第23話 剽窃

「気になること…ですか?」


 謙太の言葉に、朱里は頷いた。


「『残念だけど、あの曲はあの場で演奏っていいヤツじゃなかった』ってTAKUは言ってました。

 理由を聞いたら、『ちょっといろいろあって』とだけしか話してくれなくて」


 でも、と朱里は続ける。


「今朝、KENのお隣の部屋の方からお話を聞いて、TAKUのその時の言葉と、涼が怒っていた理由がつながったと思ったんです。

 ベースのソロが入る曲ってあまり聞かないんですけど、ここ2年くらいずっとライブハウスに通う間に、1度だけ≪ブリリアント・ノイズ≫とは別のバンドの演奏で、ベースのソロを聞きました。

 それが、涼がリーダーを務める≪インフィニティ・サン≫だったんです」


 謙太は朱里が何を言おうとしているのか暫く考えた。

 それからある考えに辿り着き、「まさか」と小さく呟く。


「先々週のライブで発表された新曲は、≪インフィニティ・サン≫の曲の盗作だったとおっしゃるんですか?」

「確証はありません。

 でももしそうなら、涼がKENのマンションに押しかけて隣の部屋まで聞こえる大声で怒鳴っていたのも、ライブで演奏していい曲じゃなかったとTAKUが嘆いたのも、納得できます」


(それはさすがに論理の飛躍じゃないか?

 別にベースのソロって、≪インフィニティ・サン≫の専売特許じゃないし、2年の間に1度聞いただけなら≪インフィニティ・サン≫だって、そうしょっちゅうベースのソロパートがある曲を演奏してるわけでもないし…)


「もちろん、今の段階では単なる仮説に過ぎません」


 謙太の心中しんちゅうを読み取ったかのように、朱里は言った。


「でもその時の新曲もスマホで録音してあるので、≪インフィニティ・サン≫好きの同僚に聞いてもらえば、≪インフィニティ・サン≫の曲との類似性が分かると思うんです」


「…なるほど」

 肯定的な相槌を打ったものの、謙太は半信半疑だった。


(曲の特徴って、バンドごとにそんなに強く出るもんだろうか?

 確かに誰それらしい曲っていうのはあるけど、それは演奏も含めて『らしさ』が出るのであって、≪インフィニティ・サン≫の未発表曲を≪ブリリアント・ノイズ≫が演奏して、それを聞いただけで≪インフィニティ・サン≫のファンに分かるのかな…)


 疑問は残るものの、隣人の話によればKENと涼の間に何らかのトラブルがあったことは確かだと、謙太は思った。


(元々、親しい付き合いのある2つのバンドなだけに、かえって揉め事が発生しやすいのかもしれない。

 それに相手の自宅まで怒鳴り込みに行ったんだから、涼にはKENに腹を立てる相当な理由があったはずだ。

 でもだからってまさか、それとKENの失踪が関係するってことは――)


 ない、とも言いきれないと、謙太は考えた。


(メジャーデビューを巡る利害の対立や音楽性の違いから、口論になったメンバーの誰かがKENを死なせてしまった…っていうのが最初の仮説だった。

 もしKENが≪インフィニティ・サン≫の曲を盗んでいたとしら、激怒した涼がはずみか何かでKENを殺してしまったって可能性だって、十分ある)


 だったら、≪ブリリアント・ノイズ≫の他のメンバーの態度はどう説明する? と謙太は自問する。


(≪インフィニティ・サン≫には自分たちがデビューしたばかりの頃、世話になった恩がある。

 それにKENの盗作がトラブルの原因なら、非は自分たちにある。

 もしその問題の曲が≪インフィニティ・サン≫のファンが聴けば彼らの曲だと――少なくとも、かなりテイストの似た曲だと――分かるのなら、駿たちだってそれに気づいてたはずだ。

 気づいていながら自分たちの新曲としてライブで流してしまったなら、駿たちも共犯みたいなもんになる。

 それで怒った涼がKENを死なせたなら、KENより涼のほうをかばっても不思議じゃない…)


「仮説の域は出ませんが、可能性はあると思います」


 謙太が言うと、朱里は自分の仮説が受け入れられたことが嬉しいのか、微笑を浮かべた。

 だがその微笑ははかなく消え、憔悴しょうすいした青白い顔が残る。


「新里さんと待ち合わせている間に職場に電話して聞いたんですけど、≪インフィニティ・サン≫のファンの同僚は、今日の午前は急用ができてお休みなんだそうです。

 なので午後になったらすぐにでも連絡を取って、問題の曲を聴いてもらおうと思います」


「私のほうは、涼さんとのトラブルについて他のメンバーが何か知らないか、探りを入れてみます」


 謙太と朱里は、何か分かればすぐ相手に知らせると約束し合ってカフェを出た。


 ***


 香織のパート先の会社を出た後、ふたりの男はKENや他のバンドメンバーたちが卒業した高校を訪ね、当時の彼らを知る教師に話を聞いた。


 高校時代のKENや他の3人に目立った問題行動は見られず、成績は低迷していたもののたまに赤点を取って補修を受けるくらいで単位は足りていたし、学校にもきちんと通っていて「普通の生徒だった」というのが複数の教師の共通認識だった。

