第27話 罪深き美貌

 午前中は朱里に会って話を聞いたり、涼とのトラブルの件を佐川に報告したりしていたので、あっという間に12時になった。

 相変わらず、他の調査員たちは皆、調査で出払っているので、事務所には謙太ひとりだ。

 近くのコンビニでパンと飲み物を買い、すぐに事務所に戻る。朱里に聞いた話がどうにも気になったので、食べながらSNSチェックを続けた。


 そのまま昼休みが終わってもずっと≪インフィニティ・サン≫と≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSをチェックして過ごしたが、第4の仮説を補強するような投稿も、他の何かの手がかりになりそうな写真や書き込みも見つけられなかった。

 ただ、朱里がKENの好きな映画だと言っていた『crying in the south』と『虚空への旅』について、KENがかなりベタ褒めしている書き込みは見つかった。

 だがそれで分かるのは、KENがその2つの映画を好きなのは事実であることと、それは婚約者でなくとも≪ブリリアント・ノイズ≫のSNSをチェックしていれば誰にでも分かる、という2点だけだ。


 次に、≪インフィニティ・サン≫と≪ブリリアント・ノイズ≫のSNS間に何らかの関連がないか、調べることにした。

 佐川は≪インフィニティ・サン≫の名すら知らなかったので、≪ブリリアント・ノイズ≫との関係も、当然関知していない。

 朱里の存在は佐川には隠しておきたかったので、どうやってKENのマンションの隣人から話を聞いたのかはもっともらしい嘘をついてごまかしたが、その点を特に追究されることはなかった。 

 佐川が把握していない以上、≪インフィニティ・サン≫については≪ブリリアント・ノイズ≫のメンバーに尋ねるかSNSを調べるくらいしか手がないのだが、翔からもTAKUからも連絡はない。


 それでまず、≪インフィニティ・サン≫のフォロー関係を調べたが、フォロワーもフォロイーも少なく、どちらにも≪ブリリアント・ノイズ≫は含まれていない。

 次に≪ブリリアント・ノイズ≫のプロフィールをチェックしたが、フォローしているのはノース・エンタープライズの公式アカウントのみで、それがプロダクションの方針なのかもしれない。

 フォロワー数はかなり多いので全てを確認しきれなかったが、≪インフィニティ・サン≫の名前は無かった。


(≪ブリリアント・ノイズ≫が売れるようになる前に、≪インフィニティ・サン≫と一緒のライブによく出ていたっていうのは間違いないはずだ。

 なのにどっちも相手をフォローしていないだけでなく全く話題にもしていないことが、彼らの不仲を証明しているのかもしれない)


 そう思いながら≪インフィニティ・サン≫のSNS記事を読み返していた謙太は、古い時期の書き込みに話題の不連続性が目立つことに気づいた。


(話が続いていないのは複数人でバラバラに書いてるからじゃなくて、いくつかの記事を削除してしまったから……なのか?

 面倒みてやった後輩が自分達より売れてしまって、嫉妬から彼らに関する書き込みを消した、っていうのはありそうな話だけど、だったら何でKENは新しい引っ越し先を涼に教えたんだろう……)


 それぞれのバンドには複数のメンバーがいるのでバンド同士は不仲になったが、涼とKENだけは親しく交流していたのかもしれない。

 そうでなければ涼がKENを信頼して未発表曲を漏らすことはなかったろうし、それだけに裏切られたときの憤りは大きくなる。

 十分ありうる話ではあるが、できれば≪インフィニティ・サン≫の誰かが、≪ブリリアント・ノイズ≫を――名前は伏せるにしても――けなす書き込みでもしてくれれば、それが仮説を裏付ける根拠のひとつになるのに、と謙太は残念に思った。


(世の中、そう都合よくはいかないよな……)


 SNSからはこれ以上、何も得られそうにないので念の為にスマホをチェックしたが、翔からもTAKUからも何の連絡も無かった。

 無駄な気はしたが、もう一度、ふたりの携帯番号に電話し、空しい気持ちで留守電にメッセージを残した。


(メジャーデビューを控えてるから失踪を極秘にっていうのは分かるけど、そのせいで調査に制約がかかりまくりなのに、その上メンバーも非協力的っていうのは……)


 自分に運がないのか、第1または第4の仮説が当たっていて、他のメンバーが隠し事をしているかどちらかだと、謙太は思った。

 

***


 中学1年の時は、同じ小学校で仲の良かった子と同じクラスになれたし、その子の新しい友人たちとも親しくなれて、それなりに楽しい学校生活を送っていた――その日までは。


――今日、一緒に帰ろ?


