さっきのは、ショセイジュツ。

――ショセイジュツ?


 リョウの問いに、ケンは頷いた。


――俺は顔が良いから女子にモテる。だから男子とも仲良くしとかねえと、嫉まれてイジメのターゲットにされかねない。

――顔が良いって、自分で言うなよ…。


 笑ってリョウは言ったが、ケンの表情は暗くなった。


――自慢で言ってんじゃねーよ。俺はこの顔、大キライだ。 

――……大嫌いって、何でそこまで?


 リョウの問いに、ケンはすぐには答えなかった。

 黙って足元を見ながら、そぞろ歩く。

 ケンの言ったとおり夏なのでまだ周囲は明るいが、ねぐらに帰る烏の群れや家路を急ぐ人々の姿が、夕闇がそこまで迫っていることを示している。


――……俺の顔は、親父似だ。お袋は、親父の顔も俺の顔も好きだった。


 暫くの沈黙の後、独り言のようにケンは呟いた。

 そして、口元を冷笑に歪める。


――結局、好きだったのは顔だけだったんかな。要するに、他に顔の良い男と出会えば、別にそっちでもいいってハナシで。

――……何で、そう思うんだ?


 やや躊躇ためらってから、リョウは訊いた。

 だがケンは問いが聞こえなかったかのように、そのまま歩き続けた。

 繁華街の喧騒はすぐに途絶え、人通りも車通りも急に少なくなる。


――あの日の朝まで、いつもと全く同じだった。

 いつもと同じように、みそ汁の具には親父の好きなナスを入れて、俺の好きな卵焼きも焼いてくれた。目玉焼きのほうがずっと簡単なのに、俺が好きだからって、いつも朝から厚焼き卵を…。


 やがて、ケンは言った。

 話の流れがどこに向かっているのか予想がつき、リョウは黙ってケンの隣を歩いた。


――3時間目ごろ急に具合が悪くなって、早退して家に帰った。その時間だと、お袋はパートで親父はいつもなら会社。でもその日は水曜で、親父は休みで家にいるはずだった。

 でも、誰もいなかった。

 仕方ないから2階の自分の部屋で寝てたんだけど、夕方ごろに物音で目が覚めた。だから隣の部屋に行ってみたら、親父がいて、俺を見てすごくびっくりしてた。

 『母さんは?』って聞いたら、『母さんはもう帰ってこない』って言って、緑の紙を俺に見せた。

――緑の紙?

――離婚届ってヤツ。お袋の名前だけ書いてあって…。


 ケンは暗くなり始めた空を振り仰いだ。


――……確かに、母さんの字だった……。


***


 上着を脱いでワイシャツの袖をまくり、謙太は洗面ボウルに水を貯めて顔を洗った。


(本当に全く…何やってんだよ、俺。こんなことで動揺してどうする?)


 冷静になれ、と、謙太は何度も自分に言い聞かせた。


 KENの婚約者だという朱里の言葉を信じたわけでもないのに、朱里に対して同情的になってしまっていた理由も分かった。

 そして朱里に同情してしまったがゆえに、彼女に対するKENの残酷な仕打ちが許せず、憤りに駆られた。


 だが、そのせいで判断を歪ませるわけにはいかない。

 まずは情報を整理しろ、と内心で呟く。


(今までの情報をまとめると、星野さんがKENの婚約者なのは彼女の妄想じゃなくて、KENが彼女をたぶらかす為の手管だったと考えるほうが筋が通る。

 メジャーデビューしてテレビに出てお母さんに見てもらいたいなんて話は、妄想で考え付くことじゃない。

 婚約者のはずなのに新曲の音源や歌詞を貰えなかったり、引っ越し先の合い鍵を渡して貰えなかったりしたのは、KENに取ってはもう『らない女』になってしまってたからだろう…)


 ≪ウィリデ≫で目撃されたふたり連れがKENとマダムなのか断定はできないが、マダムが≪ブリリアント・ノイズ≫に出演依頼することでKENに近づいたかどうかは、佐川に確認すればすぐ、裏が取れる。

