第33話 終焉の歌

 その後も、家に居場所のないふたりは、たびたび落ち合って一緒に街をうろついた。

 ふたりともあまり金は持っていないので、何も買わずにショッピングモールの中でうろついたり、カラオケのフリータイムを利用して、いられるだけ粘った。


 特に、個室が占有できる上にソフトドリンクも飲み放題のプランがあるそのカラオケ店は、少ない予算で時間を潰したいふたりには便利な場所だった。

 が、6時までしかいられないのと、安い学割料金で連日利用しているせいか顔を覚えられ、日ごとに店員の視線が冷たくなっていくのが難点だった。


――別にオレら、部屋を汚すとかタバコ吸うとか、悪いコトしてるワケでもねーのに、アイツら態度悪ぃよな。


 店員の冷淡な態度に、リョウが不平を漏らした。


――別に気にしなきゃいーじゃん。部屋に入っちまえば顔合わせるコトもねえし。

――そうだけどさ…。格安の学割料金でも金、払ってんだから客じゃん?

 これじゃタダでゲーセンで時間潰してた時と、大して変わんねえ…。


 ケンはリョウの不満を無視するように、次々と曲を入れ、歌った。

 リョウも最初はケンと選曲を競い合うようにして歌っていたのだが、すぐに飽きてしまったのだ。


――……そんな同じ曲ばっか歌ってて、飽きねーの?

――だってスマホとか音楽プレーヤーとか持ってねーし。

 家にいたくねえからテレビも見らんねーし。

 まともに歌える曲なんて、そんなにねーし。

――うちのオヤジと違って、ケンのとこは頼めば買ってもらえんじゃねーの?


 リョウの問いに、ケンは口を噤んだ。

 次の曲が始まっているのに、歌おうともせずただ画面を見つめる。


――あー…そういや、ケンって歌うまいよな。最初に聴いた時から思ってたケド。

――……別に。フツー。


 唐突に話題を変えたリョウに、むすっとした表情でケンはぼやいた。

 その反応に、今度はリョウが不満顔になる。


――ムカツクやつだな。せっかく人が誉めてやってんだから、喜べ。


 数秒おいてからケンはリョウの方を見、笑顔を見せた。そして何も言わぬまま、曲の途中から歌い始める。

 リョウはあきれ顔になったが、笑ってマイクを手に取り、一緒に歌いだした。


 ケンが歌うことに喜びを見出したのは、その頃だった。


***


『昨日はすみませんでした。取り乱してしまって…』


 10時ごろ電話をかけてきた朱里は、最初にそう言って謝った。


「いいえ、どうかお気になさらず。それより、お話になりたいことがあるそうですが」


 謙太の言葉に、朱里は最近、KENが作った曲の歌詞に失踪の秘密が隠されている可能性があり、それについて自分なりに調べてみたので、謙太の意見も聞きたいのだと、前日とほぼ同じ話を改めて繰り返した。


「そうですね。じゃあ…またどこか外でお会いしましょうか」


 歌詞に失踪の秘密が隠されているなどという話を、正直、謙太は信じていなかった。


 ただ、≪ウィリデ≫で目撃された若い男がKENである可能性がどの程度あるのか判断しかねていて、場合によっては朱里にひどく残酷な結末を告げなければならないと思うと心苦しい。

 せめて今はできるだけ朱里の話を聞いてやって、そのことで少しでも慰めになればいいと、そんな風に漠然と考えていた。



 1時間後、ふたりはKENのマンションからほど近いカフェの奥の席で向かい合っていた。

 これまで2度、朱里と会って話を聞いた場所だ。


 別にこの店である必然性はなく、朱里の家と木下探偵事務の中間点などでも構わないのだが、朱里の住まいに近づくのも、おおよその場所を聞くのも何となく躊躇われたので、前と同じ場所を提案したのだ。

 それに、そのカフェは駅から離れているせいか平日のその時間には空いているので、他人に聞かれたくない話をするのに都合がよかった。


「最近、つまり1か月前のライブから3回続けて発表された≪ブリリアント・ノイズ≫の試作品4曲の歌詞について、まとめてみました」


 言って、朱里はバッグからバインダーを取り出してテーブルの上で広げた。

 バインダーにじられたルーズリーフには、手書きで書き込みがあり、ところどころに赤で丸を付けたり矢印で関連を示したりしてある。


「すみません、読みづらくて…」

「いえ、とてもキレイな字ですね。それにすごく丁寧に書いてある」


 スマホはもちろん、PCでメモを取るのも嫌がる依頼人などから話を聞くときは、手書きで紙の手帳にメモを取らざるを得ないのだが、元々自分の悪筆に自信がある――という言い方はおかしいのだが――上に、大学入学以来、講義のメモや課題作成にもっぱらPCを使うようになり、何かを手書きする機会がめっきり減って書けない漢字が増えてしまった謙太にしてみれば、美しい文字で分かり易くまとめられた手書き資料は、それだけで称賛に価した。