 その日の下校時、妹のクラスに現れた美羽の姿に、生徒たちは息を呑んだ。

 少女と幼馴染で元々美羽の美貌を知っていた数人を除いて、男子生徒はもちろん、女子生徒までが言葉を失って見惚れた。


――え……誰アレ? ってか、うちの中学にあんなモデルみたいな人がいたの?

――モデルどころか天使だろ。でなきゃ女神。


 美羽が出ていった後、クラスがざわめき立った。そして、美羽に声をかけられた少女に注目が集まる。


――おい、誰だよあの美人。なんで星野と一緒に帰るんだ?

――頼む、紹介してくれ。いや、写真かなにかもらえるだけでも恩に着る。


 色めき立つ男子たちを、一部の女子生徒が冷ややかに見つめる。

 その女子生徒たちは少女の死角にいたので、少女はその冷たい視線に気づけなかった。

 少女はクラスメイトたちの好奇の視線を振り切るようにして急いで帰り支度を済ませ、姉の後を追った。


 翌日、登校するなりクラス中の関心を集めてしまい、ごまかすことができなくなった。それで少女は仕方なく、美羽がひとつ上の姉なのだと話した。


――はァ? そんなワケねーだろ。だってあの美少女とお前とじゃ、完全に月とス――。


 途中で、男子生徒は口を噤んだ。少女の表情が強張ったのに気づいたのだ。

 だが少女はすぐに健気な微笑を浮かべたので、その表情の変化に気づいた者はわずかだった。

 その後、他の男子たちは急に少女に媚び始め、どうにかして美羽の写真を手に入れようと躍起になった。


――…………バッカみたい。


 少女に媚びて姉の写真を手に入れようと躍起になる男子生徒たちに、数人の女子生徒が軽蔑するような視線を投げつけた。

 高揚した気持ちに冷水を浴びせられ、男子たちはムキになる。


――なんだよ、やっかんでんのか? レベチ過ぎんだから止めとけ。

――レベル違いレベチってより、次元違いジゲチだろ?


 男子生徒たちがどっと笑い、それが女子生徒たちの怒りに火をつけた。


――あんたたちみたいなブサイクが相手にされるはずないし、だいたいあんなのメイクがメチャクチャ上手いだけに決まってんじゃん。

――あー整形級メイクってやつね。にしても凄すぎ。コスメブランドとか教えて欲しい。


 女子生徒たちがそう言ったのは、そうやってどうにか自分たちのプライドを保つためだった。

 だがそれが、却って男子たちの反感を煽った。


――ブスのやっかみはみっともねえだけだから、止めとけ。

――オレ、小学校から星野先輩と同じ学校だったから知ってっけど、あの人、生まれながらの天然美人で化粧すらしないであのレベルだぞ?

――ブサイクの妄想こそみっともないから止めとけば? 

