第25話 サイコパス
――え? 朱里ちゃんと美羽ちゃんて姉妹なの? 似てないね。
最初はその程度だった。
そこには
だが、両親から姉と分け隔てなく育てられていた少女が、自分と姉の違いを認識するきっかけにはなった。
――えっ、ウソ。あの2人、姉妹?
――いや違うでしょ。似てなさすぎる。
――でも星野ってそんなありふれた名字じゃないし、一緒に話してるの見かけたことあるし。
――じゃ、なんであそこまで似てないの?
――両親が再婚したのかもよ。一緒に住んで姉妹って言ってても、血のつながりは全くないってヤツ。
――ああ、そういう…。
偶然、聞いてしまったうわさ話が、少女の心に重い鉛のような
幼いころから、姉は近所でも評判の美少女だった。
周囲の大人たちが姉の容姿を褒めちぎるのを曇りない笑顔で聞いていられたのは、せいぜい小学校低学年の頃までだった。
高学年になると小学生といえども異性への関心が高まり、自分の容姿を気にかけるようになる者たちが増えてくる。
少女の周囲でも、それは変わらなかった。
――なあ、星野の姉ちゃんて美人だよな。今度、紹介してくんね?
――お姉さんがあんなスゴイ美少女でうらやましい…。
クラスメイトの言葉に悪意がないうちは、笑って適当にやりすごすことができた。
――うちのお姉ちゃん、モテるから順番待ちだよ?
――あーでも私、お兄さんがいる人のほうがうらやましいかも。
だがやがて、姉に対する周囲の羨望はその純粋さを失い、暗い
特に異性への想いが叶わなかった者は、歪んだ嫉妬に囚われやすくなる。
――もうヤダ。死にたい…。
――そんなこと、言わないで。きっと次はうまくいくって。
――朱里のお姉さんみたいな美人だったら、こんな苦労しないのに。きっとモテてモテて、男子なんか選び放題だよ。
――うちのお姉ちゃんはマジメだから、選び放題だなんてそんな――。
――は? なんで朱里がそんな上から目線なの? お姉さんと違ってあんたなんかブスのクセに。
その瞬間、クラス中が凍り付いた。
そこまで大きな声で話していたわけでもないのにクラス中が静まり返ったことで、渦中のふたりも凍り付いた。
――あ…ごめん。いまのウソ。イライラして八つ当たりしただけで…。ホント、ごめんなさい。
――分かってる…。気にしないで。
それが、面と向かって容姿を罵倒された最初の経験。小学校5年の時だった。
中学に入ると、事態は悪化した。
小学生の時は、田舎の小さな学校なのでクラスメイトの多くが近所に住んでいる幼馴染だったが、中学になると生徒数が増え、その分、新しい人間関係も一気に増えてそれに伴うストレスも高まった。
思春期特有の心身のアンバランスが精神の不安定さを引き起こし、自分自身に意識が向くようになることで体形や容貌を気にしやすくなる時期だけに、劣等感に
そして劣等感に悩む者の中には、他者を自分より劣った者として見下し
――アタシはそこまで美人じゃないかもしれないけど、あのブスよりはマシ。
1学年差の年子に学校中で評判になるほどの美少女を姉に持ち、常に比較する周囲の目に晒されている少女は、そんな理不尽な攻撃の格好のターゲットとなったのだ。
***
「息子のことが怖いって、どういう意味でしょうね」
香織から聞いた昭一の言葉について、若い男は疑問を口にした。
香織にもどういうことなのか尋ねはしたが、香織は何も知らず、心当たりもなかった。
「俺たちが普段、相手にしているような連中は
「つまり、昭一と前妻の間に何があったのか長男が知っていて、それをバラされるのを恐れてるって話ですか?」
若い男の問いに、もうひとりの男は「いや」と、短く否定した。
「実際に長男が何かを知っていて、それが犯罪にかかわる重大な事実なら長男が今までずっと黙っていたのは不自然だろう。
それ以前がどうだったかは分からないが、少なくとも前妻との離婚成立後は長男に対して全く関心を示さなかったようだから、息子のほうでも父親を
「じゃあ、長男は実際は何も知らなかったけど、知っている可能性を恐れてたってことですかね」
若い男の言葉に、もうひとりの男は軽く頷いた。
「あるいは、長男は何かを知っていたが、それは犯罪に関わることではなかったか…」
「近所の住人が前妻の不倫に関して、『むしろあのダンナのほうが怪しい』って言ってましたね。
