第35話 スタヴローギン

 朱里が中学の時に、KENにいじめから救われたのだという言葉に、謙太は言葉を失った。


 それまでも朱里はどこかはかなげで薄幸そうな雰囲気のある人だとは思っていたが、いじめ被害の経験者だとまでは、思いもしなかったからだ。


「すみません、あの…思い出すのもお辛いでしょうし、詳しい話はなさらなくて結構ですから…」


 謙太が言うと、朱里は青白い顔に微笑を浮かべた。


「新里さん、本当に良い人ですね。

 私なんかの話を疑わずにきちんと聞いてくれて、そうやって気遣いまでしてくださって」


 ずきりと、胸が痛むのを謙太は感じた。

 それは決して強い痛みではなかったが、重い痛みではあった。


(信じてない…婚約者なんて話、最初からこれっぽっちも信じてないよ。

 ただ八方ふさがりの調査にどうしたらいいか分からなくて、わらに縋っただけだ…)


「私の昔話なんて聞いても退屈なだけでしょうから、KENに関することだけお話しますね」


 そう前置きして、朱里は話し始めた。


 KENとは小学校は別なので、中学入学前のことは分からない。

 中1の時はクラスは別だったものの、「カッコいい男子がいる」と女子生徒の間で評判だったので、顔と名前はその時から知っていたし、噂程度は耳にしていた。

 中2になって同じクラスになり、他の女子生徒から意地悪なことを言われていたとき止めてくれたので、それ以来、密かに好意を抱いていた。


「でもその頃は本当に、自分の気持ちを表に出すような真似は一切、しませんでした。

 KENは女子生徒はもちろん男子生徒にも人気があったので、私なんかが近づける人じゃなかったんです」

「男子にも女子にも人気があった…。社交的なタイプだったということでしょうか?」


 さりげなくPC画面に目をやって、TAKUや駿から聞いた話を確認しながら、謙太は聞いた。


「そうですね…。彼の周りには、いつも人の輪ができていました。

 私は近づかなかったので詳しくは分かりませんが、周りの子たちはいつも楽しそうに笑っていたので、話術が巧みと言いますか、人と話すのが得意なタイプなんだと思います。

 ライブでは≪ブリリアント・ノイズ≫の出番の時にメインで喋っていただけでなくて、全体の司会役をやることも何度かありました。確かに盛り上げ上手で、何気ない日常の出来事を、すごく面白く話すんです」


(『口がうまくて人を丸め込むのも得意』って言ってたTAKUの話、『話も上手くて場を盛り上げるのが得意』って駿の発言と大体一致するな…)


「そしてその才能と言いますか、能力は中学の時には既に発揮されていたんですね?」


 謙太の言葉に、朱里は頷いた。


「中学以前のことをご存じないなら、KENさんが小3の時の出来事についてはお聞き及びじゃないですよね」


 何気なく言った謙太の言葉に、朱里の表情が曇る。


「それは、ご両親の離婚の話でしょうか?」

「…ご存じでしたか」


 やや意外に思いながら、謙太は言った。

 中学の同級生としてはそれ以前の出来事は本人の言うとおり知らないはずだし、その件に関して、SNSでは全く触れられていなかった。


(映画にしたって『crying in the south』と『虚空への旅』のことはSNSで絶賛してたからファンなら誰でも知ってるかもしれないけど、『His Last Case』はどうやって知った?

 映画はともかく、両親の離婚の話は事実だから妄想では片付けられない…)


「KENの小学校の時の話を知ったのは、東京で再会して同じ中学出身だと思い切って話しかけた、あの時より後の話です」

「それは要するに…KENさんとの交際が始まってから、ということでしょうか」


 朱里は頷いた。


「失礼ですが、KENさんとのお付き合いが始まったきっかけを、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「同じ中学出身だと言う話をしたあと暫くしてから、≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSにDMを送ったんです。

 中2の時、同じクラスだったのを覚えていてくれたので、それが嬉しくて…」


 思い切って核心に迫る質問をした謙太に、朱里はやや気恥ずかしそうに答えた。


(俺が試した時にはDMは送れなかった。それを、指摘すべきだろうか…?)


