第29話 運命の日

――いじめとか、ダッセ。


 少年がそう言った時、彼は義憤に駆られたわけでもなければ、正義感に突き動かされたわけでもなかった。

 ただ、思ったことを口にした――彼に取っては、その程度のことでしかなかった。


 だが、言われた女子生徒に取って、それは公開処刑に他ならなかった。

 その女子生徒は前日に少年に想いを告白し、すげなく断られていたのだ。


 女子生徒が少女に意地悪な言葉を浴びせかけたのは、失恋の痛手をまぎらわせようとしての八つ当たりでもあったし、自分が少女の姉のように美しければ想いは叶っていた筈だという、ひがみと妬みの歪んだ表れでもあった。


 前日に自分の想いを冷淡に拒絶した少年のその言葉は、女子生徒には余りに残酷だった。


――もう、なに? 信じらんない…!


 女子生徒は校舎裏に駆け込み、身も世もなく泣いた。


 彼女の友人たちは慰める言葉も見つからず、ただ遠巻きに見守った。

 チャイムが鳴り昼休みの終了を告げても、女子生徒の慟哭どうこくが鎮まることはなかった。友人たちは困惑顔を見合わせたが、その場を立ち去ろうとはしなかった。


――……あのブスのせいだ。


 やがて涙が枯れると、呪うように低く、女子生徒は言った。


――あいつが…あのビッチがブスのクセに、大人しいフリして男子に媚び売って。そのせいで健太クンがあたしにあんな酷い態度を…!

――いや…それはさすがに――。

――はァ? じゃああんた、あたしがあんな酷いこと言われたのはあたしのせいだって言うの?


 女子生徒の憤りに、友人は思わず身を引いた。


――……どっちかっていうと、鈴木が無神経すぎっていうか――。

――健太クンのこと、悪く言わないで…!


 もうひとりの友人にも女子生徒は噛みつき、ふたりは再び困惑顔を見合わせた。

 そして、今は女子生徒の気の済むように言わせてやろうと、無言で取り決める。


――もちろん、あんたも鈴木も悪くないよ。

――そうそう。あのブスが、お姉さんが美人なのを鼻にかけて勘違いしてるだけ。

――お姉さんの写真とか欲しさに男子があいつのご機嫌、取りまくってるからさ。自分がモテてるみたいに思い込んで付けあがってんだよ。


 ふたりの言葉は理不尽そのものだったが、女子生徒は友人たちの言葉を聞いて、ようやく溜飲りゅういんを下げた。

 それから3人で少女の悪口を並べ立て、嘲笑った。


 それが、少女に取っての地獄のような日々の始まりだった。


***


「えっ、本当ですか? 本当にKENさんが店に?」


 電話の相手の言葉に、謙太は思わず2度、聞き返した。


『いや、うちの店じゃなくて近所のカフェなんだけどね。

 うちのキャストの子が今日の夕方、つまりついさっき、アンタが探してる男らしき相手を見かけたって』


(どういうことなんだ。KENが生きている…?)


 驚愕のあまり、謙太は暫く言葉を失った。

 KENが生きていて裕福な女性の愛人になっているという第3の仮説には不自然な点が余りに多く、傷害致死の事実を隠すための駿の嘘だと、彼の中でほぼ確定していたのだ。


『とにかく電話じゃこれ以上、話せないからさ。今から店まで来られないかな』


 ≪ミシェル≫の黒服の言葉に、謙太は時刻を確認する。

 今からすぐ行けば、どうにか8時の開店前に着けそうだ。


「…分かりました。今すぐ伺います」

『あーそれで……この前と同じようなの、期待していいんだよね?』


「はい?」

 黒服の言葉に、謙太は聞き返した。


『いやだから、情報に対する謝礼っていうか…。こっちも開店前の準備が忙しい時にわざわざ時間を割くわけだからさ』


 だったらもったいぶらずに電話で話してくれればいいのに、と謙太は一瞬思ったが、そもそも相手が情報提供するのはあくまで謝礼目当てであって、それがなければ彼らに協力する義務も義理もないのだと思い直す。


「はい。期待していただいて結構です。一定の範囲内であれば、金額のご相談にも応じます」 

 ただし、と、謙太は続けた。

「精度の高い有望な情報であれば価値も高くなりますが、そうでない場合は、それなりに…」


 最後をあいまいにぼかして、謙太は言った。

 価値のない情報に金は払えないなどと言い切ってしまったら、何も聞き出せなくなるおそれがある。

 かと言ってゴミ情報にむやみに経費は使えないので、相手に期待を持たせつつ、不当にタカられぬよう、さじ加減が必要だ。


(映画の主人公なら、探偵でも刑事でも情報屋に対して立場が強くてもっとカッコよくキメるんだけど、現実はそうはいかないよな…)