――妄想じゃねーし。おい、星野。妹の口からハッキリ言ってやれ。


 否応なしに渦中に巻き込まれ、少女は困惑した。

 そしてヒートアップした生徒たちは、適当なごまかしなど許してくれそうにない。


――…………お姉ちゃん、メイクはしてないよ。

――はァ? なんでそんな白々しいウソつくの? スッピンであんな人、いるワケないっしょ。

――お姉ちゃん、朝が弱くて……。いつも遅刻ギリギリまで寝てるから、とてもメイクする時間なんて――。

――はいはい、そういう設定ね。小学校の頃から整形級メイクをマスターしてたんだ。あんたも少しは見習えばいいのに。


 女子生徒の言葉に、周りで成り行きを見守っていた者たちの口元に冷笑が浮かぶ。


――天然美人の設定なのに、妹がこんなんじゃウソですってバラしてるようなもんじゃん。

――…………もう、止めなよ。


 さすがに見かねて、少女の友人が女子生徒をたしなめた。窘められたほうもさすがに言い過ぎたと思ったのか、黙ってその場を離れようとした。


――ブスの嫉妬ってコエー……。


 ふたつ隣の席で独り言のように呟いた男子生徒の言葉に、女子生徒は反応しなかった。だから聞こえなかったのだと、男子たちは思った。


 が、それはとんでもない誤解だった。


***


 昼の浅い眠りから目覚めた時、朱里は自分が泣き腫らしていることに気づいた。


 鏡を見て確認するまでもなく、瞼が重い。


(目の下のクマの次は腫れ瞼なんて、サイテー……)


 ただでさえ一重で腫れぼったく見える瞼なのに、と憂鬱になる。

 のろのろと起きだすと冷凍庫から氷を取り出して洗面所に行き、洗面器に水をためて氷を浮かべた。そして、なるべく鏡を見ないようにしながら目元を冷やす。


 ≪インフィニティ・サン≫のファンである同僚とは寝る前に連絡が取れて、彼女の退勤後に盗作疑惑のある問題の曲を聴いてもらえることになっている。

 と言っても、盗作である可能性については話していない。ただ、≪ブリリアント・ノイズ≫の試作品プロトタイプが≪インフィニティ・サン≫の曲と似ている気がするので、感想を聞かせて欲しいとしか言っていない。


 すっかり手が冷たくなってしまうまで冷やすのを繰り返してから、恐る恐る鏡を覗き込んで目元を確認した。

 眠りながら無意識に目元をこすったせいでの腫れは収まったようだが、生まれつきの腫れぼったさはそのままだ。

 きれいな二重と長いまつ毛に縁どられた姉の大きな目が思い出され、急いで鏡の前から離れた。


 中学の時には、泣き腫らしたのを家族に知られまいと必死だった。


 美しい姉を贔屓ひいきなどせず分け隔てのない愛情を注いでくれる両親を心配させたくなかったし、何よりその美しさを鼻にかけることなくいつも優しく接してくれる姉を傷つけたくなかった。

 姉との比較がいじめや中傷の原因となっているとはいえ姉には何の罪もないし、そんなことをあの優しい姉が知ったら、きっと心を痛めるだろう。


 だから外でどんなに辛いことがあっても家では明るく振舞い、容姿の劣等感とは無縁であるフリをした。

 それでも、姉と同じ高校に行って比較される日々が続くのには耐えられなかったので、無理して別の高校を選んだ。


 高校卒業後、あえて家から遠い職場に就職して一人暮らしを始め、周囲から姉と比較されたり姉の姿を見るたびに無意識に自分と比較してしまったりすることもなくなり、ずいぶん気が楽になった。


 それでも時折、こうして辛かった頃の夢を見る。


 売り言葉に買い言葉で過熱した男子生徒と女子生徒の言い争いは単なる口喧嘩ではなく、その陰に自分の容姿に対する不安や傷つきやすい自尊心という、思春期にありがちな問題も隠れていた。

 そしてそんな行き場のない苛立ちや美羽の美しさへの妬みそねみは、棘のある言葉や冗談めかした揶揄からかいとなって、大人しい朱里に向けられた。

 

 中1の頃は庇ってくれる仲の良い友達がいたが、中2になると小学校時代からの友人とはクラスが分かれてしまい、それに伴って彼女を通じて仲良くなっていた生徒たちとも、何となく疎遠になった。

 それでも、そのまま何事もなければ、毎日を隠れて泣き暮らすようなことにはならなかっただろう。


 だが1学期が始まって間もないある日、鈴木健太の何気ないひと言が、朱里の毎日を決定的に変えたのだ。

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