 謙太は迷った。

 朱里の協力を得続ける為には、彼女の妄想は壊してはならない。

 だが本当に妄想に過ぎないのか、確信が揺らぎ始めたのだ。


 中学の同級生でも、SNSを全てチェックする程の熱心な≪ブリリアント・ノイズ≫のファンであっても、それだけでは知ることのできないはずの出来事を知っているのだから。


「あの…最近はSNSが荒れることが珍しくないので、SNSは公開してもDMは受け付けない設定にしているケースもあるらしいですが」

 一般論めかして、謙太は尋ねた。


「そのようですね。≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSも、プロダクションの指導でDMは制限をかけているようです。

 ただノース・エンタープライズとの契約前には何の制限もかかっていませんでしたし、一度でもDMのやり取りをしたことがあれば、その後、制限がかかっても送れますから」


(マジか…)


 そのことに気づかなかった自分の迂闊さに、謙太は内心でうめいた。


「ではあの…そうやってDMをやり取りするうちに、交際が始まったんですね?」

「交際と言いますか、最初は映画の話ばかりでした」

「映画…ですか」


 謙太の言葉に、朱里は頷いた。

 その頃のことを思い出したのか、幸せそうな笑みを浮かべている。


「まず、KENがSNSで『crying in the south』と『虚空への旅』を絶賛しているのを見て、私もすぐに『虚空への旅』のDVDを借りて見てみたんです。

 それで感動したので感想を送って、『crying in the south』のほうは探しても見つからなかったから、KENがどこでそれを見たのか訊いたんです。

 それで分かったのは、『crying in the south』には『愛の夜』っていう原題とは似ても似つかない邦題がついてまして、インターネットで探した時に出てきたのは見てたんですけど、まさか同じ映画だとは思わなくて」


「…じゃあ、『His Last Case』についても、そうやってDMのやり取りで感想を送りあったんでしょうか?」


「そうです。ここにある5つの曲、全てに歌詞に込められたメッセージを読み解く鍵が隠されている映画があって、『Piece Of Peace』は『Screams At The Maze』邦題は『ラビリンス』、『風の囁き』は『Hunting The Past』邦題『ハンター』が、それぞれ該当するんです。

 『His Last Case』と『ラビリンス』『ハンター』は、私のほうから『とても素敵な映画だから、ぜひ見てみて』って薦めて。

 それでKENも映画を見てすごく良かったから、直接会って話そうって誘いが来て…」


 映画の話になると、朱里は饒舌じょうぜつに、そして幸せそうになる。

 シャーロック・ホームズのことを話すときの自分も似たようなものだろうかと思いながら、謙太は胃が重苦しくなっていくのを感じていた。


「…そうやって直接会って映画の話をしてらっしゃる時に、ご両親の離婚の話も聞かれたんですか?」

「そうです。そして、メジャーデビューを果たしてテレビに出たら、音信不通になっているお母さんに見てもらえるんじゃないか、それが全てじゃないけどひとつの目標にして、メジャーデビューを目指して頑張ってるんだ…って」


――両親の離婚の話を持ち出すのはKENのいつもの手なんだ。

 母親に捨てられた可哀そうな子供の話をすれば、誰だって同情する。

 同情を買えれば相手のガードが下がって、女をお持ち帰りしやすくなる。


――いつもの同情ネタかよって、思いました。

 KENは女の子ナンパするときに、よくそのネタ使ってたから。


 TAKUと駿の言葉が脳裏に蘇り、謙太の胃のむかつきは増した。

 口を噤み、頭の中で情報を整理する。


 朱里は見るからに清楚で、貞淑そうだ。

 たとえKENの熱烈なファンであっても、軽々しく一線を越えるような真似はすまい。


 そういう女性を意のままにしたければ、どうすればいいか?

