第22話 無関心以上

「ったく何なんすか、あの父親。どうやったら血のつながった我が子にあそこまで無関心になれるんだか、理解できないっす」


 家を出、声が聞こえなくなる距離まで離れると、若い男は思い切りいきどおりをぶつけた。

 その様子に、もうひとりの男はなだめるような微笑を浮かべる。

 若い男がとても子煩悩な2児の父だと、知っているのだ。


「子供を妻の付属品のようにしか考えない男もいるからな。

 特に離婚した場合、前の妻との子供に無関心になる男はそれなりにいる」


 だが、と男は続けた。


「あの父親の態度は、単なる無関心の範疇はんちゅうを越えている。

 関心がないと言うより、積極的に長男の存在を意識から排除したがっているかのようだ」


「携帯番号を知らなかったり、東京の住所を知ろうともしなかったり、家を出てまだ2年しか経ってないのに、長男の部屋を物置にしてしまったり、確かに異常ですね。

 でも、積極的に存在を意識から排除したがるって、どういう意味ですか?」


 若い男の問いに、もうひとりの男はしばらく黙ったまま歩みを進める。

 それから、口を開いた。


「長男の存在を否定したい。

 最初から、そして根源から存在しなかったことにしたい。

 長男を生み出した相手の存在ごと、なかったことにしてしまいたい…」


 最後の言葉に、若い男は立ち止まって相手を見た。


「やっぱり、やってますかね? まるで挙動不審の見本みたいに態度がおかしかったですし、裏庭もクサい」

「まあ、何かあるだろうとにらんだからわざわざここまで来たんだが、まだそこまで断定はできない。

 何より、俺たちが調べているのは別件だしな。それ以外は、ただの雑談として話を聞いただけだ」


「雑談…ですか。先輩の『雑談』はコワいからな…」


 若い男の言葉に、もうひとりの男は軽く笑った。


 ***


 ふたりは昭一の現在の妻・香織のパート先を訪ね、受付に来意を告げた。程なくして現れたのは、事務員の制服を着た30代半ばの女だ。

 自宅に飾ってあった写真よりだいぶ髪が短くなって印象がやや変わっているが、同一人物なのは一目で分かった。


「失踪した健太君について話をお聞きになりたいそうですが…」


 幾分、不審そうな表情で香織は言った。


「私でお役に立てることがあるとは思えないのですが。東京に行った後のことは全く知りませんし、行方不明になっているなんて話も全然聞いてなくて」

「ご一緒に住んでらっしゃった頃のお話を少し伺いたいだけです。お時間は取らせませんので」


 物腰の柔らかな相手の態度に、香織は仕方なくといった表情で頷いた。


「月末の忙しい時でなくてよかったです。でもあの…課長の許可を取ったといえ、今はパートの身ですから…」

「『今は』とおっしゃると、以前はこちらで正社員だったんですか?」


 男の問いに、香織は「ええ」と頷いて、ふたりを応接室兼用の会議室に案内しながら続けた。


「結婚して半年くらいで妊娠が判明しまして。

 ご覧のとおり小さな会社ですから大企業のように長い育児休暇を取る余裕はなくて…。

 それで一旦、退職したんですけど、子育てが一段落ついたので、去年からパートとして雇ってもらってます」


「去年からってことは、下のお子さんが去年、小学校に?」

 若い男が言うと、香織は頷きつつ「よく分かりましたね」と意外そうに言った。


「うちの奥さんも、子共たちが小学校に上がったら職場復帰したいって、いつも言ってるんすよ。まだ幼稚園にも行ってないのに」

「お子さんが何人かいらっしゃるんですか? まだお若いのに」


「双子なんすよ。いっぺんにふたりできたのは想定外でしたけど。

 知ってます? 男女の双子ってめちゃくちゃ可愛いんす」


 若い男の満面の笑みにつられるように、香織も笑った。


「確かに可愛いでしょうけど、子育ての苦労も2倍じゃないですか?