 学校側はKENの家庭の状況をそれなりに把握していたが、非行がなかったので彼らが家庭環境を問題視することもなかった。


「鈴木健太は女子に人気のある生徒でしたね。特に1年の時の学園祭でバンドをやってからは、ちょっとしたファンクラブみたいなものができていたようです。

 でもその割に本人に浮ついたところはなくて、だから他の男子生徒からやっかまれてトラブルになったこともなくて…要するに平和でした」


「バンドメンバー以外に、特に親しくしていた生徒はいましたか?」


 男の問いに、教師は「さあ…」と首を傾げた。


「非行や問題行動につながるのでもない限り、生徒のプライベートに学校が口出しすることはありませんので」


 高校での聞き取りは早々に切り上げ、ふたりは次にKENが通っていた中学に足を向けた。




「深夜徘徊で補導されたことは、こちらでも把握しいてました」


 そう言って、年配の女性教師は哀し気に顔を曇らせた。


「健太君のお母さんが家を出ていってしまってから、家に居場所がなかったんでしょうね。何度目かに補導された時に、警察から学校に連絡がありまして。

 それで学校側で検討した結果、児童相談所に連絡しました」


 ふたりの男は、口をはさまずに教師が続けるのを待った。


「児相の職員が家庭訪問して親御さんとも話したそうなんですが、虐待も育児放棄もないとの結論だったようで、児相としてもそれ以上は何もできないそうで…」

「中学生が深夜にゲームセンターや繁華街をうろつくままにしておくのは、育児放棄とまでは言わなくても怠慢じゃないでしょうか」


 若い男が言うと、女性教師は小さく溜め息をついた。


「三者面談でその話題を出してみたんですけど、義理のお母さんは赤ちゃんを抱えていてそっちに手いっぱい。

 お父さんは接待で夜遅くなることや出張で家を空けることが多いそうで、育児怠慢と非難するのはちょっと厳しすぎるかと…」


 それに、と教師は続ける。


「何より健太君本人が『外で遊ぶのが楽しくてうっかり遅くなっただけ』って言い張ってまして。

 そうなると学校側でそれ以上、干渉もできませんし…」


「先生のおっしゃるとおりだと思います」


 穏やかに、男は言った。


「それでも先生ご自身は、気になっておられたのではありませんか?」


 男の口調は柔らかだったが、それでも女性教師は幾分かうろたえた。

 メガネの厚いレンズの向こうで、何度も目をしばたたかせる。


「…確かに健太君のことは気にかかっていましたが、明らかな育児放棄ではなく実のお母さんがいないから寂しいのだろうという程度では、学校や児相が介入できるような状況ではありませんし、何より本人に大丈夫だと言われてしまうと、なるべく遅くならないうちに家に帰りなさいとしか言えなくて…。

 その上、私が担任だった年には他にいじめ問題がありまして、健太君にばかりかまけているわけにもいかなくなりまして…」


「いじめ、ですか。よろしければもう少し詳しく聞かせていただけますか」


 男の言葉は、質問の形式を取った丁寧な命令だった。

 女性教師の顔に、余計なことを言ってしまったという後悔が浮かぶ。


「いじめと言えるほどのことが実際にあったのかどうかは、結局分からなかったんです。

 ただ、ひとりの女子生徒がクラスで孤立するようになりまして。1年の時には仲のいい生徒がいたようなんですが、2年になってからはいつも独りでした。

 それで何度か本人と話してみたり、いじめに関するアンケートを取ったりもしたんですが、いじめの事実は誰も把握していなくて、本人に聞いても『いじめられてなんていません』って、きっぱり否定されてしまって」


 健太のケースと同じだと、ふたりの男は思った。


 客観的な育児放棄やいじめの証拠は何もなく、本人もまた、問題のあることを否定する。

 そうなると、教師や児相の立場でできることは何もなくなってしまう――たとえ、問題があるのだとはっきり感じられたとしても。


「『読書の楽しさに目覚めたので、友達とのおしゃべりより本を読んでいるほうが楽しいんです』って言ってました。確かに休み時間にはいつも何かしら読んでいましたし、図書室にもよく行っていたようです。

 でもある時の授業中、まるでこの世の終わりみたいに思いつめた表情をしているのを見てしまったことがあって…」



――いじめを告発することで、かえっていじめが酷くなるのを恐れていたり、ご両親を心配させたくなくていじめられてないって言ってるなら、誰にも喋らないから先生にだけこっそり教えて?

――本当にいじめなんてないです。独りでいるからいじめられてるって決めつけるなんて、逆に差別じゃないですか?

――だったら…2限目の授業の時、とても哀しそうな顔をしていたのはなぜかしら。


 少女は苦笑し、恥ずかしそうにこう言った。


――あれは、授業の前の休み時間に読んでいた小説の主人公に感情移入してしまって…。学校ではガマンしましたけど、家に帰ってあらためて読んで、号泣しちゃいました。



 女性教師はその時の女子生徒とのやり取りを、かいつまんで男たちに話した。


「感受性の豊かな子でしたから、小説の主人公に感情移入したという説明に不自然な点はありませんでした。

 それに、あんな暗い顔を見たのも一度きりでしたので、いじめの件は杞憂きゆうだったかと」


「その女子生徒と鈴木健太さんは、どのような関係でしたか?」


「2年の時に同じクラスだったというだけで、それ以外は何もなかったと思います。

 少なくとも私はふたりが話している姿を見かけたこともありませんでしたし…。

 そしてその女子生徒はお父さんの仕事の都合で、3年になる前の春休みに転校していきました」


 ふたりの男は女性教師に礼を述べ、席を立った。

 応接室を出る間際になって、男が振り向いた。


「差し支えなければ、その女子生徒の名前を教えていただけますか」


 教師はやや躊躇ためらったが、その男には人から話を聞き出す何らかの力があるのだと感じていた。

 だから話すつもりのなかったいじめ疑惑のことまで話してしまった。


 話してしまった以上、ここは答えておいたほうが面倒がなさそうだと判断し、言った。


「星野朱里です」

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