 ふと兄の姿を思い出し、現実でも刑事なら情報屋に対してもっと強い態度でいられるんだろうな…という思いがよぎった。


(向こうは国家権力背負ってるんだから、私立探偵とはワケが違う。

 って言っても、俺が警察官になったとしても刑事にはなれないだろうし、それ以前に警察学校のシゴキに耐えられなくて脱落するだろうし、そもそも採用試験に受からない…)


 「お祈りメール」を受け取り続けた日々を謙太は改めて思い出し、苦笑した。

 苦笑と言うより、それは自らに対する嘲笑だった。



 後で経費精算するにしろ今は自腹で謝礼を用意しなければならないので、謙太は途中でコンビニのATMに寄った。


(この前は1万だったから事前確認まではしなかったけど、10万とか吹っ掛けられたらどうする?

 いくらまでなら出せるか、佐川さんに確認してからのほうがいいだろうか…)


 調査を始めた初日、北原社長はすぐにでもKENを探し出してほしいと言っておきながら、ベーシックより高いプランに金を出そうとしなかったことを謙太は思い出した。

 大切な家族が行方不明になったので探して欲しい、という捜索とは違って、彼らはあくまでプロダクションとして、金の卵を産むはずの鶏を探しているのだ。

 経費がかさみすぎるようなら、捜索を断念するだろう。


(貯金をはたいてでも家族を探したいって依頼だったのに、どうしても探し出せなかったときの絶望はこちっちも辛いから、今回みたいにビジネスライクなほうが気は楽かもしれない…)


――そうであれば……そのほうが、よかったんですけど…。


 ついさきほど聞いたばかりの朱里の言葉が、謙太の脳裏に蘇った。


(星野さんは何か重要な情報を掴んだんだろうか?

 さっきの様子じゃ、KENがもう死んでいて、そのことに気づいたって感じだったけど、それなら六本木のカフェで目撃されたって、どういうことだ…?)


 ビジネスライクで気が楽なはずの調査で、唯一気にかかるのは朱里の心情だった。


 そしてもし目撃情報が正しく、KENが今も生きていて六本木で遊び暮らしているなら、朱里にとってはKENが死ぬより辛く残酷な結末となってしまうだろう。


(ものすごく重要な手掛かりになる可能性だってあるのに、聞きに行くの、気が重い……)


 いつの間にか謙太の中では、警察も把握していない傷害致死事件を解決して「探偵らしい」活躍をすることより、朱里をなるべく傷つけずに事件を解決することのほうが、優先度が高くなっていた。



『えっ、本当に? 本当にKENが六本木の店に?』


 電話の向こうで、佐川は黒服の電話を受けた時の謙太のように2度、聞き返した。


「六本木の≪ミシェル≫の店員から、今日の夕方に近くのカフェでKENさんらしき人を見かけたという情報が入ったので、今から詳細を確認しに行くつもりなのですが」

『今日の夕方ってついさっきだろ? 本当ならその情報はすごいな。これでKENが見つかれば、社長もお喜びになる』


 佐川は言ったが、その声は期待に弾んでいるとはとても言えず、むしろひどく疲れているような口調だった。


「それであの…先方が情報料と申しますか、謝礼を要求しているので、先に上限をうかがっておこうと思いまして」  


 佐川の声が沈んで聞こえるのは何故だろうと不思議に思いながら、謙太は用件を切り出した。


『上限…ってことは、吹っ掛けられそうな雰囲気なワケ?』

「なるべく交渉はするつもりですが、他の場所で目撃情報が得られる可能性はかなり低いと言わざるを得ませんし、多少の経費がかかるのはやむを得ないかと」


 謙太の言葉に、佐川は10秒ほど、黙って考えていた。


『……KENの確かな居場所が分かったって連絡なら夜中でも社長を叩き起こせるけど、ガセかもしれない話を聞きに行きますってだけじゃ、勤務時間外に連絡しづらいな…。

 特に昨日、KENがバンド辞めてどこかの金持ちのツバメになるつもりらしいって話を伝えてから、社長のご機嫌がそれはそれは悪くて…』


「心中、お察しします」

 佐川の声が疲れているのはそのせいかと思いながら、謙太は言った。


『…俺の裁量でいけるのは5万が限度だな。

 だけどそれはあくまで上限であって、謝礼欲しさのガセネタだったらビタ一文、出す気はないから』


(いや、さすがにゼロはキツイ…)


「承知いたしました。それでは上限は5万で、ただし情報の信憑性が疑われる場合にはゼロで、最適な金額となるよう、交渉いたします」


 内心のぼやきを抑えて、謙太は言った。


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