 簡単だ。

 結婚をちらつかせ、婚約者として扱えばいい。


 メジャーデビューまではプロダクションにも他のバンドメンバーにも秘密にしておきたいと言っても、特に不審がられることはなかっただろう。

 メジャーデビュー後に約束を果たさずとも、今は婚約発表にふさわしい時期ではないなどと、いくらでも言い訳は可能だ。


 何より一時的な快楽が目あてだったのだろうから、その頃にはとっくに目的を果たしているのだ。

 仮に婚約不履行で騒がれても、婚約の証拠が何もなければ「頭のおかしいストーカーの妄想」で片づけてしまえる……。



「……新里さん?」

 口元を堅く結び黙り込んでしまった謙太に、朱里は不思議そうに、そしてやや心配そうに声を掛けた。


 だが、謙太は答えられなかった。

 

 初めは朱里がKENの婚約者だというのは、朱里の妄想に過ぎないと思っていた。

 だが、ただの妄想ならば知らないはずのKENの両親の離婚の話を朱里が知っているという事実、両親の離婚話をKENがどう利用していたかについてのTAKUと駿の証言。

 それらをつなぎ合わせたことで、別の局面が見えたのだ。


 やはり、≪ウィリデ≫で目撃されたふたり連れはKENとマダムだったのだろうと、謙太は考えた。

 マダムが≪ミシェル≫で見染めた若い男が≪ブリリアント・ノイズ≫のKENだと分かった時、彼個人に直接連絡を取る方法を、誰かに調べさせたはずだ。

 そもそも、マダム自身がDMを送る必要はないのだ。

 朱里のようにDM受信に制限のかかっていなかった頃に≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSにDMを送ったことがあり、今でも送れる人間は他にもいるだろう。


(いや、それだとプロダクションのチェックに引っかかる可能性がある。

 もしそうやってDMを送ったのなら、それをマネージャの佐川さんが把握してないはずは――)


 何気なくレジの方を見た謙太の目に、地元のイベントポスターが映る。

 不意に、答えが見えた。


(そうか…なにも、プロダクションに隠れてこそこそ連絡を取る必要なんかない。

 マダムの影響下にある会社か店か何かのイベントに、≪ブリリアント・ノイズ≫の出演依頼をすればいいだけじゃないか。

 そうすれば、マダムが若者に交じってライブ会場に足を運ぶ必要もないし、イベントの主催者としてVIP席で≪ブリリアント・ノイズ≫の演奏を堪能し、部下を使ってKEN個人と連絡を取ればいいだけだ)


 分かってしまえば、今までどうしてその考えを思いつかなかったのか、不思議でしかない。

 面識のない相手と連絡を取るのに、無意識のうちに自分ならどうするかを基準に考えてしまったのだろう。


 だが、相手はかなり裕福な女性だ。そして、財力があるということは権力があるのとイコールだ。

 どこかの大企業の社長夫人か会長か、いずれにしろ多くの人間に支配力を及ぼし、自分の為に動かすことのできる立場だ。


 話を持ち掛けられた側のKENにしても、素性のしれない相手から送られてくるDMなどではなく、財力と権力がはっきり分かっている相手からの誘いなのだ。

 どこの馬の骨か分からない相手からのDMなら無視しても、有力なスポンサー候補が相手なら無下にはできまい。


(もしかしたら、ノース・エンタープライズのような中小プロダクションより、マダムに従ったほうがアーティストとして売れる可能性も高くなると判断したのかもしれない。

 駿たちを裏切ったのは、マダムには他にもお気に入りの青年たちがいて、彼らと新しいバンドを組ませる腹積もりだからなのかも……)


「……すみません、ちょっと失礼します…」


 むかつきが激しくなる一方の胃の辺りを抑え、謙太は言った。

 いきなり席を立ってトイレに向かった謙太を、朱里は心配そうに見送った。

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