 そう考え、謙太は佐川に電話をかけた。


『イベント? ああ…2か月くらい前に、飲食店チェーンを経営するある企業から、100店舗達成記念パーティーで演奏してくれって、依頼は受けたな』

 佐川は3度目のコールで応答し、謙太の質問に答えて言った。


「それがどこの企業か、教えて頂けますか?」

『何で?』

「その企業の経営者か重役か、とにかくかなりの影響力を持つ人物について、調べたいと思いまして」


 謙太の言葉に、佐川はすぐには答えなかった。

 暫く沈黙が続き、それから言う。


『……まさか、その時の依頼主がKENを愛人にしたがってる金満女性で、あのイベントの時に密かにKENに話を持ち掛けた…とか、言わないよね?』


「もう少し調べないと確証は持てませんが、その可能性は低くないと思います。

 そしてもしそうであれば、≪ウィリデ≫で目撃された若い男性がKENさんで、一緒にいた女性がイベントの主催者である可能性も高くなるかと」


 謙太が言うと、佐川は再び口を噤んだ。

 そして電波が切れたのではないかと謙太が心配し始めた頃、ようやく口を開く。


『……いやそれは無理だよ。

 あそこの経営者一族は、飲食店チェーンの他にも不動産とかサラ金とか色々手広くやってる財閥で、たしか芸能関係にもコネがある。

 そこの奥様かもしれない相手に変な疑いなんてかけたら、うちみたいな中小は軽く吹き飛ばされてしまう』


 つまり、KENはせっかくのチャンスを捨てたのではなく、より大きなチャンスに飛びついたのだ、という仮説は間違っていなかったと、謙太は確信を深めた。


「取りあえず情報だけ整理しませんか?

 その2か月前のイベントの時、主催者側の誰かが佐川さんに知られずにKENさんとコンタクトを取ろうとしたら、それは可能でしたか?」


『…可能だ。可能どころか、俺は主催者への挨拶で忙しかったし、主催者側の人間なら好きなときに楽屋に出入りできたからな。

 スタッフの誰かが差し入れと一緒に手紙か何かをこっそり手渡したなら、他のメンバーにも気づかれない』


 謙太は、無意識のうちに唇を舐めた。

 心臓の鼓動が速まり、のどの渇きを覚える。


「その時に、≪ブリリアント・ノイズ≫以外のバンドは呼ばれていませんでしたか?」

『…他にもふたつ、来てたな。よそのプロダクション所属の』

「そのメンバーの中に、KENさんタイプの男性はいませんでしたか?」

『なんだよ、KENのタイプって…』


 佐川は溜め息まじりにぼやいたが、謙太が言わんとしていることは、既に分かっているようだ。


『いたよ。KENの他にも若いイケメンが3人。彼らを見て、バンドの選定基準は顔だなって、その時に思った』

「もしかしてその3人はボーカル以外の、それぞれ別のパート担当ではありませんでしたか?」


『…はあ? まさかその奥様は若いツバメが欲しいんじゃなくて、お気に入りのイケメンを集めて新しいバンドを作ろうとしてる、とか言い出すじゃないだろうな?

 さすがにそんな強引な引き抜き方をするなんて信義則違反って言うか、業界の仁義に反する』


 佐川の声には、いきどおりがにじみ出ていた。

 だがそのすぐ後に、力ない溜め息が続く。


『……いや、そうでもないな。

 ツバメにしたいから連れてくなんて話だったら、向こうだっておおっぴらにはしたくないだろうから、そんなこと認めないだろうし、自由恋愛って言われればそれまでだけど、新しいバンド結成のための引き抜きなら、あとは金額の交渉か…』


「移籍を認める代償って話ですか? でも、他のメンバーの意志はどうなるんですか?」


 謙太の問いに、電話の向こうで佐川は力なく嗤った。


『KENが出ていっちゃった以上、残りのメンバーには何の価値もないよ。今だって社長から違約金の支払いを突き付けられて金策に走り回ってるだろうし。

 むしろ奥様から移籍金がもらえれば彼らは違約金を払わなくて済むんだから、そのほうがいいくらいじゃないか?』


 人気の度合い的にはそうかもしれないが、あまりに冷淡な言葉だと、謙太は思った。


(でもノース・エンタープライズは、最初からビジネスとして≪ブリリアント・ノイズ≫のマネジメントをしてただけだ。

 売り上げの主力はあくまでKENなんだから、他のメンバーがプロダクションにとって何の価値もないって言われても、仕方ないのかもしれない。

 それに、契約したのは1年くらい前で売れるようになったのはここ数か月の話なんだから、長年貢献してきたってわけでもないし…)


『何にしろ、今はまだ推測の段階で確証はないって前置きして、うちの社長に報告しとくよ。

 それに、あの時のイベントで一緒だったバンドとはマネージャー同士で名刺交換してるから、連絡先は分かってる。それとなく探りを入れてみよう』


「はい。では私は、他の可能性も考慮に入れて引き抜き、調査を続けます」

 謙太は言ったが、佐川は電話の向こうで溜め息をついた。


『まあまだ他の可能性もゼロじゃないけどね。でも駿もああ言ってたことだし…。

 奥様は本当は若いツバメが欲しいんだけど、世間体と旦那への言い訳のために、形だけ新しいバンドを組もうとしてるってのが真相――ってトコで落ち着きそうだな…』

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