つまり不貞を働いたのは昭一のほうで、それで前妻が夫に愛想をつかして出ていった。
でもそれだと、前妻が息子を連れていかなかった理由が分からない。
夫に愛想をつかして離婚を決意したとしても、子煩悩な母親が小3の息子を自分の意志で置き去りにしたとは、とうてい考えられません」
そうなるとやっぱり…と呟いた若い同僚に、もうひとりの男は
「性急に結論に飛びつきたがるのは、お前の悪い癖だぞ。
相手の言葉に若い男は暫く黙って考えていたが、不意にある考えが頭に浮かび、口を開いた。
「実は鈴木健太はとんでもないサイコパスで、それに気づいた母親は息子を恐れて逃げた。
父親は息子を持て余し、どう接していいか分からず息子とのかかわりをなるべく避けたので、それが無関心に見える態度になった。
上京して家を出ていってくれて安心していたのに、失踪して我々が調査に来たので、息子が帰ってくるかもしれないという恐怖で挙動不審になった…とか?」
若い男の言葉に、もうひとりの男は「いきなり飛躍したな」と笑った。
だが、すぐに真顔になる。
「仮にそうだとしたら、ヤツはかなり巧妙に周囲から自分の本性を隠していたことになる。
息を吸うように嘘をつき、周りの人間たちを自在に操る――それができる程の人間でなければ、幼少期からの異常性を実の母親以外の誰にも気づかれずに済んだはずがない」
「…ひょっとして、健太が自分の正体を知った母親を邪魔に思って殺害し、それを知った父親の昭一が犯行を
8歳の息子の凶悪な犯罪に激しく動揺して理性を失い、警察や
そうであれば、家庭を大切にする子煩悩な母親が息子を置いていきなりいなくなったのも、昭一が健太の存在を恐れてなるべく関わらないように、まるでそこにいないかのように振舞っていたのも納得できますし、息子が行方不明になったと聞いて心配するのではなく、恐れるような態度を取っていたのも不思議じゃありません」
意気込んで、やや早口に若い男は言った。
もうひとりの男は、暫く口を
「……確かに辻褄は合っているが、それだけだと根拠が弱すぎるな。
昭一が健太を恐れていたという香織の証言以外に健太の異常性を疑う理由はないし、そもそも鈴木静子の直筆とされる離婚届が存在し、書いたとされる直後に荷物ともども本人が姿を消したと昭一が供述している以上、本人の意思で家を出たと考えるのが妥当だ」
「でも、それじゃ昭一の挙動不審な態度が説明できません。
それに誰も静子の行方を探そうとしなかったから事件化しなかっただけで、ちょっと調べれば――」
男は軽く手を上げて相手を遮った。
「そもそも俺たちが何を調べているのか、忘れたわけじゃあるまい? それにここは鳥取だぞ」
「それは分かってますけど、仮に静子が殺されていた場合、このままにしておくのは余りに不憫です。
それにもしさっきの仮説が正しくて、鈴木健太が8歳で優しい母親を殺すほどの異常者だったなら、きっと他にも――」
「落ち着け」
静かな、だが確固たる意志をうかがわせる口調で、男は相手を黙らせた。
「お前の正義感と仕事への情熱は常々、評価している。だが、情熱の余り周りが見えなくなって冷静さに欠ける傾向もある。
今回の件では、静子が両親を早くに亡くして苦労し、暖かい家庭を夢見ていたと近隣住民から聞いたせいで、静子に同情するあまり判断に偏りができていないか?」
相手の言葉に、若い男は反射的に何かを言おうと口を開いたが、何も言わぬまま打ちのめされたように
「…すまん。今の言い方は、配慮に欠けたな」
静かな、穏やかな口調で男は言った。
若い男は首を横に振り、顔を上げて笑顔を見せる。
「先輩が謝る必要なんてないっす。俺がショックを受けたのは先輩の言ったことが100パーセント正しくて図星だったからで、他の理由とかじゃないです」
若い男が言うと、もうひとりの男は「そうか…」と、口の中で小さく呟いた。
それから、相手に向き直ると口調を改めて聞いた。
「今回の航空券、LCCだが便の変更は可能か?」
「出発時刻の40分前までなら変更可能な会社のを手配してますけど、それってまさか…」
やや意外そうに言った若い同僚に、男は微かに笑った。
「このままにしておくなんて、誰が言った?」
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