「母が…『筆跡には人の心が現れる。だから常に丁寧に書くよう、心がけなさい』って言って、姉と私ふたりとも、小さい頃からずっと書道を習ってました」

「お姉さんがいらっしゃるんですね」


 特に意味もなく会話の流れで謙太は言ったのだが、何故か朱里の表情が暗く沈んだのを見逃さなかった。


(もしかして、お姉さんは若くして亡くなったとかなんとか、触れちゃいけない話題だったかな)


 内心、謙太は思ったが、朱里はすぐに資料の説明を始めたので、それ以上、その話題は続けられなかった。


「これが、KENが作ってライブで発表した5曲の歌詞を書きだしたもので、一番最近の、≪インフィニティ・サン≫の未発表曲の盗作疑惑があるのが、この曲になります」


 言って、朱里は歌詞を書いた5枚のルーズリーフを並べ、一番端の1枚を指し示した。

 謙太から見て左から順に『絶叫アポカリプス』『パラダイムシフト』『Piece Of Peace』『風の囁き』。

 そして、最新の曲が『Song Of My End』だ。


(えっ…? 『Song Of My End』って、訳したら『終焉しゅうえんの歌』…?)


 謙太が思わず朱里の顔を見ると、朱里は深刻な表情で頷いた。


(他の曲のタイトルに殆ど意味がなさそうなのに比べると、最後の1曲は確かにちょっと衝撃的だな…。

 My Endが人生の終わりを意味するとは限らないけど、これからメジャーデビューして≪ブリリアント・ノイズ≫で頑張っていこうって時に発表した曲のタイトルにしては、さすがに変というか、相応しくないというか…)


 失踪したKENの身を案じる立場からしたら、こんな不穏なタイトルなら何か意味があるに違いないと考えても無理はないと、謙太は思った。


「『絶叫アポカリプス』がアメリカ映画の『crying in the south』、『パラダイムシフト』が旧東ドイツを舞台にした『虚空への旅』を鍵にして読み解くことができるというお話はもうしましたけど、この『Song Of My End』は英米合作で、シャーロック・ホームズの『最後の事件』という――」

「ホームズの『最後の事件』ですか?」


 思わず相手の言葉を遮って、謙太は聞き返した。


 子供の頃から刑事ドラマも探偵映画も好きで憧れの探偵は何人もいるが、名探偵の代名詞となっているシャーロック・ホームズは別格だ。

 小説は全て持っているし、映画やドラマも見られる機会さえあれば、パスティーシュも含めて全て見ている。


 クールで天才的頭脳の持ち主でありながら、フェンシング、ボクシング、バリツなる日本の謎の武術にまでけ、一方では奇矯ききょうな言動をしながら他方では音楽を愛しバイオリンを巧みに弾きこなす英国紳士でもあるホームズは、謙太にとって、憧れを通り越した「神」だ。


「…探偵さんだけあって、やっぱりホームズはお好きなんですか?」

 微かな笑みを青白い顔に浮かべ、朱里は聞いた。


「好き、のレベルじゃないです。崇拝しています。

 ただ、正典が素晴らしいのは議論の余地がないんですけど、外典については玉石混交と言いますか、特に映画では邦題で勝手に『最後の事件』と付けているものがいくつかあって、中にはかなりの駄作――」


 途中で、謙太は言葉を切った。

 夢中でまくし立ててしまったことに気づき、さすがに恥ずかしくなった。


「…すみません、つい、うっかり…」

「謝らないでください。

 私も一昨日、『crying in the south』と『虚空への旅』について語りすぎてしまってますから」


 穏やかな微笑を浮かべながら、朱里は言った。


「今、私が言った『最後の事件』ですが、邦題で勝手に『最後の事件』と付けたのではなく、英語の原題が『His Last Case』なんです。

 そもそも日本未公開なので邦題はなくて――」


「えっ、日本未公開の『最後の事件』ですか?

 それってもしかして、正典の『最後の事件』つまり『The Final Problem』とは無関係のパスティーシュで、『最後の挨拶』原題『His Last Bow』がベースとなっていて、正典の『最後の挨拶』ではドイツのスパイであるフォン・ボルクを出し抜いたオルタモントの正体がシャーロック・ホームズで、運転手に扮したワトスン博士と久しぶりに語り合うラストになっているんですが、その映画『His Last Case』ではホームズは数年前に亡くなっていて、ホームズの代わりに英国政府の依頼を受けたワトスンが、ホームズから受け継いだ捜査手法やら巧みな変装術を駆使してドイツのスパイを見事に騙したという筋書きになっていると聞いています。

 運転手はワトスンに代わってレストレード警部で、最後のシーンはそのふたりがホームズの思い出を語り合うと言う――」


 そこまで一気にまくし立ててから、謙太は再び自分が暴走していたことに気づいて赤面した。


「…すみません。また、やらかしてしまいました…」


「私も映画、特に昔の古い映画は好きですから、気になさらないでください。

 好きなものがあって夢中になれるって、素敵なことだと思いますし」


――好きなものがあって、夢中になれるって、素敵なことだよね?


 不意に、謙太の記憶に埋もれていた断片が、光を浴びたかのように脳裏に蘇った。


 そしてその記憶は、一昨日、謙太を混乱させた奇妙な違和感の正体を物語っていた。

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