 双子ちゃんの場合、やっとひとりを寝かしつけたと思ったら、もうひとりが目を覚まして…なんて話も聞きますし」


「まあ、運が悪いとエンドレスになりますね。でも俺もうちの奥さんも元々、徹夜に慣れてるし、仲良くしてくれてる近所のおばちゃんが何かと手伝ってくれるので、何とかなってます。

 それに苦労は2倍でも、喜びは4倍くらいっす」


「本当に良いお父さんなんですね…。ちょっとうらやましいくらい」

 そこまで言って、香織はふたりが何の用でここに来たのか思い出したように、表情を引き締めた。


「…ご存じのとおり、うちの人は再婚で私は後妻なので、いわゆる複雑な家庭環境にあたるんでしょうね。健太君ともできれば仲良くなりたかったんですけど、難しくて…」

「ご主人からは、長男は他の家族とろくに口もきかなかったと伺っています」


 男の言葉に、香織は頷いた。


「私があの家に行った時には、もうそんな状態になってました。

 最初は私のせいかと思ったんですけど、主人が言うには、前の奥さんが出ていってから、ずっとそんな調子だって」

「一緒に住んでらした間に、学校や警察から連絡を受けたことはありませんでしたか?」


 香織は眉をひそめ、そして頷いた。


「…夜かなり遅い時間までゲームセンターや繁華街をうろついて、警察に保護されたことは何度かあります」

「それはいつの話ですか?」


「健太君が中学の頃ですね。高校に入ってからは、そういう連絡を受けたことはありません」

 と言っても、と、香織は続ける。


「私が知らなかっただけで、主人が連絡を受けていた可能性はあるかもしれません。うちでは、私が健太君のことを話そうとしても、主人がその話題を避けたがるので…」


 香織の言葉に、若い男は隣の男にちらりと視線を向けた。


 昭一が、積極的に長男の存在を意識から排除したがっているという男の読みが当たっていると思ったのだ。


「ご主人は、問題行動で学校や警察から連絡を受けたことはなかったとおっしゃっていましたが」

「え、そうなんですか?

 主人は仕事柄、接待が多くて帰りが夜中過ぎになることも珍しくないので、私が警察まで健太君を迎えに行きましたが、何があったかはその都度、話してますけど」


 幾分、考えてから、香織は続ける。


「……多分、あの人は問題行動っていうのは万引きや暴力的なケンカのことで、ただ遅い時間にうろついて補導されただけでは問題行動ではないって考えたんだと思います」

「では、その時にもご主人と息子さんの間で話したりはしなかった…と?」

「私のいないところでは会話していたかもしれませんが、私の知る限りでは何もなかったです」


 話をしているうちに心苦しくなったのか、香織の表情は暗くなった。


「やっぱり…寂しかったんでしょうね。

 子供たちを連れて出かけるときにはいつも健太君も誘ってたんですけど、10歳以上年が離れているせいか、幼児が喜ぶような場所には行きたがらなくて…。

 私だって継子いじめみたいに思われたくないので努力はしたんですが、小さい子がふたりいるので手いっぱいで……」


「あなたは、何も悪くないですよ」


 静かに、男は言った。


 香織は何か言いたげに相手を見たが、わずかに躊躇ためらってから、黙ってただ小さく頷いた。


「高校生になってからの交友関係について、何かご存じではありませんか? 例えばバンドを始めたとかそういったことで」

「さあ…。家で楽器を見たことはありませんし、家に友達を連れてきたこともないですし…」


 男ふたりは顔を見合わせた。

 香織は先妻の子について殆ど何も知らないようだし、そろそろ引き際のようだ。


「あ、でも」

 ふたりが話を切り上げて立ち去りかけた時、不意に香織は言った。


「一度だけ、健太君が家の近くで誰かと話しているのを見かけたことがあります。よその高校の制服を着た男の子でした。あの子がバンド仲間だったのかも」

「どの高校の制服だったか、お分かりになりますか?」

「さあ、そこまでは…。この近所ではあまり見かけない制服だなって思った記憶はあるんですけど…」


 男たちは香織に礼を言うと、席を立った。

 会社の玄関口まで、香織は送っていった。


「本日はお忙しい中、お時間を取っていただいてありがとうございました」

「いえ…何のお役にも立てませんで」


 男と香織が社交的な言葉を交わした後、若い男がいたずらっぽく笑う。


「香織さんのところもうちと同じで男女ひとりずつなんすよね? ご自宅で写真を見ましたけど、めっちゃ可愛いっすね」

「ありがとうございます」


 緊張が解けたように笑って、香織は軽く頭を下げた。

 そして去ってゆく男たちを黙って見送っていたが、彼らの姿がガラス扉の向こうに消える直前で、「あの」と声をかける。

 振り向いた男たちの表情が穏やかであるのに勇気づけられたように、香織は言った。


「こんなこと…言っていいのかどうか迷ったんですけど…」


 尚も躊躇ためらう香織が言葉を続けるのを、ふたりの男は静かに待つ。


「うちの人…一度だけですけど、健太君のことを『怖い』って言ってました。

『俺はあいつが怖い。あいつの存在が、恐ろしくてたまらないんだ』…って」

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